第33話 終幕
最後の公演が終わった。
関東各地の劇場を周り、最後はもう一度夏花劇場で終わりのブザーを迎える俺たち。
観客席からステージへと入り込む光を、大幕が少しづつ遮ってゆく。
これが本当に最後かと思うとなんだか寂しい気もしたが、自分の出番は既に終わり舞台袖からステージを眺める俺にはどうしようもない。
完全に大幕が閉まり切り、観客席からの拍手喝采が俺たちのいる大幕内側にいる俺たちにも聞こえてくる。
聴覚的には優雅だが、視覚的には地獄のようにも感じるものが広がっている。
目の前に見える光景は、各地で公演をして疲弊から倒れ込む団員たちの姿。
そしてその倒れ込んでいるキャストに急いで水や担架を持っていく裏方。
俺は毎公演、第二部の最初だけだが、レオさんは第一部の後半から全ての部に出ている。
尋常ではないほどきついはずだ。
しかし、担架で運ばれる人もいる中、レオさんは振り絞るように自らの力で立ち上がる。
そして、俺のいる舞台袖まで少しおぼつかない、歩き慣れてきた赤子のように近づいて、俺の真横に立つ。
俺の横を通りすぎるかと思ったが、ぽん、と優しく肩に手を置かれる。
「お疲れ様。今日の舞台、いや、この物語が最高のものになったのは君のおかげだ。ありがとう一夜。そして、お疲れ様。初めてだが、頑張ったな」
レオさんは、肩に置かれた手を俺の頭上へと持ってきて、髪の毛ををぐしゃぐしゃと撫で回してくる。
「……ありがとうございます」
「あぁ。とにかくお疲れ様だ。ゆっくり休めよ」
「ハイっ! ……レオさんもですけどね?」
「わかってるよ」
その一言を残し、俺の頭から手を下ろし、後ろへと歩いてゆく。
その姿を見届けた後、もう一度だけ、暗く拍手の鳴り止まないステージを眺めた。
※
「あっ! お待たせしました!」
ロビーに立っている賀久おじさんと文太さん。賀久おじさんは腕を組んでいる様がさすがというべきか、そっちの人の風貌のそれだった。
「おう。お疲れ様だ。どうだった?」
「すごく、楽しかったです。いろんな経験をさせてもらって、いろんな事を見せてもらって。本当にいい経験になりました」
「そうか。それはよかった。よし、それじゃあ、今日は祝いに焼肉でも行くか」
「えぇ! 本当ですか! やった!」
「おう、それじゃあ車にーー」
「待ってくれ。賀久。一夜くん」
いざ、焼肉に行こうという時に、少し聞き慣れた声が俺達のいるロビーに響いた。
後ろを振り返ると、須藤さんが少し汗ばみながら走ってきていた。
緊急オーディション以来に会うその姿に少々驚きながら、こちらに近づくのを待つ。何かあったのだろうか。
「はぁっ、はぁっ、久しぶりにこんなに走ったよ」
須藤さんは膝に手を置いて酸素を肺に限界まで取り入れる。
「どうしたんだ、須藤。そんなに急いで」
「いやはや、終わって一夜くんに話しかけようと思ったら、もういないと言われたからね。急いで走ってきたよ」
なんだか、最初に会った時よりも印象が柔らかくなっているのは俺の気のせいだろうか。
「で、だからどうしたんだ須藤」
「あぁ、すまん。本題を話そうか」
ゴホン、ゴホンと咳払い。そして口の前に出していた握り拳を下ろす。
「一夜くん。本格的に
「……え?」
それはあまりにも衝撃的で、なんだか印象が柔らかくなった理由が少しばかりわかった気がした。
「君は、異次元だ。正直、オーディションの時はうちのより多少マシな演技をするくらいの評価だった。だが、稽古を重ねるごとに、舞台を重ねるごとに、君はなっていた。あの物語の『龍樹』という人間に。君みたいな子は見たことがない。いや、これからもきっと見ることはできない。少なくとも俺の人生では」
「……本気か」
先程までの俺と賀久おじさんとの和やかな空気は一変。賀久おじさんは睨みを効かせ、須藤さんはそれを一心に受ける形になっている。
「あぁ、もちろんだ。もし、ウチに入ってくれれば、一生贅沢をし尽くせるくらいの報酬は用意するつもりだ。君にはそれほどの、いや、それ以上の価値がある」
「そんな……急に言われても」
一生贅沢し尽くせるくらいって、想像もできやしない……。それに、ここまで俺を評価してくれているなんて、思っても見なかった。
ふと、賀久おじさんの顔を見ると、先程と表情はあまり変わってなく、これでもかというほどの眼力を須藤さんにぶつけていた。
「……一夜。俺は一つだけ言っておく。お前は
……すいません。美人女優さんとお近づきになるためです……なんて言えるわけがない。
「…………」
現れる沈黙。一瞬が、何時間にも感じる。
「もし、お前がお金を求めるなら、確かにいい条件かもしれない。言い方は悪いが、夏花に出るだけでいいんだからな。でも、お前が、お前の目的がそうでないのだとしたら、俺の手を取れ。後悔はさせない」
俺と賀久おじさんの目がまるで磁石にくっつくように合う。
その目はまだ少し怖かったが、でもなんだか安心するような、そんな優しい目だった。
「須藤さん。俺をそこまで評価してくれてありがとうございます。でも、すいません……」
「……やっぱりそうか。すまなかったね。一夜くん、それに賀久」
「……はぁ、ヒヤヒヤさせるな須藤。性格の悪さに拍車がかかったんじゃないのか?」
「何言ってんだ。俺の性格は今も昔も変わらんわ」
ぶつかりあって、火花が散っているようにも見えた二人の視線は、いつの間にか柔らかいものになっていた。
「もういいのか? こちとら焼肉に行く直前でね」
「ほう。じゃあ久しぶりに飲もうじゃないか賀久よ」
「一夜がいるからだめだ」
「……私もついて行っていいよな? 一夜くん?」
なんだか、初対面の頃を思い出させるようなその表情につい「はい……」と答えてしまう。
「まぁ、一夜がそういうなら良いか……」
賀久おじさんは渋々了承したようで、踵を返し、黒塗りの車に向かい始める。
そして、ついて焼肉屋について、早速お酒を浴びるほど飲んで、俺にだる絡みしてきた須藤さんを賀久おじさんがチョークスリーパーで落としたのはまた別の話。
なんやかんやあったが、こうして俺の初舞台は本当に終わりを迎えたのだった。
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