第16話 劇団夏花


 劇団夏花げきだんなつはな。主に関東圏で上演をし、確かな演技力とオリジナリティ溢れる脚本で日本を代表するほどの劇団にまで上り詰めた演劇のエリート集団。


 一年に一度行われるオーディションの倍率は数千倍とも言われる。


 そんな所に今、俺は連れて行かれている。


「それにしても賀久おじさん……流石に急すぎませんか?」


「何がだ?」


「急に劇団夏花の即戦力オーディションをしてもらうって話ですよ……」


 即戦力オーディションと言っても、こちらも一年に一度のはずだ。


「あー、すまんな。流石に夏花には無理やりねじ込めなかった。最低でもオーディションは受けろって言われちまってな」


 オーディションを受けさせてもらえるようにするだけでもすごい事だ。1年に1度のオーディションをたった1人のためにわざわざ開催するのだから。


「そりゃそうでしょ……逆に何でねじ込めると思ったんですか……」


 本当にこの人やってること一歩間違えればその道の人だよ……。


「でも一応演劇も見たことあるんだろう?」


「一応、ですけど、演じた事は……」


「大丈夫大丈夫。何とかなる。ほらついたぞ」


 そこには巨大でいかにも芸術的というような建物が立っていた。それは劇団夏花の本拠地である、夏花劇場だ。


「ここにはもちろん舞台もあるが、稽古場も合体してあって、メインキャスト達は大抵ここで稽古をする。そして一夜、お前のオーディション会場もここだ」


「えぇ、」


 本当に何もかもが急すぎて整理しきれない。それなのに何故か賀久おじさんは僅かに嬉しそうな顔をしている。


「それじゃあ、今日はオーディションに受かったら焼肉でも食いに行くぞ。だから頑張れ」


「えっ、」


 賀久おじさんから出た言葉に驚きを隠せない。それは決して焼肉の節にではなく、この人の口から応援の言葉が出たことに、だ。


 それに何故か、その言葉とてもに温もりを感じる。


「ほら、行くぞ一夜」


 無理やり背中を押され、前に進ませられる。


 なんだかおじいちゃんみたいだな、なんてことを思いながら賀久おじさんの手に従って歩みを進める。


 まぁ、おじいちゃんには会ったことないんだけど。


 普通のものよりも何回りか大きく感じる自動ドアを抜けると、賀久おじさんと同年代くらいの特徴的なメガネをかけた人が立っていた。


「一夜、ここで待ってろ」


「は、はい」


 先程までの暖かさは何処かへ行ってしまった賀久おじさんは、特徴的なメガネの人物のところまで歩いていく。


 そして、しばらく話をした後こちらを向き、手招きをして俺を呼ぶ。


 俺はやっと呼ばれた、と思いつつも2人に近づいて行く。


 俺が賀久おじさんの横に立つと、特徴的なメガネの男は俺の体全体と顔を舐め回すように視線を送ってくる。


 正直、少し気持ちが悪いと思ってしまったが、我慢するしかないのだろう。


「君が陣堂一夜か。あまり面影はないな。まぁ、似てるって言ってもツラがいいくらいだろうな」


「あぁ、でも演技を見たら確かにわかるぞ」


「そうか。じゃあ、早速やっていこうか」


 勝手に進んで行く2人の会話。


「ちょっ、ちょっと待ってください。まず、あなたはどちら様ですか? それと、面影ってどういうことですか?」


 溜まりに溜まっていた疑問を特徴的なメガネにぶつける。すると、男はメガネをかけ直し、一度咳き込む。


「あぁ、すまん自己紹介が遅れた。俺の名前は須藤幸仁すどうゆきひと。この劇団夏花の創始者だ。まぁ、せいぜい頑張ってくれ」


「え、あ、よろしくお願いします」


 それ以上は話さない、という雰囲気が須藤さんから流れ出る。そんな須藤さんはついてこい、と言わんばかりに革靴を鳴らし、歩き出す。


 本当にどういうことだ? 前の賀久おじさんの口から出た、『宮さん』って人もそうだし、なんかの暗号なのか?


 しかし、十分に考える時間が来ないまま、須藤さんの足が少し大きなドアの前で止まる。


「お前たち、例のやつだ。よろしく頼む」


 そう言った途端、重そうな両開きのドアがゆっくりと開く。


「「「おはようございます!!」」」


 扉が開き、一斉に須藤さんに向かって芸能界独特の挨拶をする劇団員であろう人達。


 芸能界ではどんな時でも挨拶は「おはようございます」が基本だ。


 開いたドアから前を見ると、そこは広いホールのような部屋で、3、40人ほどが立ったり座ったりして待機していた。


 おそらくここが稽古場なのだろう。


 テレビで見たことのある顔が、ちらほらと見える。


「こいつが今日オーディションを受ける奴だ。自己紹介を」


 そう言って須藤さんは一歩引いてみせる。


「はい」


 俺はドアを通り抜け、照明が眩しいほどに照らす部屋に入る。


「陣堂一夜と言います。今日はよろしくおねーー」


「声が小さい!! もうオーディションは始まっているんだぞ!」


「は、はい!!」


 俺の自己紹介に被せて、部屋の奥にいる20代前半くらいの男の人から大きく通る声で指摘をされる。


「声が通るような発声と、声量に気をつけろ!! それでは改めて自己紹介を!!」


 30メートルほど離れているのに、しっかりと通る声。それなのに叫んでいるように聞こえる声の出し方。


 生で見たことはなかったのだが、そういうことか。


「陣堂一夜と言います!! 今日はよろしくお願いします!」


「よし! それではいきなりだが、オーディションの概要を伝える。台本を渡すので、その演技をしてもらう! もちろん舞台に登ることを想定して演技をしろ!」


「は、はい!」


 しかし、ここで俺はある異変に気づく。


 部屋で待機している、夏花の演者であろう人たちが全く動こうとしない。


 まさか、この大人数の目の前でオーディションをするの……か。


 いや、実際に舞台に立ったらこれの数倍からは観られるんだ。気持ちを切り替えろ。


「はい、これが台本です」


 横から高身長のスタイルが良い、地味目の女の子が俺に台本を渡す。


 渡された台本は、連続テレビ小説のオーディションのようにプリントではなく、きちんとした台本冊子だった。


「それじゃあ君には、主人公『柳太郎りゅうたろう』の敵役を台本の20ページから25ページの戦闘シーンで演じてもらう! もちろん他のキャストも一緒に演じさせる! 台本は持ったまま演技してもらって構わない!」


 そう言うと、その男の人改め、お兄さんが前へと出てくる。


 お兄さんが元居た場所にいる人達は、さぞかしだるそうに見えたが、気のせいだと思っておこう。


「それでは準備が整ったら教えてくれ」


 先程までの男の人が今度は普通の声量で聞いてくる。


「……はい。お願いします」


 こうして俺の緊急オーディションが始まった。

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