寡夫イサム.人柄

寡夫:イサムさんの診察室を出ると、私を探していたのか黄色いアロハシャツを着たタニザワ老人が歩いてくる。サーファーみたいに浅黒い肌に焼いてきたようだ。

「おお。ハツネさんいましたか。イサムさんの面会希望がまた来ています。一応お知らせの程を」

なんとなくやりましたという顔でタニザワさんは顔を作っている。服の裾から見える義足がきらめいた。

「ふふ。似合ってますね。タニザワさん」

そのまま満足した顔でタニザワさんは薄明かりの廊下を歩いていった。

私はまだ日差しの明るい広間の方へと向かう。

観葉植物がわざとらしく飾られた、白くきれいな応接間で五人と相対する。ちょっと威圧的だ。

いつものイサム後援会の三人と、イサムさんに感謝を伝えたいと言っている若い男女が一組だ。

イサム後援会は先程の幼馴染のタカシさん。その弟のルミさん。イサムさんの財団の会長のマサキさんの三人。

タカシさんは老いたながら長身で背筋の伸びた壮年の男。

ルミさんは同じく老いてるもののきれいな髪をした老婆のような男。

マサキさんは目つきと口が悪い中肉中背の青年だ。

口を開いたのはタカシさん。不安げな顔でまた告げる。

「イサムは、イサムは本当にもう治らないんですか?」

何度も見た涙を流す。ウソではなく、この老人は本当に泣いている。五十年の信頼と友情と、幼馴染が消える選択をした歯噛みと、それと知ってる通りの実直な人柄と、イサムさんの人望のせいだろう。

「兄さん。わかるけど、わかるけどイサム兄さんが面会をしたくないって....わかってあげてよ」

苦虫を噛み潰したような慰めの顔。これもウソではない。この老婆のような男は本当に悔しがっている。五十年の信頼と慕情と、恩人がもうすぐいなくなる悲しみと、優しい人柄と、やはりイサムさんの人望のせいだろう。

だがこのマサキさんという人は二人ほど善良でなく、そして熱情を抱いた人だ。

「お医者さん」

と冷たい言葉を放つ。

「何度もいいますが、イサムさんの命をあんたに握らせるわけにはいかない。ここが非合法であることも、あんたがしてることも俺は容認していない」

詰め寄られた。見上げる形で威圧される。怖い。

「イサムさんの命あるうち、同意あるうちは容認するよ。けどこのままだと死後どうなるか理解してるんだろうな?」

形だけの脅し、ではないだろう。怖くて揺れる体と吹き出る汗とは別に、私はこのひとの中をきちんと観察してしまう。

この人はほんとうにイサムさんが大好きだ。尊敬している。崇拝と言ってもいいかもしれない。

イサムさんの人柄や行動、それらすべてに憧れと理解を抱き、しかしそれになれぬことを知っている。

だからイサムさんを助ける道を選んだ。彼にはイサムさんが必要なのだ。

イサムさんからは疫病神と心で呼ばれていたけども。

マサキさんはそのうち瞬間だけ溜めた涙をふいて、私に向かい合う。少し思慮の淵にいたみたいだ。

「お医者さん。本当にイサムさんは安らかに死ねるんですか?」

「.....必ず」とうなずく。もう儀式みたいなものだ。人が安らかに逝く時は、周りほど泣いてるもので、私は責められるものだ。

皆整理がついてない。誰かを責めることでイサムさんの最期が安らかであれば、それは私の役目だ。医者でもなくハツネの。

たとえ演技だろうと、ポーズだろうと、それで己の感情を放出せねばきっとあの人の死は乗り越えられない。

それほどまでに大きな聖人なのだ。

若い男女は曖昧で感情が籠もった稚拙な言葉で感謝を言う。もちろんイサムさんに対してだ。きっと彼はまた人を救った。

この二人はなんという呼び方をされていたのかは気になったが、私はそれを知る必要があるときに知るのみだ。

彼にとって愛する隣人で、男女にとって敬愛するべき偉人で、彼のうちでは多分、数多くのその他であることはわかっている。

それでも取りこぼすこと無く、数多くの人に利他ができるのがイサムさんである、と私は解してる。

故にこの五人の感情は私が引き受けた。

号泣に変わりつつある五人に引き取り願わねば。

「いつもどおり、講演にはでたいと言っております。回線越しですが会話もまだ可能です」

「なので、相対することはお控えください....」

睨み、悲しみ、怒り、落胆し、しかし彼の意思を喜んだ。

ほんとうに沢山の感情を受け取り、ほんのり気持ち悪くなる。

送り出し、トイレに向かい、胃の中のものと一緒に吐き出した。

洗面所に向かい合った私の髪はまた白く、細く弱くなったように見える。

まだ笑顔は作れる。だから元気だ。大丈夫。

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