圧力と管理

 僕が母に呼び止められたのは、4月1日の朝だった。

「健、ちょっと聞いて」

「なに」

「あんた、ずっとどこかに行ってるわよね」

「うん」

 僕がよどみなく答えると、突如母の硬い拳が僕の頭の上に振り下ろされた。母の体重を乗せた鉄拳が、僕の頭に潰れるような痛みをもたらす。

「遊びに行っていいのは小学生まで!あんたは家にいなさい」

「……なんで」

「口答えしないで。いい?あんたは勉強して、いい成績を取ってればいいのよ」

「どうして」

「それが学生の本業だから」

「なにそれ」

「とにかく、部活するなら遊びに行かない。そうよね?」

 約束した覚えのないことを聞かれ言いよどむ僕の肩に、今度は母のカバンが直撃する。金具が当たったのか、頭の中が真っ白になるような痛みが走る。

「ゔっ」

 母はさらに玄関に置かれている箒の柄を振りかざし、僕に数回振り下ろした。声にならない苦痛が、口からうめき声となって漏れる。倒れたままの僕を放置して、母は仕事に出ていった。




「……丸木くん、丸木くん!」

 竹田さんの声で、僕は目を覚ました。

「……ここは」

 一瞬の期待を込めて目を開けたが、そこは僕が痛めつけられた玄関であった。

「丸木くん、しっかりして。今救急車を呼ぶから」

「……」

「どうしたの?とりあえず……電話はどこ?」

 僕は這いつくばって竹田さんを追った。

「やめて。救急車は呼ばないで」

 竹田さんは怪訝そうな顔をした。

「どうして?」

 僕はずっと恐れていた事を並べた。

「救急車を呼べば僕は怒られる。それに、児童相談所にも連絡が行く。そうなれば、僕は二度と竹田さんに会えなくなるかもしれない」

「どうして?児童相談所に連絡が行けば、保護されるでしょう?」

「保護されたとしても解除されたらうちの親が黙ってはいないと思う。それに、竹田さんが通報したとなれば二度と会うなと言われるに決まってる」

「……それでも」

「それに、こんなのいつものこと……とまでは言わないけど、よくあることさ。だから、心配しないで」

「心配しない方が無理に決まってるでしょ」

「……それでなくても二度と会えないかもしれないのに」

「え?」

「部活をするならそのあとまっすぐ帰ってこいって言われた。つまり、竹田さんの夕食は作れない可能性が高い」

「……」

「大丈夫、殴られてでも夕食は作るから」

「そんな……ダメだよ」

「ダメとか良いとかじゃなくて……」

 竹田さんは目を潤ませて、僕に訴えかけるように言う。

「前から思ってたんだけど、丸木くんって自分のこと大事にしないよね」

「え?」

「大丈夫、私が助けてあげるから。とりあえず丸木くんは横になってて。何か作る」

「いいよ、別に」

「いいから。頭がまだクラクラしてるんでしょ?」

「なんでわかるの」

「足下がおぼつかないのによく隠せてるって思ったね」

「……」

「まあいいわ、お茶でも淹れてくるから」

「お茶なんてないよ」

「思ったより悲惨だね」

「まあね……」

 僕と竹田さんは、昼前のリビングで無言のまま隣り合っていた。

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