殺戮オランウータンと不要探偵

Bar:バー

第1話 要るや要らざるや

私が探偵を始めたのは、不要なモノを切り落とした結果である。

当時、友人だった男とたまたま行った旅館で殺人事件が起きた。

痴情のもつれで起きたありふれた殺人に見えたこの事件は、目撃者の口封じ、脅迫者への反抗を経て、3名が犠牲になる連続殺人に発展、犯人が崖際で自白するまで実に半年が浪費された。


その時、深く後悔した。

「一目見て分かるでしょ。この若い従業員、被害者の娘ですよ」

始めにそう言っておけば、どれだけ良かったかと。


私には分かっていた。一目見て、何が起きたのか分かったのだ。

しかし、それを言うや言わざるや、と考えているうちに連続殺人。

ああ、何ということだ。私しか気が付いていなかったのだ。驚くべきことに。

切れ者と名高い警部すら、3人目の被害者が出るまで気がつかなかったのだ。


なんて……なんて、無駄が多いのだろう。


だから不要なモノを捨てることにした。

遠慮を捨て、デリカシーを捨て、正式な手順を捨て、あと、ついでに友人だった男とも縁を切った。

アイツは本当に不要だった。


最短最速での解決。

可能なら事件が起きる前に止める。

どれだけ異物扱いされようが、私自身のセンチメンタリズムすら、解決の前には不要だ。


割り切った態度と迅速な対応から、私は今では”不要探偵”を呼ばれ、難事件の解決に追われる日々を送っている。


そんな私が今、頭を抱えてうずくまっている。

複雑な事情を抱えた事件には慣れているが、今回の事情は奇天烈すぎる。


遡れば、この事件は依頼からして妙だった。

「なんだ、殺戮オランウータンって」

私の問いに依頼者―――正確には、依頼者の代理人―――は、しどろもどろに答えた。


「いえ……あの……”俺は殺戮オランウータンだ”と自称するオランウータンが居りまして」

「名乗ったのか。と、言うか喋るのか」

「名乗りました。喋りました」

「それで、ソイツが”私に会いたい”と」

「はい……不要探偵と話をさせろ、と言っています」


アホらしい話だったが、私は報酬に釣られた。

オランウータンが持っていた金の像が報酬だったのだが、これがマクガフィン文明の遺物らしく数億の値がついていた。


そして、殺戮オランウータンと面談することになった。

檻に入れられた彼は、私の顔を見るなりこう言った。

「やぁ、先生。天使より善良で悪魔より悪辣なものを知ってるかい?」

「”人間”だったか? レクター博士ごっこをしたくて呼んだのか?」

「正解は、類人猿だよ」

オランウータンじぶんを含めるために答えを拡張するな」


殺戮オランウータンは、ケタケタと毛むくじゃらの身体を揺らして笑う。

「本当に無駄なおしゃべりが嫌いらしい。不要探偵と言われるだけのことはある」

「分かっているなら本題に入れ」

「ああ、俺の名前について考えてほしいんだ。俺は答えが欲しい。だから過程を省略できる貴方に依頼した」

「名前も何も、自分で名乗ったんだろ。”殺戮オランウータン”だと」

「考えてほしい、と言っただろ。この世界には探偵が存在する。なら、必要とされているのは”殺人”だ」


私は少し思案して、彼の言葉の真意を理解した。

「なぜ”殺戮”なのか、ということか?」

「そうだ。殺戮はだ。連続猟奇殺人が前提になる」

「お前が連続猟奇殺人を行って、そう名乗っただけだろ」

「俺は誰も殺していない。まあ、今のところは、だが」

「なら何故、殺戮オランウータンと名乗った?」

「名付けられたからだよ。誰かも分からない、誰かに」


殺戮オランウータンを名乗る殺人未経験オランウータンは続ける。

「名前とは、そうあって欲しい、という願いだ。だから俺はその意味を知りたい」

「意味も何も、そのままだろう」

「なあ、先生。俺は名の通りになるべきか?」

「殺人を見逃す気はない」

「立派な探偵さんだ」


喋るだけのただのオランウータンは俯いて、少し黙ったあと、不要な質問をした。

「そういえば、先生。名前は?」

「捨てたよ。不要だから」

「不便だろ」

「……行政書類以外は偽名を使っている」

「それこそ不要な手間じゃないか」


毛むくじゃらがまたケタケタと揺れた。


短い沈黙を挟んで、私は言った。類人猿と沈黙を共有する時間など不要だ。

「分かった。私に分かる事をお前に教える」

「俺に同情してくれたのかい? 先生」

「違う。依頼料は既に受け取っている。それだけだ」

「そうだったな。それでも嬉しいよ」

「その礼は不要だ」


私は答えを探した。

私は推理をしない。推理とは探偵がするような、情報を結びつけて背景を推しはかる作業だ。

探偵たちが問題文を読み解き、数式を書出し、答えを仮定して立証する間に、私は回答集を読み答えを書き写す。


そして、私は頭を抱えた。


分かった。分かってしまった。

言いたくない。だが、言わねばならない。

このためらいは、解決のためには不要だからだ。


「……分かったことがある」

「なんです?」

「この小説のカテゴリーはミステリーではない。その他だ」

「カテゴリー? 何を言ってるんですか、先生」

「君が”殺人オランウータン”ではなく”殺戮オランウータン”なのは、推理役を必要としない存在だからだよ」

「どういうことですか?」

「不要なのは探偵役の方なんだ。君の存在は”探偵モノに登場する意外な犯人”ではなく”荒唐無稽なモンスター”だ」

「そんなことって……俺は、せめて探偵のライバルらしく振舞おうと……」


泣き出しそうなオランウータンの顔を見て、不要な言葉が、つい、私の口から飛び出した。

「そんな気遣いは不要だ。お前は、お前が望むモノになって良い」

「……ありがとうございます。ありがとうございます。先生」


オランウータンは力強くうなづくと、両腕で檻を掴み、一気にこじ開けた。

「俺、モンスターとして頑張ります」

「え?」

「先生。最初の犠牲者になってください」

「は?」

「先生のことは忘れません。絶対に。俺をモンスターにしてくれた存在とか、俺の恩人にして最初の犠牲者とか、そんな感じで悲劇的に語り継ぎます」

「不名誉極まるんだけど?」


ああ、本当に不要なことをした。

不要なのは探偵役の方だった。


さきほどまで、悩めるオランウータンだった喋るオランウータンは、私を引きちぎることで殺人オランウータンになった。

そしてこれから凶行を繰り返して、殺戮オランウータンになっていくのだろう。


ああ、いや。そう考えると私は必要な犠牲だったのか?

モンスターの誕生には。


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