第2話「発狂」

 3773日。

 元いた世界の暦に直せば、10年4ヶ月と3日。

 それが、この世界に僕が来てから、今まで過ぎた日数だ。

 僕の感覚であれば、10年という歳月は高校生が大人になるのに十分なくらい、長いように思う。

 だがエルフにとっての感覚というのは不思議なもので、太陽は4000回近く頭を通り過ぎているのに、ほんの1年くらいの感覚らしい。

 寿命が10倍以上長いとそういう感覚にもなるのだろうか。


 だからといって、僕の年齢が10歳かというと、実はそんなことはない。僕の今の身体の年齢はおよそ260歳。人間で言うと26歳ぐらいということになる。

 僕はこのアラル=ユグドラシルの身体を途中から拝借した身なのだ。


 およそ10年前、元いた世界での人生を終えた僕は、気がつくと本でいっぱいの部屋にいた。

 床にはバカでかい魔法陣が一つ。青白い光を放っていた。

 これは後からわかったことなのだが「元の」アラル=ユグドラシルは「転身の魔術」というエルフに伝わる禁術を用いて、意識だけを別世界の誰かに移して転生をしたらしいのだ。

 若くして(無論、エルフとしてはだが)領主の生活が嫌になったのか、その理由まではわからないが、彼は自らの身体を捨てた。

 そして何の因果か、僕の魂は捨てられたアラルの身体へと入り、奇妙な異世界転生が起こってしまった。

 「不屈の加護」という、厄介なおまけ付きで。


 だがこのことはシルフィを含む、里の誰にも知られていない。

 僕は何らかの魔法の失敗による副作用で記憶を失ってしまった、ということになっている。

 だからどんなに慕われようと、守られようと、僕はシルフィからの愛に応えることはできない。

 彼女の愛情は、元のアラル=ユグドラシルへのものであり、意識だけ成り代わった僕に対するものではないからだ。

 どんなに美しくても、どれほど尽くされても、僕が彼女を愛することはできない。

絶対に。




「アラル様、こちらがマンドラゴラ畑でございます」


 朝食を食べ終えた僕とシルフィは当初の予定通りマンドラゴラ畑の視察に来ていた。

 とは言っても、朝食の席でまた僕が軽く自殺未遂をした(コーヒーでカフェインを致死量まで摂取しようとして、10杯ほど飲んだところでエルフの致死量が人間と同じわけではないと思い至り、諦めた)ので、実はやや時間が押してしまっているのだが。

 こんなのは日常茶飯事なのでシルフィもいつも通りの涼しい顔である。

 領主である僕も、それに負けじと、フリだけでも威厳があるように振る舞ってみる。


「本日はマンドラゴラ栽培の総仕上げにして正念場、収穫をご覧にいれたいと思います」


「そうか」


「もっとも、誰かさんのせいで当初の予定をいくつか繰り上げておりますゆえ、ゆっくり丁寧に一から十までご説明、というわけにはまいりませんので、そのつもりで」


「そ、そうか」


 と思ったら普通に怒っていたりするのでシルフィさんの内情は計り知れない。

 いやごめんねホント。

 だがなんだかんだ親切に教えてくれるのが美人秘書が美人秘書たる所以なのだが。


「さて、ご存知の通りマンドラゴラは万能薬として知られており、その粉末を一口飲めばどんな呪いや毒もたちまち回復するという奇跡の薬草でございます。それは最上級の呪いである石化でさえも例外ではありません。

 ただ、万能ゆえに相応のデメリットもございまして、かの人型の草は収穫の際に顔を模した部分が空気に触れると叫び声のような奇怪な音を出します。

そしてその音を聞いた者は理性を失い、己を失い、発狂して死に至ります」


「……なるほどね、まさしくSAN値直葬ってわけだ」


「何かおっしゃいましたか?」


「何も! ──それじゃあどうやって僕らはマンドラゴラを収穫するんだい? 1本引っこ抜く度に死人が出てちゃ仕方ない。まさか万能の薬草のために人柱を立てるわけじゃあないんだろう?」


