第25話 車内②


「本当に大丈夫なの? 優馬くん? 遠慮しなくても送ってくよ?」


「い、いえ、親に来てもらうので、大丈夫です……」


「そっか、じゃあ気をつけてね!」


 そう言って俺たちが既に乗り込んでいた、陽なスポーツカーに乗り込んでくる舞さん。


「じゃあ、そろそろ出るからシートベルト閉めてねー」


「「はーい」」


 俺と輝夜さんは口を揃えて返事をする。


「よし、じゃあ帰りますか〜!」


 舞さんはエンジンを蒸し、車を発進させる。


 俺は、せっかく舞さんがこっちまで来るのだから、という理由で今日から舞さんの車で稽古終わりに乗せてもらい、帰ることになった。


 舞さんは鼻歌を歌い、輝夜さんは窓の外を見ているが、先ほどの火照りが取れていないようで、まだ若干耳が赤い。


「……あ、そう言えばひーくん」


「どうしたの?」


「夏花の稽古どうなの? 上手くやれてる……とは思うけど」


「えーっと、昨日と今日はそんなことなかったんだけど、一昨日は一回全体で通し稽古したら、俺だけ帰らされた……」


 恥ずかしながらも、きちんとありのままを舞さんに伝える。


 しかし、先に反応したのは輝夜さんだった。


「えっ!! なんで一夜が!?!?」


 これまでの距離感は何だったんだと言うほどに、ただでさえ狭い後部座席で距離を詰める輝夜さん。


 シートベルトが伸びるギリギリまで引っ張っているせいで、シートベルトがこれでもかと言うほどくい込み、凶悪な二つの大きなたわわの形がはっきりと分かる。


「ちょっと、月子ちゃん。ひーくん困ってるよ」


 ルームミラーから舞さんがこちらをチラリと覗く。


「え、あ、ごめん、一夜……」


 そう言ってしゅんとしながら元の席に戻る輝夜さん。


 シートベルトによって強調されまくった大きなたわわをまだ見つめたかった気持ちはあれど、決して口には出さない。


「それと、ひーくん。原因分かったよ。まぁ、気にしなくてもいいんじゃない?」


 少しすると舞さんはそう言って、細めていた目を元に戻す。


「え、舞!! どう言うことなの!?」


「いーや、月子ちゃんは気にしなくてもいいよー」


「なっ、何でよ!?」


「秘密〜」


「も、もぉー! 舞の意地悪!」


 2人が喧嘩してるようだけど、俺も何で抜けさせられたか、ハッキリとした理由が分からないんだよね。


 賀久おじさんも舞さんと同じような反応をしてたし。何か、わかることでもあるのか?


