親として

 アスピドケロンよりも高く見える紙の束と格闘した次の日。


 俺達はリーゼンお嬢様の家庭教師をするために、アゼル共和国の首都デルトへとやってきた。


 前回と同じく、特別な人しか潜れない門の方から街へと入り、寄り道は無しでリーゼンお嬢様の屋敷へと足を運ぶ。


 屋敷が見えてくると、その扉の前に仁王立ちしている少女が一人。その後ろにはメイドが控えている。


 リーゼンお嬢様とサリナだ。


 リーゼンお嬢様は俺に気づくと、手をおおきく振りながら早く来いと急かす。


 「待っていたわ!!さぁ!!早速始めましょう!!」

 「朝っぱらから元気だな、リーゼン。ちゃんと毎日やることはやってたか?」

 「もちろんよ!!柔軟体操は死ぬほど痛かったけどね........」


 体の柔らかさとは、そう簡単に手に入るものでは無い。


 これに関してはどうしようもないので、諦めてくれ。


 俺はちらりとサリナの方に視線を向けると、サリナはコクリと頷いた。


 その反応からして、毎日きっちりサボらずにやっていたのだろう。


 俺は、“褒めろ”と言わんばかりに胸を張るリーゼンお嬢様の頭を軽く撫でてやる。


 「偉いぞ。中には3日で辞めるやつとかいるからな。才能があっても、努力を怠れば弱い。これからも頑張れよ」

 「もちろんよ!!先生を超えるつもりで頑張るわ!!」


 俺を超えるって相当だぞ。


 毎日ドラゴンの巣に喧嘩を売りに行ったり、ゴブリン皇帝エンペラーの軍勢と死闘を繰り広げたりするんだぞ?


