第3話 教えを乞おう!

 

 オーディションまで後、半月ほどになった。すでに季節は夏から秋へとシフトチェンジする直前まできている。


 そんな季節の変わり目の中、最低限の身だしなみを整え、俺は人が混む駅前で人を待っていた。


 しかし。


 奇怪な目で見られないだけでここまでノンストレスで歩けるのか……。


 2ヶ月前までには信じられない、普通の人にとっては当たり前のことを噛み締めていると、かなりごつ目のスポーツカーが俺の目の前に止まった。


 うわぁ、絶対ヤリラフィってる人だよな、ちょっと逃げよ。


 そう思い、ぎこちない動きでスポーツカーの前から逃げようとする。いくら外見が変わろうとも、陰の時代の習性は急には変えられない。


 せっせと逃げていると、少し大人びているが確かに聞き慣れた声がスポーツカーから聞こえた。

 

「ちょっとー? ひーくーん?」


 もしやと思い、ふとスポーツカーの中を覗き見る。


 そこには黒髪ロングのサングラスを掛けたお姉さんが、似合わないスポーツカーのハンドルを握っていた。


「……人違いです、すいません」


 しっかりと間違われながらも謝る陰ムーブをかましながら颯爽と逃げる。駅前でも道路沿いは人が少ない、人とぶつかることを気にせず歩ける……よかった。


「もーー! 舞だよ!! ゆーうーき! 結城舞!」


 聞き覚えのある、というか今日の待ち人の名前が出てきて、止まらざるを得なくなくなる。


「……え、ほんとに……舞さん?」


 疑心暗鬼になりながらも、振り向きざまに言う。


「はぁ、そうだって。ていうかいつからそんな陰キャかます様になったわけ?」


「いや、それは……」


 なんともいえない質問に答えようとしたが、『結城舞』の名前を聞きつけ、駅前にいた人々がスポーツカーに注目し始める。


「あーもう! 早く乗ってひーくん!」


 おもむろに指をくいくいさせながらこちらへ来いと呼ばれる。


「う、うん!」


 そう言ってスポーツカーに近づき、後部座席のドアを開けようとする、が。


「ばっか! 普通助手席でしょ! 早くおいで!」


「そんなとこまで拘らなくてもいいんじゃ……」


「早く! 人が集まっちゃう!」

 

 結局は舞さんの圧に負け、俺は助手席に座らされるのであった。



 何度か舞さんのファンであろう人々を舞さんが轢きそうになっていたが、なんとか人混みから抜け、今は一般道を走っている。


「危なかったー」


「なんか、ごめん、舞さん。でも俺の言い訳も聞いてほしい」


「……何?」


「まさかこんな陽の塊みたいなスポーツカーに乗ってるとは思いもしなかったんだよ」


「いや、陽の塊って……ひーくん何があったの……? というか逆に私が電車で来ると思った?」


「いや、それは無いけどさ……」


「でしょ? 私も一応変わったのよ?」


 ふんっ、とハンドルを握りながら威張る胸には高校の時よりも凶悪化したものがシャツのボタンを弾きそうになっていた。


 確かにこりゃ変わってるわ。


 掃除機のように吸い寄せられる視線を、凶悪なたわわから引き剥がし、前のビル街を見る。


「それもそっか。舞さん高校の時から演技、養成所の中では飛び抜けてうまかったし」


 舞さんは高校生から養成所に入り、演技を学んでいた。舞さんの演技の凄さは小学生ながら、こういうのが天才と呼ばれるのか、と感じるほどのものだった。


 なぜか仲良くしてもらっていたが、仲良くなって二、三ヶ月経った後、少数精鋭の実力派事務所から引き抜かれていった。


 最後に電話番号を交換してもらっていたが、まさかこんな時に使えるとは……というか、舞さんが電話番号を変えていなくてよかった。

 

