第2話
高校二年生も高岡君と同じクラスになることができました。
これから続く時間が後悔だけにならないように、自分から話しかけてみようかとも思いましたが、
「桜井さんは小説とか読む?」
一年前と同じ状況が訪れて、私は心の中で『キタ!』と大きな声で叫んでしまいました。
ずっと心の準備はしてきたので、今度は答えないといけません。もう苦しい時間は過ごしたくありませんでした。
「……読みますよ。」
準備段階では「笑顔」も加える予定でしたが、絞り出せた言葉はそれだけで顔を上げることもできません。
それでも、目の前にいる高岡君の表情は明るくなっていました。「一歩前進」、随分と長い時間をかけた「一歩」でしたが前に進むことができたみたいです。
「どんな作品が好き?」
私は、普段使っている電子書籍端末を出した途端、高岡君は暗い表情になっていました。
「コレ、手軽に持ち運べて便利だよ。」
「便利さだけを追求してもダメなんだ。特に、桜井さんは……。」
この言葉の先は聞かせてくれませんでした。「どうして私はダメなんだろう?」……それも、「特に」と言われてしまうと気になります。
気になってはしまいましたが、「特に」は「特別」としての意味があるので、特別扱いをされているように感じてしまいます。
桜井茅乃は、意外に単純な人間だと気付かされたました。
「これ面白いと思うよ。……読んでみない?」
「変な人」……と評される高岡君は、本当に少しだけ変な人でした。
そして、意外に強引な一面もありました。
――そんなに話したいことがあったのなら、もっと早くに話しかけてくれたら良かったのに……。
そんな風に考えてしまいます。
最初に話しかけてくれた時に答えられなかった自分の後悔は、すっかり棚に上げてしまいました。
きっかけの会話さえ上手くいけば、あとは時間と共に仲良くなっていきます。ほとんどが高岡君がお薦めする本の紹介で多少の不満はありましたが、一年生の頃を思えば贅沢な悩みです。
そして、紹介される数冊に一冊の割合で、「読書好きの少女」が主人公になっている作品が含まれていたことは気になっていました。
――高岡君は、こんな子が好きなのかもしれない……。
せっかく面白い本でも、そちらにばかり意識が向いてしまって内容が頭に入ってこない時があります。この時点で高岡君が仕掛けた罠に嵌っていたらしいです。
「……ずっと聞いてみたいことがあったんだけど、聞いてもいいかな?」
「んっ?……どうぞ。」
次の「一歩」を踏み出さなければ、立ち止まっている状態と大差ありません。「一歩」も「二歩」も同じことで、あとは前に進むだけです。
「一年生の時、「テストでちゃんと答えを書いた」って言って、急に成績が上がってたけど……。どういうことなの?」
「えっ?……言葉通りで、ちゃんと答えを書いて提出しただけだよ。」
「それって、その前までは答えを書いてなかったってことなの?」
「いや、書いてはいたよ。書いてはいたけど、僕なりの解釈では不満だったらしくて、点数をもらえなかったんだ。……だから、テストで要求されている答えをちゃんと書いただけ。」
「ゴメン、よく分からないかも。……僕なりの解釈って何?」
「あぁ、例えば、俳句で「どんな情景を詠んだものですか?」って問題があるとするでしょ。その答えに「それは詠み人だけが知ることで、解釈を加えるのは野暮」って書いてたんだ。」
「えっ!?……そんなことをテストで書いてたの?」
「うん、書いてた。……「余計な解釈を加えて、作者の世界観を壊したくありません。」って書いたら、怒られた。」
高岡君が「変わり者」と言われている一端を垣間見ました。それが本心だとしても、テストでは書かないことだと思います。
「たった十七文字で表現された世界を偉そうに何倍もの文字で解釈を加えてしまえば、詠み人の世界を壊す行為でしかないんだ。その人から出てきた言葉はその人だけのものだから、他の人は楽しむだけで済ませないとね。」
「……小説も同じ?」
「もちろん。写真を見て、この人は芥川龍之介ですって答えられることに何の価値があると思う?……芥川龍之介は、自分が書いた文章で芥川龍之介だと判断される方が嬉しいはずなんだ。」
「数学は……?」
「数学は覚えただけの公式を使いたくなかったけど、公式を作ってくれた人に感謝して使うことで妥協したんだ。」
「公式を作ってくれた人への感謝が必要なの?」
「紙とペンしかなかった時代の数学者たちが、狂気の果てに辿り着いた公式をテストの為だけに暗記することは失礼だって思ってたんだ。」
「公式を作った人を調べたりするの?」
「本で読むだけだよ。正気であんな作業はできない。……だから、ただ暗記するだけじゃなくて、その人の人生と一緒に公式を読み解いていきたかったんだ。」
公式を作ってくれた人に感謝しながらテストを受ける人を初めて見ました。でも、少しだけ理解してしまう私も変わっているのかもしれません。
「ちなみに、音楽とかは?」
「音楽が一番矛盾してるかも……。『音』を『楽しむ』って授業を作っておきながら楽しんでいる子は評価されないんだ。逆に、音楽から遠ざける手助けをしてるかもしれない。」
「音楽から遠ざける手助けを授業でしてるの?」