 しかし、そのことについて深く考えるより前に、輝夜さんが再び俺との距離を詰め、俺の胸ぐらを掴んでくる。


 さっきほどの距離ではないにしろ、かなり近い。それに胸ぐらを掴むなんてどうしたのだろうか。


「もぉ……なんか、2人は秘密ばっかりで、もやもやするわ!! それに言ってなかったけど、何でどっちも下の名前呼びなのよ!! それなら一夜も私の名前下で呼んで!」


「え、えぇ……」


 俺と舞さんは期間が空いたとはいえ、かなり昔からの付き合いだ。それに対して、輝夜さんと仲良くなったのはかなり最近だ。


 なのでーー


「私の名前呼ぶのはいやなのっ!?」


 ただでさえ近すぎる距離を、再びこれでもかと詰めてくる輝夜さん。


 俺の後ろの窓から差し込む月明かりが、ちょうど輝夜さんの顔を照らす。


 月の光を照り返すような銀髪。


 宝石のような瞳がはこれでもかと言うほど潤んでおり、今にもその瞳から雫がこぼれ落ちてしまいそうだ。


 その瞳、いや、彼女の全てに飲み込まれてしまうような感覚。


俺は自然と彼女の名前を口に出してしまっていた。


「っっ……つ、月子」


「ひゃっ……えーと、ありがとう……一夜……」


 月明かりは、目の前の彼女の顔がほのかに赤く色づいているところを遠慮なしに照らす。


 表すなら、そう。まるでキスシーンの直前のような感覚だ。


恥ずかしくはあれど、何か一歩踏み出せてしまいそうな、そんな気分。


 気のせいだろうか、月子の顔が僅かに近づいてきている。


 いや、俺が近づいているのだろうか。もう、それは俺にも彼女にも分からない。


 そして、俺と月子の唇が触れ合うーー


 ことは当然なかった。


「ごほん、ごほん。私もいるんだけど……というか、これ、私の車なんだけど……そういうのはやめてくれると助かるな?」


 見開く月子の瞳。それと同時に一瞬でぽっ、とこれでもかと赤くなる。


 それを隠すかのように再び窓側へと向き直す月子。


「ま、舞。ちょ、ちょちょ、ちょっと、暑っあつ、暑いわね……窓開けるわよ?」


「どうぞお好きに?」


 舞さんから許可をもらった月子は、すぐさま窓を開けるためにボタンを連打する。


 しかし、連打しているので、数ミリずつしか開かず、一向に全開になる気配はない。


「……月子ちゃん。それ、長押し」


「っっっ!! わ、わかってるわよ!!!」


 指摘されてから順調に開く窓。その窓から風が遠慮無しに入ってくる。


 その風は冬の訪れを予感させるような冷たい風だったが、今の俺たちの熱を覚ますには少々物足りなかった。





「じゃ、じゃあ、ありがとうね舞。一夜はまた月曜日に……じゃ、じゃっ!」


 俺たちの返事を聞かず、勢いよくドアを閉める輝夜さん……じゃなくて月子。


 周りは当たり前のように高級住宅が立ち並んでいて、何とも恐ろしい。


 しばらくして月子の姿が見えなくなったのを確認し、舞さんは再びエンジンを蒸し、車を発進させ……なかった。


 何かあったのだろうかと、舞さんを見ると、ハンドルを握ったまま何とも言いがたい表情でフリーズしている。


「ま、舞さん? どうしたの……?」


「………ひーくん」


「ど、どうしたの?」


「ちょっとひーくんの親御さんと話したいんだけど……いいかな?」


 何とも言えない表情は途端に消え去り、パァっと明るいにこやかな笑顔を見せる舞さん。


 その表情に少々絆されつつも、素直に母親の連絡先を表示して舞さんに渡す。


「ありがとね! それとちょっと待っててね?」


 俺のスマホを受け取った舞さんはドアを開け、外へ出る。


「え、ちょっと……」


 俺の言葉も虚しく、ドアは勢いよく閉まる。


 なんの電話かわからない以上、恐怖に似た感情が俺を襲う。


 少しすると、外から声が途切れ途切れに聞こえ始める。


「〜〜です。こんばんわ〜。〜〜で、〜〜何です〜〜、おと〜〜〜ても〜いで〜〜か? はい、〜〜〜に〜〜え〜〜、はい〜〜。わかりました〜!ありがとうございます! それでは!」


 最後の方は声が大きかったおかげで聞き取れたのだが、最初はなんて言ってるか全く意味不明だ。


 舞さんがスマホを持った手をおろし、こちらへと歩いてくる。


 俺は窓に寄っていた体をすぐ元に戻し、舞さんの帰りを待つ。


 ガチャリ、と言う音とともにドアが開き、舞さんが運転席に座る。


「ふぅー緊張したー。ありがとねスマホ」


「全然大丈夫だけど……そんなに緊張して、何話したの?」


「えーっと、今日ひーくんがうちに泊まることの許可取ってた」


 こちらを向き、さぞかし当たり前のような顔と口調で舞さんはそう言った。


「あー、そうなんだー。…………って、は?」


 ……………は?

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