「無論です。そこは我々エルフの風魔法の腕の見せ所です──あちらをご覧ください」


 と、シルフィが指さしたのがおそらくはマンドラゴラ畑だろう。畝からお行儀良く生えた茎がズラッと一直線に並んでいる姿はパッと見にんじん畑に見えなくもない。

 そして畑の両端にはそれぞれローブを着たエルフの女性たちが10名ほど、横一列に並んでいる。


「彼女たちは私の弟子であり、我らが領土が誇る魔術師団です。

 まず、アラル様から見て右側の一段が畑の周りに空気の膜を張ります。

 続いて左側の一団が突風によってマンドラゴラを引き抜く魔法をかけます。

 すかさず右の一団がマンドラゴラが叫ぶ前にかまいたちの魔法によってマンドラゴラの首を切ります。

 これで、誰もマンドラゴラの叫びを聞くことなく、収穫することができるというわけです」


 シルフィの説明に、僕は思えず感心した。

 なるほど、よく考えられている。

 突風を使えば一斉に作物を収穫できるのは道理だが、まさか空気を止めることが出来るとは。

 風魔法とはすなわち空気を操る魔法だから、空気を止める、つまり擬似的な真空状態を作ることもできるというわけだ。

 そして音とは空気の震えだから、それを止めてしまえば音が外に出ることはない。叫び声を聞くこともなくなる。

 そして鎌鼬の原理でマンドラゴラの首を切るというわけだ。

 ところで──


「それで、シルフィは何をするんだ?」


「私はここでアラル様のご案内をしつつ、魔術師団の全体の指揮を執り、且つ全体の魔法のバランスを調整いたします。要は全部ですね」


 なんというマルチタスク。仕事ができる人の負担が増えるのは現代日本もエルフの世界も同じというわけだ。


「それでは始めます。こちらの高台にいらっしゃれば万が一マンドラゴラの鳴き声が漏れてしまってもここまで悲鳴は届きませんので、どうかアラル様はここを動かないでくださいね」


 そう言うと、シルフィは風魔法の詠唱に取り掛かった。

  

 一方、領主の僕はこれといってすることもないし、これだけ念を押されては自殺もできないので、高台の上からぼんやりとマンドラゴラ畑を眺めている。文字通り高見の見物というわけだ。

 マンドラゴラの収穫のシステムは本当によくできている。エルフたちも長年(きっと僕の想像よりずっと長く)この方法でやってきたのだろうし、そこに穴があるはずもない。

 何も心配することはない。気楽なものである。

 そして風魔法を得意とするエルフはマンドラゴラによる万能薬の製造をほぼ独占することができ、外交のカードとして有効活用してきたというわけだ。

 だから仮に問題があるとするのならそれはこのシステムの独自性にこそあるわけで──


「っ!」


 高台の上という、里内でも有数の見晴らしのいい場所にいたからだろうか。僕はマンドラゴラ畑に近づく小さな人影に気がついた。

 それはエルフの子どもだった。小さな手を前に出して、まるで何かを追いかけるように、グングンと畑に近づいてくる。


「なあシルフィ」


 魔法の調整に忙しいのか、魔術師団の方を向いたままで、美人魔術師長は答える。


「どうかなさいましたか、ご主人様」


「さっき説明してくれた、畑の周りに貼る空気の膜っていうのは、バリアーみたいなものだったりするのか? ちょっとやそっとじゃ破れないような頑丈なものなのか? 例えばそう、子どもが触った程度じゃ、ビクともしないとか」


「? バリアー、というのが何なのかはわかりませんが、頑丈かと言われれば、いいえ。あくまでも音をただ止めるための膜ですので、物理的な耐久性はございません。イメージとしては泡が近いかと思われます。もちろん、完全に破壊するにはそれなりの衝撃が必要ですが……って、ちょっと! アラル様!」


 その言葉を聞き終わるまでもなく、僕は高台の上から飛び降りていた。

 里を見渡せるほどの高台からの落下は、運が悪ければ頭から落ちて致命傷、運が良くても骨折は免れなかっただろう。

 だが僕には、忌々しい女神からの加護があった。


 僕が大地に激突する瞬間、まるで重力というものが消え失せたかのように、僕の身体は地面スレスレで宙に浮いた。

 何の因果か、今朝克服したばかりの「落下」の死因は高台から降りる時間を短縮してくれた。

 そのまま僕はマンドラゴラ畑へと疾駆する。



 その間にも、僕は畑の左右に広がる魔術師団に向けて、力の限り叫んだ。


「中止だ! 中止! 子どもが入り込んでいる! 危険だ! 中止!」


 だが魔法に集中しているのか、誰一人として風魔法の詠唱をやめようとしない。


 仕方がない。こうなったら自棄だ。

 僕はさらに速度をあげてマンドラゴラ畑を突っ切って、畑の反対側の少年へと走った。

 畑に入る瞬間、ブワッと見えない壁にぶつかるような衝撃があった。おそらくこれがシルフィのは言っていた空気の膜だろう。たしかにイメージとしては巨大なシャボン玉に近い。だが完全に破壊されたというわけではなく、穴はすぐに塞がったようだ。

 これなら間に合うか……!