「だって、歌が苦手な子に歌のテストを受けさせたり、あがり症の子に人前で笛を吹かせたりしてるんだ。歌が上手くなくても、楽譜が読めなくても、音を楽しむことはできるのに音楽への苦手意識を植え付けるんだ。」
「私も、小学校の時に苦手だったかも……。」
「『音楽』を『音』を『学』ぶ『音学』にしたのは、画一的にしか判断できない大人たちの怠慢だよ。ヴィオラとヴァイオリンの区別がつけられるようになるのは、もっと後でも構わないんだ。」
なんとなく屁理屈のようにも聞こえてしまう言葉が新鮮でした。高岡君は世界を広げるために色々考えていたのかもしれません。
「……でも、どうして急に画一的な判断しかされないテストで、ちゃんと答えることにしたの?」
「まぁ……、バカでは相手にされないと思ったんだ。話しかけても応えてこらえるようにしたかった。」
「……それって、私のこと?」
「そうなるかな。」
嬉しさもありましたが、「バカを相手にしない女」と思われていたとしたら悲しくなってしまいます。
「そんな嫌な人間じゃないですよ。あの時は、突然だったから驚いただけなんです。……あれからずっと、話をしたかったんです。」
勢いあまって本音まで漏らしてしまい焦りましたが、この状況で気持ちを隠すのも何だか面倒になってしまっています。
「それじゃ、あのままでも良かったんだ。それなら……。」
「ダメですよ。テストは、ちゃんと答えを書いてくださいね。」
高岡君が言おうとしたことは簡単に想像出来ました。成績を気にしなくても良ければ、また元に戻そうとしています。
「あっ、あと、もう一つ教えてほしいことがあるんだけど。」
「いいよ、何?」
「高岡君が『絶滅危惧種の保護活動』をしてるって聞いたんだけど、どんな動物を保護してるの?」
「えっ?あ、あぁ、それも知ってたんだ……。まだ、保護対象は育っていないんだよ。これから徐々に進めようと思ってるんだけど、了解を得られるのかどうか……。」
「動物に了解を取って保護するの?……そんなこと出来るの?」
「……たぶん。」
これまでの話し方と違って、少し歯切れの悪い感じがします。それでも、かなり話が出来たことに満足していました。
――高岡君って小説が好きだけど、「絶滅危惧種の保護活動」には理系の勉強が必要じゃないのかな?……それに高岡君は「文系」で進学希望だったはず。
これは大きな矛盾となります。
そして驚きは続き、誕生日にプレゼントまで渡されてしまいました。可愛らしい『文庫本カバー』と『栞』のセットです。これを受け取ったことで、私の電子書籍端末は引き出しの奥で眠りについたまま出番がどんどんなくなります。
不意打ちの誕生日プレゼント後は、日々小出しに質問が続きます。
「桜井さんは髪伸ばしたりしないの?」
私の髪は肩くらいまでの長さで短いとは思っていなかったんですが、やっぱりロングヘアの方が人気なんでしょうか。
「桜井さんはコンタクト派なんだ。……メガネは持ってないの?」
これも高岡君的には「便利さの追求」になるのかもしれません。家にいるときはメガネをかけたりもするのですが、いつか学校に来るときもメガネをしてみようと思いました。
――やっぱり、高岡君が貸してくれる小説に出ていた「文学少女」のイメージなんだ。
直接的な質問を出来るようになっていた私は、このことも聞いてみます。余計な駆け引きは時間の浪費でしかないことに気が付いたのです。
「メガネをかけた、髪の長い子が高岡君の好みなの?」
「……好みってわけじゃないけど……、いや、やっぱり好みになるのかな?……三つ編みではないから、現代版にアレンジは加えてるはずだし。」
「???」
なんだかよく分からない話になりました。でも、他の子にそんな話をしている噂は聞こえてきません。無駄に過ごしてしまった高校一年生の時間を取り戻すためにも合わせてみようかとも考えてしまいます。
ある日の朝、前を歩いていた高岡君に静かに近付いてみました。ベタかもしれないけど、いきなり『おはよう』と声をかけて、驚かそうと思っていたんです。
そんなことを考えてしまえる余裕が嬉しいです。
「あっ、桜井さん。……おはよう。」
かなり貴重な体験をする機会は奪われてしまいました。少しだけ不満気に「どうして気付いたの?」と聞いた私に、
「……桜井さんの音がしたんだよ。」
と、笑いながら答えてくれたんです。それでも納得いかない私が「私の音って、どんな音ですか?」と問いかけると、
「説明は難しいよ。……僕は、耳だけはいいんだ。」
そう話す高岡君は、普段見せてくれる表情とは違っていました。高岡君は「耳がいい」と言っただけなのに、なんだか少しだけ気になってしまいます。
「……でも、そのおかげで音楽に興味を持つことも出来たから良かったのかな?」
自分を納得させるような話し方が嫌でした。
すぐに明るい表情になってくれて、笑いながら「驚いてあげられなくてゴメン。」と言われたことが寂しいです。
この時には、自分の中に生まれている感情の正体をハッキリと理解していました。ずっと私の中にあったはずの感情だったのに、その感情を認めることが怖くて躊躇っていました。
それでも、この「好き」という感情を認めてあげなければ、これ以上前に進めなくなっていました。踏み込んではいけないように感じていました。
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