「……ひーくんから言われるとなんだかちょっとイラつく……」


「な、なんで?」


「……はぁ、なんでもないよ」


 車が赤信号に止められ、舞さんがふぅ、と一息つくと、おもむろに視線をこちらに向けてきた。


「にしても、ひーくん5年前から変わったねぇ、体はおでぶちゃん卒業したのに、それ以外はド陰キャになっちゃって……お姉ちゃん、悲しいよ」


「相変わらずズバズバ言うね……というか、いつからお姉ちゃんになったんだよ」


「………………」


 突然舞さんの手が俺の顔に伸びてくる。 


「え、ちょっ、なに!?」


 後ろに後ずさるが、窓に背中ぶつかり、これ以上後ろに下がれなくなる。しかし、俺の動きが止まったのに対して、舞さんの手は止まらない。


 そして舞さんの手は俺の伸びきった前髪を掻き上げる。


 それと同時に舞さんは自分のサングラスをずらす。彼女の深く、引き込まれるような黒い瞳があらわになる。


「っっっ!!……やっぱ変わらないね、ひーくんは……」


 そう言ってすぐに綺麗な瞳をサングラスで隠す。だが、なぜか頬は赤信号のように真っ赤に染まっている。


「……急に自分からしておいて、何顔赤くしてるんだよ……」


 かくいう俺も凶悪なものを、これでもかと近づけられ顔が熱い。おまけに2ヶ月ご無沙汰だった息子も元気になっている気がする。


 そんな中、切実に実感する。ジーパン履いててよかった。


 気まずい状況を打破するように信号が青に変わる。


 そこから目的地に着くまでの20分、沈黙が続いたのは言うまでもないだろう。



「ついたよーひーくん」


 目的地に着く頃には今までのことが無かったかのように舞さんは切り替えていた。さすが有名女優だ。


 刑事物のドラマによく出て来そうなビルの中にある暗めの駐車場に駐車し、シートベルトを外し、ついておいでと言う舞さんに着いて行く。


 中へ入ると、いかにも高そうな内装に包まれた空間がそこにあった。


「舞さん、ここ、何?」


 思わず聞いてしまう。


「何って……今日ここで稽古するのよ?」


「え、でもこんなところにレンタルスタジオとかあったの?」


 レンタルスタジオとは、演劇やダンス、など、さまざまなことができるスタジオのことだ。個人で練習したり、仲間と練習したりする時に利用することが多い。


 まあ俺は一度も使った事ないが、基本知識だ。決して羨ましかったわけではない。


 しかし、こんな高そうなビルにレンタルスタジオがあるようには見えないのだが……。


「え、何言ってるの? ここ、私のプライベートスタジオだよ?」


「は?」


「正直月一くらいでしか使わないんだけど、事務所から貰っちゃってね。でも意外と便利で家で台本暗記がぐだった時とかに使ってるんだよ」


 ビルの高そうな内装といい、このプライベートスタジオの綺麗さや広さといい、、いくらかかってんだこれ……。


「さすが、売れっ子女優は違うね……」


「何いってんのよ! ひーくんもすぐこのくらいになれるよ!」


 一片の曇りもない笑顔でそう言われてしまうと、なんとも言い返せなくなる。


 というか、5年前仲が良かったからといっても、いつもテレビで見ている人から直接微笑まれたら、誰でもこうなってしまうだろ?


「……ありがと、舞さん」


「いいえー、ってか! なーに! 顔赤くしちゃって! 照れてんのー??」


 舞さんはまたもや俺を揶揄ってくる。すでにサングラスは外していて、綺麗な瞳があらわになっている。


 改めて舞さんを見ると、高校の時もかなりのもだったが、数段美人に磨きがかかっている。


 それに、手入れがしっかりされているだろう艶やかな黒髪に、絞られたウエストの上に確かに存在する凶器。


 この人も当たり前だが、日々成長し続けているのだなと感じる。


「なーに私に見惚れちゃってんのー? もしかして惚れちゃった?」


 にしし、と笑いながらこちらをこちらを見ている。やめてくれ。思春期真っ只中の男の子には刺激が強い。


「別に……」


「まーた照れてんじゃん! あははっ、ほんとひーくんいじり甲斐があって楽しいや」


 この後も散々いじられながらもやっとのことで、舞さんのプライベートスタジオに着いたのだったが、その時には俺のライフはもう0だった。

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