 だが少年との距離がおよそ10メートル、といったところで、第二の魔法が発動した。

 突然、すさまじい上昇気流が吹き荒れ、畑のマンドラゴラたちが一斉に宙へと舞い上がった。

 しかも、予定ではこのあとすぐに鎌鼬の魔法がマンドラゴラを切り裂くはずだが、その様子もない。

 もう一刻の猶予もなかった。


「伏せろ!」


 僕は駆け込みながらも、咄嗟に少年に覆い被さり、その両耳を僕の両手で塞いだ。

 次の瞬間、


 ンギィィィィィィィィィィィィィ!!!!


 耳をつんざく悲鳴が畑中にこだました。

少年は僕の両手で、魔術師団のみんなは空気の膜で守られているが僕はそうはいかない。

 言うまでもないが、僕に手は二つしかない。両手で少年の両耳を塞いでしまえば、自分の両耳は剥き出しの状態だ。

 僕はマンドラゴラの悲鳴を聞いた。

 形容し難い、名状し難い、何とも言えない悲鳴に、僕は意識を失った。





「……ル様! アラル様! アラル様!!」


目を覚ましたとき、僕は美人主治医に名前を呼ばれていた。


「シル……フィ」


「アラル様!」


「!?」


 次の瞬間、頬に二つ、柔らかいものが当たるのを感じ、もう一度意識を飛ばしかけたところをなんとか堪え、瞬時に許嫁から距離をとる。


「その様子ですと、マンドラゴラの悲鳴の影響は受けていないようですね。本当によかったです。しかしなぜ……?」


 安心しながらも、不思議そうに首をかしげるシルフィの隣で、僕はひとり、納得していた。


 この世界に来たばかりの頃、僕は毎日自分の部屋で呆然としていた。

 物語やアニメで見た異世界という環境に全くワクワクしなかったわけではない。だが実際に来てみると、自分の知っている人、自分を知っている時とはだれもいない世界というのはこんなにも寂しいものなのだと実感した。


 そして何より、元の世界での自殺に失敗した上、今度はエルフという、何倍も長く生きなければならない身体に転生してしまったという事実。

 それはある種、僕を「発狂」させるのに十分だった。

 この世界において僕はすでに「発狂」という死因を克服していたのだ。

 だが正直、先ほどまでは少年を助けるのに必死で自分が助かるかどうかなんて考えている暇はなかったのだが……


「そうだ! あの子は無事なのか!?」


 僕が両耳を塞いでいたとはいえ、ちゃんと悲鳴を防げていたかどうかはわからない。

 それに魔術師団の人達だってそうだ。空気の膜はちゃんと悲鳴を食い止めてくれていたのだろうか?


「今回の騒動における死傷者はおりません。あの少年も魔術師団もマンドラゴラの悲鳴は聞きませんでした。それどころか……」


 あの少年も魔術師団も、今日起きたことについて、何も覚えていませんでした。

 魔術師団長は戸惑いながらそういった。


「これはマンドラゴラの悲鳴による発狂ではありません。我々以外によるなんらかの魔法の介入があったように見受けられます」


「なんらかの魔法って……?」


「詳しいことは、ただいま調査中です。魔法の痕跡を調べればどんな魔法が誰によって使われたかはわかるでしょう。

今はそれより、アラル様の無事を喜びましょう」


 再び、僕を抱きしめるシルフィ。

 僕にとって自分の命はどうでもいいものだ。

 シルフィだって、僕が成り代わる前のアラル=ユグドラシルの身を案じているに過ぎない。

 だから僕はこれからも自殺を続けるだろう。


 しかし、シルフィのその温もりはそんな僕の心をほんの少しだけ温めたのだった。

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