狂気を狂気で塗りつぶした狂気

星が煌めく夜。


また1人の人間を虚無の世界へと落としたその女は、近くに標的ターゲットがいることに気がついた。


「あら?こんな夜更けに1人で出歩くなんて、随分と警戒心がないのね。そんな悪い子には、おしおきが必要かしら?」


静かな裏路地では、道を照らす月明かりすらも殆ど通らず、その不気味に歪む口元を見ることは出来ない。


女は、機嫌よくフードを被って歩き方を変える。


標的とあった時のような、道に迷う少女の歩き方に。


「依頼とはいえ、楽しみだわぁ。一体どんな記憶を見せてくれるのかしら」


標的の情報は貰っている。詳しい事までは書かれていなかったが、その情報によれば標的の隣にいる男が強いのであって彼女自身はさほど強くないという。


相手が白金級プラチナ冒険者すらも倒すような相手ならばこの依頼は受けなかったが、精々銀級シルバー冒険者上位ならば、やりようはいくらでもあった。


昼間に覚えた気配を辿っていくと、人気のない道に出る。


女が先程までいた裏路地よりは月明かりが届くが、それでも闇に包まれた静かな道だ。


女は好都合だと思い、早速標的と接触する。


「あ、あの!!」


声すらも変え、少し高く甘い声を出す。どこか怯えた雰囲気と、ほんの少しだけ内股にしてその標的にすら媚びるような態度を見せた。


標的はこの夜よりも暗く、それでいて輝く黒髪をなびかせながら女を見る。


昼間にあった時よりも標的は美しく、月に反射されたその髪と目の奥に光る輝きは見るものを魅了する。


「なに?」


月の女神と言われても信じてしまいそうなその美しさにめを奪われつつも、女は自分のやるべきことを思い出して演技を続けた。


「今日の昼間に道を教えて貰った者です!!お、覚えていますか?」

「........あぁ。あの時の。どうしたの?また道に迷った?」


優しく、脳を蕩けさせるような声に、思わず女はその身を引く。


昼間とは印象が違いすぎる。


これが標的の本性なのか、それとものか。


女は若干混乱しつつも、既に賽は投げられたと腹を括る。


ここで逃げ出してしまっては、怪しいどころではない。


「いえ、あの後、ちゃんと酒場にはつけたので感謝してます。それで、夜道を歩いていたらたまたまカノンさんを見つけたので、お礼をと」

「お礼なんていいよ。困っていたらお互い様ってね」

「そう言える人が世の中少ないんですよ。あ、良かったらこの後一緒に飲みません?まだ空いている酒場も多いようですし」


自然に標的へと近づく。


ここで狙いがバレてしまえば、全てが水の泡だ。


女の能力は強力だが、いくつかの条件を達成しなければならない。


最後の条件を達成するには、確実に仕留められる距離に入る必要があった。


1歩2歩と標的に近づく。


距離が近づけば近づくほど、背中からは嫌な汗がつたり、心臓の鼓動が早くなる。


残り5歩、4、3、2、1........


「ふっ!!」


手が届く距離に近づいたその瞬間、全身をバネのように使って素早く標的の額へと手を当てる。


自身の持てる身体強化の全てを使って、最高速でなおかつ正確に標的の額を捉えた。


「──────────」


標的はその目の輝きを失うと同時に、ピクリとも動かなくなり、ここでようやく女は息を吐き出す。


緊張の糸は切れ、小動物のように早くなっていた心臓は正常に動き始める。


唯一、背中をつたっていた汗は、風に煽られる度に背中を冷やしていたがそれよりも今は戦果を確認する方が大事だ。


「はぁぁぁぁぁぁぁ、かなり警戒したけど、呆気なかったわね。でも良かったわ。すごく不気味で嫌な感じがしたんだけど、見掛け倒しだったようね」


女は標的の頬に触れると、上質な絹のような触り心地に思わず嫉妬する。


目の輝きを失ってもなお美しいその顔は、自分の顔と比べられている気がして我慢ならなかった。


「........チッ、どこかへ売り飛ばしてやろうかしやら。でも、それは契約の範囲外だし、契約が完了してからもう一度攫って売り飛ばしてやるわ」


そう呟きながら、女は標的の記憶を見ようと手をかざす。


この後のことを知るものがいれば、女を全力で止めただろう。


狂気に狂気を重ね、さらに狂気で塗りつぶした標的の記憶の片鱗、魂に刻まれたその断片に触れてしまうことを。


開けるどころか、触れることすらも禁忌となるそのパンドラの箱に女の指は触れてしまった。


「さぁて、あなたはどんな記憶を持っているのかし──────────ひぃ!!」


女が見た記憶の欠片、そこにあったのは


(仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁仁)


