幸せと不幸せの境界

 お茶が終わると、お嬢様は本を閉じたまま僕に言われた。

「丸木、話を聞いてくれる?」

「なんなりと」

「私は、今日の絵本は私たちみたいって思ったの」

「……それはどのような」

「私たちはお互いをきれいに塗るクレヨンなのよ。お互いのうわべを塗るだけで中身は変わっていない。でも、表面上は変わっているでしょう?」

「中身も変わっていると存じます」

「どうして?」

「少なくともこうしていなければ、去年の今頃には心が折れていたはずですから」

「そういえば去年の今頃だったわね、丸木が執事になったのは」

「ええ」

「あの頃はまだこうしていられる日も週に4日ぐらいだったわね。忌まわしい記憶だけれど、懐かしいわ」

「そうですね」

 僕はこんな話をしながら、僕はこれが現実ならどれほどよかったろうと思っていた。現実なら、どれほど幸せだろう。

「下手をすれば発展途上国の子供たちよりも私たちの方が不幸せだったかもしれないわね」

「なぜです?」

「あの人たちには『まだ国が発展していない』という見える足かせがあるけれど、私たちにはそんな足かせなんてない。どこへでも歩いて行けるはずなのに、どこへも行けないのは不幸せなことでしょう?まあ、私たちの物差しで発展途上国の子供たちが不幸だと語るのは愚かなことですけどね」

「……」

「気にしなくていいですわ、私にはまだ丸木がいますから。少なくとも私は幸せですわ」

 お嬢様はそう言って、クスリと笑われた。無理に出したお嬢様言葉は、僕に少しばかり刺さった。

「高校はどこへ行くつもりなの?」

「なるべく近いところに行きたいですね」

「どうして?」

「ずっとお嬢様にお仕えしたいからです」

「その頃には彼氏ができているかもしれませんわよ?」

「そのときはお仕えするのをやめるのみですね」

「なら私は恋愛しませんわ」

「……したくなったらしていただきたいです」

「丸木のそばを離れたら生きていけません」

「そうですか……それではご随意に」

「どちらが主人か分かりませんわね」

「申し訳ございません」

「いいのですよ」

「ところで、部活のお話はいかがいたしますか?」

「もちろんそのまま続けるわ。丸木は大丈夫でしたの?」

「ええ、なんとか許可が降りました」

「よかったわね。ではそろそろ買い物に行ってきなさい」

「かしこまりました」

 僕は財布とエコバッグを入れた鞄を持ってドアを開け、最寄りのスーパーマーケットに向かった。買うものは頭の中に入っている。スーパーマーケットに着くと、僕はブロッコリーとカブ、特売の豚肉と玉ねぎをかごに入れ、レジに向かった。レジで1980円を支払ってエコバッグに野菜を詰めていると、前方に嫌な気配を感じた。

「……」

 おそるおそる顔を上げた僕は、ゆっくりと顔を伏せた。そこを両親が通りかかるのを見てしまったのだ。エコバッグに野菜を詰めながら、親が完全に店の奥に入るのを待つ。親の姿が特売品コーナーに消えるのを見るやいなや、僕は脱兎のごとく店を出た。危ないところだった、そう思いながら帆花お嬢様が待つ竹田家へと帰る。そうして僕は、夕食づくりに取りかかった。

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