広島(前)
多くの人は修学旅行と言えば京都を思い浮かべるが、その京都で生まれ育った子供達はどこへ修学旅行に行くかと言えば、広島である。
僕たちが子供だった頃の京都は今よりも政治的に左翼色が強く、その影響もあってか反戦教育や同和教育に非常に熱心だった。
修学旅行には何かと平和教育がセットになっていて、僕の場合小学校で平和資料館や原爆ドーム、中学校では松代の大本営壕がそれぞれルートに組み込まれていた。
おそらく京都の公立学校で教育を受けた同世代の九割以上は、小中のどちらかで広島に行っているはずである。
僕はこの「原爆」の絡む平和教育が嫌で仕方なかった。
これは小学校低学年の頃、担任の女教師が「はだしのゲン」の絵本の読み聞かせするというトチ狂った授業を行ったことに起因する。
知っている人も多いと思うが「はだしのゲン」では被爆者やその遺体がかなりどぎつい表現で描かれている。これは作者自身が被爆者ということもあってリアルではあるのだろうが、10歳にも満たない子供に見せるのはいささか強烈すぎるものだった。
(思い出して調べてみたが、想像以上に強烈だった。教育といえどもこれを小学校低学年に見せるべきではないと、今でも断言できる)
しかもカラーの絵本で、女教師のおどろおどろしい解説も相俟って、感受性が強く臆病だった僕はショックで泣いてしまったのを覚えている。
以来「原爆」や「被爆者」というワードが怖くて仕方なかった。
結局修学旅行では、友達に協力してもらって目を瞑って資料館を全てやり過ごし、その後は子供らしい楽しみに溢れた旅行を楽しんだ。
それ以降、僕は公私で広島に行くことは全くなかった。無意識に避けていたのかもしれないし、もっと遠くに行くことに夢中になっていたからかもしれない。
月日が流れて20代も後半になった頃、偶然立て続けに広島と関わる作品と出会った。
「この世界の片隅に」と「仁義なき戦い」である。
戦時下の生活を描く柔らかいタッチのアニメと、戦後ヤクザ社会の暴力の連鎖を血眼のおっさんたちが演じるこの2作品は一見対極に位置するように見えるが、広島と原爆がストーリーに大きく関わってくるという点では共通している。
この2作品を観た後、僕はこのまま広島を見ないままにしていいものかと思いはじめた。
戦争や核兵器に関して、知識としては子供の頃とは比べ物にならないほど多くのことを知っているのにも関わらず、その核心であるあの資料館は見落としたままである。
それに今は昔と違って、自由に行動して、見たいものを見て考える事ができる歳になった。大人になった自分に、あの恐怖の権現であった資料館はどう見えるのか。誰にも邪魔されずに自由に歩く広島の街は、どんな景色なのだろうか。
いつしかその興味は小さな頃に患った恐怖を打ち消していた。
そして昨年の2月、僕は20年ぶりの広島旅行を敢行するに至ったのだった。
バスターミナルに着いた時、すでに時刻は昼過ぎだった。
京都からはたっぷり五時間はかかった計算になる。修学旅行では贅沢にも新幹線を使ったが、今回は自腹の旅なので片道は安価にバスで済ませることにした。
バスターミナルは紙屋町という広島市街の中心部に位置し、原爆ドームや平和資料館にも歩いて行くことができる。
宿に行くにはまだ早い時間で重い荷物もなかったので、早速資料館をに足を運ぶことにした。
通りに出るとまず目に入ったのが、図体の割に大仰な音を立てて走っていく路面電車たちだ。
広島は、おそらく日本で一番路面電車の発達した街だ。戦前から続くその歴史は、モータリゼーションで多くの都市から路面電車が姿を消す中も続き、今日まで残っている。
路面電車には、他にはない妙なかわいらしさがある。万物が1秒を争って動く世の中を、走れば追いつけそうな速度で頑張るその姿に安心感やノスタルジーを覚えるのかも知れない。
街にもゆるい空気が反映されてか、どこかゆったりとした雰囲気が漂っている。これは同じように路面電車が現役で走るメルボルンやリスボンにも共通した、路面電車があってこそ完成される、独特の雰囲気だった。
ビルの林立する電車通り沿いを5分ほど歩くと、急に景色が開けた大きな川に差し掛かる。川には相生橋というT字形の三又橋がかかっていて、その中程まで行ったところで見えてきたのは、20年ぶりの原爆ドームだった。
冬の午後の日差しはすでに傾き初めていて、原爆ドームは記憶よりもややセピア色に見えた。原爆投下から数えても75年経っているはずなので、経年劣化かも知れない。
近づいて行ってまじまじと見ると、中にかなりの補助鉄骨が入っていることに気づいた。それほどに劣化しているとも取れるし、ほぼ真上で核兵器が炸裂したにも関わらず立ち続けている恐ろしく頑丈な建物だとも言える。
半円形だと思っていたドーム部分は衝撃で片側がへしゃげていて、人の頭蓋のような嫌な形になっていることに気づいた時、有刺鉄線が軋むような鋭いいがいがした気持ちになった。
周囲の他の構造物とは違い、原爆ドームだけは明かな死の雰囲気を纏っていることに気づいた。
その後、資料館を見て周った。
最初少しだけ不安はあったが、流石に大人になっていたようで全ての展示物を落ち着いて見ることができた。
ただ、不思議なことに原爆ドーム以上に感情を突き動かされることはなかった。確かに館内では被爆者の血のついた衣類や、人骨が熱線で屋根瓦と融着したものなどの生々しいものも多く見たはずだった。そこにももちろん死の雰囲気はまとわりついていたが、あくまで切り取られた一個人や単一の死でしかないように感じられた。
原爆ドームで感じたもっと膨大な死は、その規模からくるのだろう。巨大な建物が一瞬にして無惨な姿になるその威力や、周囲に存在したであろう暮らしが、建物が、人々が、どうなってしまったかを否応なしに想像させるのだ。
僕はやはり広島に来て良かったと思った。広島や原爆という漠然とした恐怖で目を背けていたものと正面から向き合えた気がしたし、少なくとも僕だけが履修しそびれた「平和学習」とやらを取り戻せたように思う。
できなかったことができるようになるのは、いくつになっても嬉しいものだ。
原爆ドームから少し歩いたところにある病院の横に、原爆の爆心地を示した碑がある。そこでしばし空を見上げてから、ぼちぼち宿に向かうことにした。
アンニュイ紀行文 @nickbalbossa
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