狂気以外の何物でもない狂気。


標的の中には仁のひとつしか記憶にない。否、ほかの記憶ももちろんある。だが、その全てに仁という男が存在していた。


正に狂気、正に異常。


女も人の記憶を見るという能力の関係上、狂った人間の記憶を何度も見てきた。


確かに狂気じみた記憶ではあったが、そんな狂気とは訳が違った。


触れた瞬間、手を掴まれて引きずり込まれるような感覚。狂気という言葉では言い表せない異常性。


まだ快楽殺人鬼の方が理解出来るかもしれない。


それほどにまで、標的の記憶は狂っていた。


女はそれに恐れると同時に、抱いてはは行けない好奇心を抱いていた。


「こ、この記憶を消したらどうなるのかしら........」


これほどにまで誰かに依存した記憶。その依存先を消したら、一体彼女はどうなってしまうのか。


それを知ろうと、女はその狂気に触れようとする。


が──────────


「?!ガッ」


その狂気に触れる前に、標的が女の首を掴んだ。


能力の解除をした覚えはない。混乱した女が見たその視線の先には........


「おい、ゴミクズ。今、なんつった?」


標的の姿があった。


徐々に首が絞まっていき、何とか抵抗しようとするものの、なにかに縛り付けられたかのように体が動かない。


「私から仁の記憶を消そうとしたのか?なぁ?なんとか言ったらどうなんだ」


淡々と話しかける標的だが、その殺気はとてつもない。


滲み出る殺気だけで、近くを飛んでいた虫は死を錯覚し死に絶え、運悪く通りかかった小さなネズミでさえ、その命を散らす。


もちろん、その殺気を一身に受ける女もタダでは済まない。


ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ


震えが止まらず、歯を鳴り合わせる音だけが静かな夜に響く。


最初こそ何とか逃げられないか考えていた女だったが、その殺気を浴びた瞬間、死の恐怖が襲いかかる。


あまりの恐怖に膀胱が緩んで尿を垂れ流し、歯が欠けるほど震え、全身の毛が立つほどに怯える。


標的はそんな女の姿を見ると、小さく笑って首から手を離し、変わりにフードを下ろして髪を掴んだ。


「ベオーク。悲鳴が聞こえても問題ない場所ってどこ?」

『........以前、魔の手デット・バンドが使っていた拠点がある。そこなら何しても問題ないはず』

「そっか。それじゃ、そこに行こうか。あ、仁には報告しないでね?」

『分かってる。カノンを怒らせてまで逆らうアホは居ない』


何かを話し終えた花音は、未だに動けない女の口をテープ塞ぐと天使のような微笑みで囁く。


「楽に死ねると思うなよ?」

「んぐっ!!」


涙を流し、目を見開いて怯えるその姿を見て、花音はどこか嬉しそうにしていた。


「先ずは........そうだな。爪から剥がそうか。その綺麗な目も抉っちゃおう。吐いて欲しいことなんて無いし、調べもついてるから、手加減しなくていいのは楽だよね」

「んぐっ!!んー!!んー!!」

「大丈夫。私から仁を奪おうとしたんだから、練習がてら色々な拷問をしてあげるから」


どこが大丈夫なのか。


そう問いただしたい女だったが、口を塞がれて何も話せない。


ただ、んーんー唸るだけだった。


「その綺麗な肌も薄皮1枚1枚剥いでいこっか。どれだけ泣き叫んでも助けは来ないから安心だね。最後は........豚の餌でもいいけど、アッチに警告をかねて少しは原型を残してあげよっか。顔はぐちゃぐちゃでもいいから、髪だけ残っていればわかるかな?あとはミンチでもいいかな?」


髪を引っ張られながら、標的と女は闇の中に消えていった。


そして次の日、原型すら留めていない性別すらも判断が困難な死体が冒険者ギルドのギルドマスター室にて見つかる大事件が起こるが、犯人は誰なのか分かっていない。





この章は、この話を書く為だけに書いたと言っても過言ではないです。花音の狂気、これが書きたかった。

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