黒き波は女王と共に①
バルバセス皇国は、神聖皇国側のイージス教を国教とする国である。
11大国である合衆国より南に位置し、小国が集まる地域の小さな国のひとつであった。
「上はなんと言っている?」
「はっ!!神聖皇国からの援軍があるそうで、それを待てと」
「もう3日目だぞ。何時になったらその援軍が来るんだ?リットン教会国がいつ攻めてきてもおかしくないと言うのに........」
バルバセス皇国の将軍であるレジクト・アッサムは、睨み合いを続けているこの現状に不満を募らせていた。
神聖皇国が正教会国に宣戦布告してから早一ヶ月と半月。
正教会国側のイージス教を国教とするリットン教会国は、隣国であるこの国に宣戦布告をしてきた。
バルバセス皇国もリットン教会国が宣戦布告することは分かりきっていた為、既に軍は準備をしておりすぐに国境部にある平野に展開。同じくして、リットン教会国も兵を展開し睨み合いが続いている状況である。
何か一つでもきっかけがあれば戦争が始まるのだが、そのきっかけをどちらも作らない。そんなモヤモヤとした睨み合いが3日も続いているとなれば、不満のひとつも出るだろう。
敵を目の前にしてそれを倒せないと言うのは、歯に詰まったゴマがなかなか取れない様な気持ち悪さがある。
この戦場の最高責任者であるレジクト・アッサムだが、上の意向を無視する訳にも行かない。
既に、戦端が開かれているというならもとかく、嵐の前の静けさである今は上のほうが立場的には偉かった。
「援軍とやらの情報は?まだ来ないのか?」
部下に怒っても仕方がないとは分かっているものの、その怒りが僅かに滲み出てしまう。
不幸にも怒りの矛先になってしまった部下は、怯えつつも背筋を伸ばして対応した。
「い、いえ、それが何もないのです。どれだけ問い合せても“援軍”の一点張りでして........」
的を得ない解答。怒りに身を任せ、レジクトが机に拳を叩きつけようとするその時だった。
兵士の1人が慌てて天幕の中に入ってくる。
「将軍!!空から『ドン!!(机を叩く音)』魔物が!!」
「........」
「しょ、将軍!!空から魔物が!!」
「何?!五秒で迎撃しろ!!」
タイミング悪く天幕に入ってきた兵士は2度同じことを言うと、レジクトは的確に指示を出す。
空から来る魔物。つまり、飛行系の魔物は、早めに処理をしておかないと酷い目にあうことが多かった。
流石にドラゴンが相手ともなれば処理をしようがしまいが、酷いことになるには変わりないが、この辺りを飛ぶ魔物と言えばロックバードだけだ。
中級魔物以上、上級魔物以下と言われる程度の魔物であれば容易く撃ち落とせるだろう。
しかし、報告にきた兵士は、なにか焦ったように言葉を続けた。
「そ、それが────────」
「お邪魔するわね」
ぬるりと現れたのは、両目をその長い黒髪で隠した女。
口元だけが見えており、そな表情を読み取ることは慣れていないと難しいだろう。
上半身は、人間と何ら変わりないものだったが、下半身が大きく違う。蜘蛛の胴体を持った女の魔物。そう言われて思い当たる魔物は1つしかない。
レジクトもその正体に気づき、震える声を何とか抑えて呟いた。
「“蜘蛛の女王”アラクネ........だと」
「あら、私の事を知っているのね。初めまして。バルバセス皇国の将軍レジクト・アッサム........だったかしら?私は傭兵団
「........は?」
レジクトは、アンスールと名乗ったアラクネの言っていることが分からずに固まる。
上が言っていた“援軍”とは、この魔物の事なのだろうか。そんな事を考えることもできず、頭の中が真っ白になっている感覚だけがその場に残る。
軽く頭を下げたアンスールは返事がないのを不審に思って軽く首を傾げるが、本人が原因だと気づいていない辺り、少し天然と言えるだろう。
「あら?名乗り方を間違えたかしら。ジンに教わった挨拶ではダメなのかしら?」
「........っは!!え、えーと、アラクネ殿?」
どうしたものかと悩むアンスールを見て、ようやく正気に戻ったレジクトは、アンスールに話しかける。
相手が厄災級の魔物だと言うのに恐れることがなかったのは、上半身だけとは言え人間らしい見た目と理性的なその口調からだろう。
そして、レジクト達は本能で理解している。
この魔物を怒らせようものなら、命はないと。
レジクトは意識することなくその口調が敬語になる。
「アンスールよ」
「あ、アンスール殿。その、神聖皇国からの援軍と言うのは貴方なのですか?」
「えぇ、そうよ。だから、安心しなさい。私が来たからには、こちらの被害は一切無しで戦争を終わらせてあげるわ」
レジクトは、こんな時どんな顔をすればいいか分からなかった。
レジクトも知っている。子供の時に読んだ本の中に出てきた“蜘蛛の女王”の恐ろしさを。
伝説上の生き物だと思っていた者が、目の前に現れ、あまつさえ、この戦争に参加するというのだ。
しかも、よく分からない傭兵団の名を名乗って。
レジクトは迷ったが、ここで“否”という気にはなれない。
怒りを買えば、こちらにも被害が及ぶかもしれないからだ。
「よ、よろしくお願いします。我が軍も手を貸しましょう」
「要らないわよ。むしろ、下がってなさい」
「しかし、それでは──────────」
「下がってろと言ったのが、
僅かに漏れた殺気。
ほんの僅かにした不愉快な顔。
肌がヒリつき死を錯覚するその殺気は、その場にいたものだけではなく天幕の近くに居たもの達まで伝染する。
誰しもが死を確信し、誰しもが体を震わした。
逃げようにも体が動かない。腰を抜かそうにも、体は何一つ言うことを聞かない。恐怖のあまり、気絶してしまうなんて事もあるが気絶すら許されない殺気。
圧倒的強者による殺気は、弱者にとって死刑宣告に近い。レジクトはその立場があった為、何とか平静を保ったフリをしたものの、その締りの悪い“一物”からは涙が溢れ出ている。
周りを怯えさせてしまったことに気づいたアンスールは、僅かに漏れだした殺気を慌ててしまうと少し頬を赤らめた。
「ごめんなさい。私の団員ならば平静と受け流す程度だったから、つい........」
「い、いえ、お気遣い下さり感謝奉り候でござるであります」
あまりの恐怖に口調がおかしくなってるレジクトを見て、アンスールはもうここにいる必要がないと判断すると天幕を出ていった。
「あぁ、もし、兵を出すよう真似をすれば、貴方達も“敵”とみなします。死にたくなければ、大人しくしてなさい」
最後にそんな言葉を残しながら。
厄災を目の前にした兵士達は、恐怖から解放されて腰を抜かし中には生きていことに感動して泣いてしまうものまで現れた。
「戦場では常に専用の下着をつけておいて正解だったな........」
レジクトは、そう呟くと普段は有難みも感じない下着に感謝し、急いで味方の兵士達にアンスールの忠告を伝えるように指示を出すのだった。
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味方の兵士達をビビらせまくったアンスール本人は、素早くバルバセス皇国の構える陣地を抜けると、平野にてゆっくりと欠伸を噛み締める。
「やっぱりジンやカノンと同じように話すのは無理ね。人間ってほんと脆いわ」
僅かに上がった口角は、悪魔の微笑みとも言うべきか。
リットン教会国の滅びは今この時から始まる。
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