淡路島(後)
冬の日没は思ったよりも早く始まり、洲本に着くともう暗くなり始めていた。
国道沿いに大手の量販店や外食チェーンが軒を連ね賑やかだったが、逆に言えば地方に行けばどこでも見られるありきたりでつまらない風景だった。岩屋に比べると活気は多少感じるが、情緒がない。
バスの道中で友人に連絡していたが、仕事が終わるのにまだ1時間ばかりはかかるようだった。
停留所に着く前に大きな煉瓦作りの建物が見えたような気がしたので、ひとまずそちらを見物することにした。
建物はどうやら何かの工場跡のようで、建物の横は広い芝生公園になっていた。見たところ明治か大正頃といった独特の重厚感があり、内部はかなり観光用に整備されている様子だった。
案内板を見ると、カネボウの前身である鐘ヶ淵紡績の工場と倉庫だったらしい。
言っては悪いが辺鄙な島なので、百年も前にここまで大掛かりな工場があったことはかなり驚きだったが、恐らくは地理的な要因でこの地に作られたようだった。
工場跡の直ぐ裏側が湾に繋がる河口部に面しており、船からの積み下ろしが容易だったのだろう。特に紡績は大量の原料と製品を同時に捌く必要があるので、この立地は甚だ有利だったに違いない。
水運が主な運輸手段だった頃、大型船舶は沖留めされていたはずなので、この川には荷を中継する小舟や艀が行き交っていたのだろう。
僕は史跡を見るとき、往時の姿を想像する出来る瞬間が一番好きだ。
実際はただの暗い水路だったが、島民や技術者たちが行き交ったであろう川の姿を想像するのは楽しかった。
友人のKと合流したのはその直ぐ後だった。彼は新卒で兵庫県の金融機関に勤めていたが、配属一発目で最僻地の淡路島を引き当てるという面白い運の持ち主である。
本人は嫌がってはいたが元々の人格が素朴なので、田舎町に辟易している様子もなく元気そうだったのが幸いだった。
晩飯は何を食ったかは覚えていないが、学生時代の話や卒業前に行ったベトナムの話をしたと思う。
彼は翌日も仕事があったので早めに切り上げて、借りているワンルームアパートで泊めてもらった。クリーニング店のハンガーが大量に置いてあり、スーツを着て毎日仕事をするのは大変だろうなと思った。
翌日はKに合わせて朝早く出た。前日に増して天気が悪く、今にも降り出しそうな天気だった。
チェーンの牛丼屋で朝飯を済ませて、洲本の町をしばらく歩いたが、特に目新しいものは見当たらなかった。
いよいよ行き先を決めなくてはいけなくなった。洲本にはこれ以上見るものもなさそう
なので、どこかに行くなり戻るなりしなければならない。
天気も悪いので四国に行ってしまってもいい気がしたが、そういえば「ナンダン」の謎をまだ解いていないことに気がついた。
おそらく、もう淡路島だけをぶらぶらと歩くような機会はあまりないと思い、せっかくなのでまだ見ていない島の南端の集落まで行ってみることにした。
バス停までの道中、ついに雨が降り出した。傘を持っていない時の冬の雨ほど鬱陶しい
ものはないが、バスを逃すと次までずいぶん間が空いてしまうので、濡れながら走った。
福良まではまた一時間を要した。
福良はどちらかというと岩屋に似た漁村だったが、湾が大きいため集落も広い。
ただ岩屋と同じく道路の恩恵は素通りしていっている様子で、曇天と寒さも合間って陰惨な雰囲気だった。雨は降ったり止んだりで、傘をさすまでもないし、傘を売っているところもないと見える。
それにしても寒い。冬でも暖かいナンダンとは結局なんだったのか。夏目雅子も見当たらない。
蟹のはさみのように奥まった湾全体が集落になっているため、集落の両端が縦長に伸びる形になっている。僕ははさみの左側を海に沿って歩いてみた。
岩屋と違うことは、人の気配や往来が多いことで、その理由は海辺に立ち並ぶ水産加工場にあった。もう昼も少し過ぎているので片付けに入っているところが多いものの、とりあえずは人の営みが感じられて少し安心した。
断続的だった雨が強まってきた時、ちょうど一軒食堂が見えたので昼飯を済ましに入る。
店内は驚くほど混雑していて、様子を見るに半分以上が観光客のようだった。たまたま入った店だが、どうやら当たりの予感がした。
注文が終わってビールを飲みながら改めて周りを見回すと、古めかしい店構えもさる事ながら、中途半端な漫画や古雑誌が雑に置かれた本棚、壁を埋め尽くすメニュー・謎の格言・微妙な人のサイン、汚い招き猫、恐ろしくらいに地方の食堂の特有の装飾感覚をしている。嫌いではない。
手持ちぶさたでメニューを眺めていると、裏に少し古い淡路島の観光地図が挟まっているのが見えた。
「ああ」思わず声が出た。南淡だ。
ナンダンは南段でも南壇でもなく、南淡という今は消えた市町村名だった。古い地図には旧市町村名が記されていて、今ここを含む淡路島の南端部分が南淡だったのだ。
店を出るともう雨は止んでいて、少し日差しも出ていた。
腹はいっぱいで、少し酔いも回っている。「冬でも暖かい」南淡の日差しが薄く濡れた上着の背中を暖めた。
どうやら僕は満足したようだったので、その足で三宮行きのバスに乗って帰路に着いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます