淡路島(前)

京都に住んでいた時は、定期的にどこか遠くへ行ってしまいたい衝動に駆られた。


普段は気に入っている三方を山に囲まれた土地が妙に窮屈に思え、閉じ込められているような圧迫感と何かに追い立てられ続けているような焦燥感が、じわじわとつま先から這い上がってくるのだ。


友達と昼から酒を飲んだり、映画を観たりと現実逃避をしているうちにやり過ごせていたが大半だったが、それすらも叶わないような心持ちの時は、素直に街を出ることにしていた。


電車に乗れば大阪やら滋賀やら、ちょっと足を伸ばせば神戸へも出られるので、あまり知らない街で途中下車して、ぼんやりしたり、大抵は酒で酩酊してから家に帰っていた。





ある年の初冬、とてつもなく大きなそれが来て、いてもたってもいられない気分になった。


おそらくこの気分は到底いつもの手段では抑えきれないと考えたので、最低限の荷物をカバンに詰めて、2日ほど帰らないかも知れないことを家族に伝えて家を出た。


阪急沿線に住んでいたので、最寄駅から電車に乗って、行けるところまで西へ西へと行ってみようと思った。


阪急電車を十三、三宮と乗り継ぎ山陽電鉄に乗り換えると、須磨を過ぎたあたりから車窓より海を眺めることができる。


そのあたりまで来るともう淡路島の島影がはっきりと見えてくるのだが、それを眺めているうちにふと「瀬戸内少年野球団」で郷ひろみ演じる傷痍軍人が、「淡路島のナンダンは冬でも暖かい」と言っていたのを思い出した。


ナンダンが何を意味するところが観た時はわからなかったが、「南段」か「南壇」とでも書くのだろうと検討をつけていた。


「南」は間違いないだろうから、淡路島の南側のことを指すのだろうか?それとも南向きの段々畑をそう称するのだろうか。


「ナンダン」の真相が気になり始め、とりあえず淡路島に渡ってみるのもいいかなと思い始めた。





明石駅で降りた。


淡路島までは垂水から高速バスで橋を渡っていく方法と、明石から高速船で海峡を渡る方法があったが、僕は船が好きなので高速船を選ぶことにした。


明石の街は穏やかで、寂れすぎず賑やかすぎず、妙に落ち着きのある風に思えた。


港町特有の賑やかさと山手の穏やかさのちょうど中立地帯といった雰囲気に思える。


いつかに僕の両親が家を買う際に、京都と明石とで最後まで悩んだといっていたが、この雰囲気にその理由がある気がした。


僕もここで育ち学校に通い、友達を作って成長する可能性があったのだ。


不思議な親近感を覚えながら、商店街の周りをうろうろした。





せっかく明石に寄ったので商店街で明石焼きを買い、待合所で食べようと船着場に行くと、ちょうど船が出発する時間帯だった。


明石海峡を車の何分の一かの速度で進みながら、船上で明石焼きをつまんだ。


僕はこの時明石焼きを初めて食べて今日まで、美味い明石焼きというのを一度も食べたことがない。


味のない卵焼きを薄い出汁で流し込んでいるように思えて、食べ切りはしたが好んで買うようなものではないように感じたし、今もって良いものに当たったことがない。





船は橋の下を潜り、明石から見て橋の左側に位置する岩屋という集落についた。


明石に比べて格段に寂れている。おそらく漁民が多く住む雰囲気なのだが、過疎と高齢化の影響か人影が見えずひっそりとしていた。


地図で見ると本州につながる橋のちょうど袂に位置するように見えるが、実際には橋は丘陵帯のてっぺんに繋がっており、集落はその丘陵帯の北面と海峡の間にへばりつくように存在する。


集落のほぼ真上を通る橋はつながる道は丘陵帯を貫いて南に伸びていて、本州四国からの自動車とその恩恵は、岩屋の集落の頭上を素通りして行っている様子だった。


集落は古い漁村のようで、港と中心の道路を除くと、密集する木造家屋と細い路地で構成されている。全体が人間のサイズに合わせて長い年月をかけて成立していった、自動車以前の古い集落という趣が、僕にはとても好ましく思えた。


人間のために作られた人間だけの道は、真ん中を堂々と歩く自由がある。人間以外の何者にも脅かされないという現代の道にはない安心感がある。


ただ、その集落を構成したであろう人たちは大部分は海を超えて帰って来なかったようで、残ったものも老いてしまい集落も活気を失った様子だった。





船着場で手に入れた淡路島全島の地図によると、島の東側のくびれているちょうど真ん中に洲本という大きな町があるようだ。


僕はこの時まですっかり失念していたのだが、学生時代の友人が転勤で淡路島に住んでいるというのを以前聞いたことがあった。確か住まい一番大きな町と言っていたので、洲本だったはずだ。


この日の宿を求められるかも知れないと駄目もとで連絡を入れると、頃合いが良かったのか返事はすぐに返ってきた。友人の住まいは確かに洲本で、仕事が終わった後で良ければ泊まりに来ても構わないとのことだった。


洲本まではバスで一時間ほどで着くようだったが、まだ昼もそこそこの時間なのでもう少しこの岩屋で滞在ができる。


商店などを見流しながら集落を歩いていると、板張りの多い家並みの中に一見だけ暗い水色に塗られた擬洋風建物が目についた。


おそらくは戦前に建てられたであろう見様見真似で作った洋風といった門構えが妙に可愛らしかった。門の上に赤い文字で大きく「温泉」書いてあり、湯の暖簾もかかっていのを見ると風呂屋らしい。


温泉かどうかは怪しいものだったが、体も冷えてきた頃合いなので風呂で時間を潰すことにした。





内装はかなり古めかしいが手入れはよく行き届いている様子だった。特に木製のロッカーは重厚で、ここほどのものは古い銭湯が多く残る京都でも観たことがない。


風呂は中央に大きな楕円形の湯船が鎮座し、端に据えてある小さな水風呂の他はカランすらなく、体を洗うには湯船から桶で湯を掬うしかない大変に古い形式だった。


時間がよかったのか、僕の他には漁師らしき老人が一人いるだけだったので、割合のんびりと過ごすことができた。風呂は水道水ではなさそうだがかと言って温泉でもなさそうな泉質だった。





風呂に浸かりながらこれからのことを考えた。


洲本に向かい友人の家に泊まることは決まったが、その後を考えるのがどうにも億劫だった。少なくともまだ家には帰る気がしない。


洲本は大きな町だから、おそらくはどこへでも行ける。島のどこへもバスぐらいは出ているだろうし、その気になれば四国に渡ることもできる。


とりあえず、まだ足が止まりそうにないなら行けるところまで行ってしまおうと思った。実際、今ここで確定することも面倒であるし、後の気分に任せたほうが後悔もなさそうなので、それ以上考えることをやめた。


流れるに任せることを決め込んだ僕は、風呂を出てすぐに来たバスに乗って洲本に向かった。



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