第2話 脂肪と情熱を燃やせ


 やることが決まった俺はまず、養成所に電話をし、今から二ヶ月半ほど後にあるドラマのオーディションに応募する事にした。


 自分の退路を断ち、後戻りができないように。


 久しぶりに養成所に電話をしたら受付の人も変わっておらず連絡をしたことに心底驚かれたが、快くオーディションを取ってきてくれた。役のなど詳細は聞いてなくわからなかったが、深夜のショートドラマの脇役みたいなとこだろう。  


 どちらにしろこれで逃げられない。元から逃げようなんて思っちゃいないが。


 それから俺は仕事から帰ってきた親に自分が俳優になるために頑張ると言うこと、これからの食事は制限をかけるので自分で用意すると言うことを伝えた。

 

 なぜか、父も母も涙を流していたが、息子が変わろうとするのがそこまで嬉しいのか。親の気持ちなんてわからないが、とりあえず了承してくれた事に感謝する。


 そして、俺の地獄の二ヶ月間が今、始まった。



 俺の朝は早い。4時に起床し、朝食を食べないまま朝の有酸素運動でコッテリと脂肪を燃やす。


 人間は朝になるとエネルギーが枯渇しているため、そのまま走ると体の中の脂肪がエネルギーに変換され痩せやすくなる。しかし、6時頃家に着く時には冗談じゃなく、お腹と背中がくっつきそうになる。


 そして家に着くと真っ先にお風呂に入り、しっかりと汗を流す。その後にやっと食事だ。朝は基本的に決まっている。作り置きしているサラダチキンと、サラダ、以上。


 この食事、最初はそこそこ美味しかったが、一週間も経つと、飽き飽きしてくる。ちょこちょこ0カロリードレッシングを変えたりしながら、対応していく。


 昼は自室でドラマを流しながら筋トレだ。脂肪だけ落としても、筋肉をつけなければ意味がない。腹筋、背筋、腕立て伏せにスクワット。基本的な自重トレーニングに加え、プランクなどの体幹もしっかりと鍛える。これを4時間みっちりと行っていく。もちろん体はその衝撃に耐えられるわけもなく、2日目で体がバキバキになっていった。


 しかし、できる回数で、セット数を大量に重ねていく。


 汗は滝のように俺の体から滴り落ちる。自室の床はビチョビチョだが気にしている暇もない。びちゃびちゃになっている床こそ俺が脂肪を燃やしている証拠なのだから。


 17時過ぎになり、筋トレを切り上げる。正直立ち上がる気力すら湧かないので車椅子が欲しいのだが、そうも言ってられない。


 ギシギシと鳴る自分の体を奮い立たせ、二階の自室から一階のキッチンへと降りる。一日二回のうちの最後の大切な食事だ。


 茶碗半分のご飯に豆腐。それにサラダ。正直まずい。


 しかし、名だたる有名独身(これ大事)美人女優を思い浮かべながらご飯を口に入れる。そのことを考えると幾分ご飯もマシになった。


 言っておくが、別に有名独身美人女優の『味』を思い浮かべていたわけではない。断じて。


 そして2度目のお風呂に入りしっかりと汗を流す。


 現在時刻夜の7時。これからつけるだけで筋肉に刺激を与えトレーニングをしてくれる機械を腹、足、腕に貼り付け、ベットに寝転ぶ。


 久方ぶりの快楽に涙が出そうになるが、すぐに機械の影響で天国が地獄になった。勝手に筋肉がつくなんて妄想をしていたが、そんな便利なものじゃない。筋肉がブルブル震えてキッツイ。


 そんな中でもあらかじめ調べておいた邦画、洋画に関係なく集めた『名作』とよバレるものと、『駄作』と呼ばれるもの合わせて100本の映画やドラマを見ていく。


『名作』と『駄作』をみることによって何がこの作品を『名作』たらしめるのか、『駄作』とするのか、演技かなのか、脚本かなのか、それともカメラワークなのか。


 それらを考えながら見ている時はキツさも幾分マシになった。


 11時頃になると睡魔が襲ってくる。そうした時は無理せず、機械を外し、イヤホンをつける。


 もちろんイヤホンで流すのは声劇。睡眠学習とやらだ。


 そうして俺は深い深い眠りについて、明日の地獄に備える。





 一週間が経った。2日に一度、筋トレだけを抜かす休養日を入れるが、一向に筋肉痛がとれない。しかし、確実に痩せてきている。





 二週間が経った。きつい。負荷を増やすため休養日を3日に一度にした。痩せ方は先週と変わらない。でも体はなんだか軽い。





 三週目。体がさまざまなことに慣れてきた。そのせいなのか、体重が突然減らなくなってきた。これが限界なのか?まだまだ痩せないといけないのに。減っていく体重だけが唯一の大きなモチベーションだったのに。やめてしまおうかな。性欲も溜まりっぱなしだ。そういったことも筋力が落ちるためしていない。限界だ。やめてしまおうかな。




 四週目。なんとか続けられた。それに今までが嘘のようにありえないスピードで痩せてきている。今まで夢の世界だと思っていたシックスパックが微かに、見えた気がした。自分の体に起こっている出来事全てがモチベーションになっていく。今週で最後のつもりだったが、まだまだ己を試してみたくなった。親に事情を説明し、もう一ヶ月半だけ学校を休ませてもらうことにした。ちょうどオーディションまでだ。まさか了承してくれるとは思わなかったが、快く了承してくれたので助かった。





 5週目からは早かった。6週目には目標体重を達成し、休息日を入れずともこなせるようになった。7週目には夢のシックスパックが力めば出るようになった。8週目はもはや習慣になってしまい、最低でも筋トレを2、3時間しなければ眠れない体になってしまった。


「よくやったよな、俺」


 目の前の鏡に向かって独り言を呟く俺。上から見下ろした時に足が見えなくなるほどあったお腹は何処かへ消え、チョコレートのようなシックスパックが代わりについている。体重も身長175センチの平均体重より少し下くらいまで落ちた。


 自分の姿を見て涙が出る。テレビの光だけが刺すだけの部屋で流した悔し涙ではなく、決して自分に惚れたわけでもない。


 今までの惨めな自分と決別し、新たな自分を手に入れた感動。血の滲むような努力。そして一番に、自分の新たな可能性への扉が開けたこと。それら全てが重なって、瞳からぼろぼろと溢れ出してくる。


「本当に……よくやった。俺」


 しばらくあふれる涙は止まらなかった。

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