 まぁ、言葉の綾だと言うのは分かっているので態々そう言った事にチャチを入れる様なことはしない。


 「それは楽しみだな。でも、俺を超える前にサリナを超えないとな」

 「そうですよ主人。まずは私を超えてください。越えれれば、ですけどね」

 「その言い方ムカつくわね。いつかその腹立つ顔に一発ぶち込んでやるから覚えてなさい」


 割とマジのトーンで言うリーゼンお嬢様相手に、サリナは余裕綽々な態度で言い返した。


 しかも、かなり嫌味ったらしく。


 「できるといいですね」

 「くぅぅぅぅぅ!!ムカつくわ!!」


 そう言ってリーゼンお嬢様はサリナに殴り掛かるが、まだ基礎中の基礎の訓練をしているリーゼンお嬢様のへなへなパンチが熟練の元暗殺者に当たるわけが無い。


 メイドとは思えない程素早い身のこなしで、スイスイとリーゼンお嬢様の攻撃を避け続けるサリナの口元は少し笑っていた。


 相変わらず楽しそうだなと思いながら、何とかパンチを当てようとするリーゼンお嬢様を眺めるのだった。


 それから数分後。肩で息をしながら、リーゼンお嬢様は背中を地面につける。


 「おいおい。授業を始める前にぶっ倒れてどうするんだよ」

 「はぁはぁはぁ........先生。パンチの撃ち方を教えてくれないかしら?」

 「今日の授業の最後に少しだけ教えてやるよ。だから、今から裏庭走ってこい」

 「鬼........!!こんなにも疲れている少女を更に走らせようなんて、なんて悪い先生なの!!」

 「大丈夫。そんなこと言えるなら元気満々な証拠だ。ほら、立って1時間走ってこい!!」


 リーゼンお嬢様はとても少女が出していい声では無い声をあげて、立ち上がるとそのままジョギングをしながら裏庭へと消えていった。


 なんやかんや言って体力はあるよな、あのお嬢様。


 俺は消えていくリーゼンお嬢様の後を追うように歩き始めると、サリナが俺の顔を見て首を傾げた。


 「随分とお疲れですね?カノン様も少し疲れが見えます」

 「そう見えるか?昨日からちょっと仕事が忙しくてな........帰ったらまた仕事さ」

 「うー。もうヤダ」


 結局、あの紙束の山を登りきることは出来なかった。まだ半分と少し超えたぐらいである。


 しかも、今日1日まるっと時間が潰れるわけだから、とんでもない量の報告書が聖堂に積み上がっているかもしれない。


 あぁ。帰りたくねぇ。


 この後待っている書類の山を思い出して、俺達の顔色はさらに悪くなったらしい。


 サリナが今までに無いほど優しい態度だった。


 「仕事の内容は知りませんが、ジン様とカノン様の表情を見るにとても大変そうですね。紅茶を入れましょうか?」

 「お言葉に甘えさせてもらおうかな。なんか、こう。疲れに効く紅茶とか無い?」

 「私の分もそれでお願いできる?」

 「フフ。ありますよ。今すぐ入れますね」


 サリナはそういうと、さっさと屋敷へと戻って行った。


 その様子を見ながら、俺は自分の顔を触る。


 「そんな疲れた顔をしてたか?」

 「パパもママも大分疲れた顔してるの。だから私の世界で休む?って聞いたのに」

 「気を使わせて悪かったな。忙しいのは少しだけだ。一息ついたら遊ぼうな」

 「私も手伝うの。そうすれば少しはパパもママも楽になるの」

 「馬鹿言え。子供の仕事は遊ぶことと我儘を言うことだぞ。気持ちはありがたいが、気を使う必要は無いさ」

 「そうだよイス。私達はイスが元気にしてるのを見るのが好きなんだから。そんな暗い顔しないの」


 花音がそう言ってイスを後ろから抱き上げる。


 イスの前ではなるべく疲れを見せないようにしていたが、どうも気づかれていたようだ。


 イスは賢いし、気も利くからあまり我儘を言ったりはしない。


 だが、我が子、しかもまだ3歳とかの我が子に気を使われるのはメンタルに来るものがある。


 いい子すぎるのも考えものだな。


 そう思っていると、影からつんつんと俺を突く者が一人。ベオークだ。


『多分イスはジンとカノンと遊びたい。でも、素直にそれを言って迷惑をかけたくないから、仕事を手伝うって言ってる』

 「んな事はわかってる。でも、遊びたいならちゃんと“遊びたい”って言わなきゃダメだ。気を使えるのは確かにいいことだけど、自分を押し殺すものじゃない」

『気を使いすぎるのはダメって事?』

 「そういう事だ。イスは賢すぎる。だから素直になれないのかもな」

『ワタシも遠慮なしに色々言うか』

 「お前はもう少し遠慮を覚えような?」


 イスとベオークを足して二で割ったら完璧なのになと思いながら、俺は言い出そうかどうか悩んでいるイスを見る。


 花音もイスが何を求め居てるのかは分かっているが、その手助けをすることは無い。


 かつてはノリと勢いだけでイスを傷つけたこともあったが、親として少しは成長できているのだろうか。


 俺は、俺に卵を託した青竜ブルードラゴンの顔を思い浮かべる。


 未だに何故俺たちに卵を託したのかは分からない。だが、引き取った以上は最後まで責任を持つつもりだ。


 「あの世で見てるのかねぇ」

『あの竜?』

 「そうそう。いつか話したいよ。その時は黄泉の世界だろうけどな」

『懐かしい。あの時は赤竜レッドドラゴン如きに遅れを取る程弱かった。今じゃ片手間に殺せるけど』

 「強くなりすぎだな。それでも敵わない相手がいる辺り、世界は広いが」


 ベオークと話しながらゆっくりと裏庭へ歩いていく。


 花音もイスを抱き抱えながらあとを着いてきた。


 イスは少し暗い顔をしていたが、やがて決心したのかモジモジしながらお願いしてきた。


 「あ、あのね........遊んで欲しいの。やっぱり、パパとママと遊ぶのが楽しいの」


 何だこの可愛い生物は。


 愛くるしい見た目から放たれる上目遣い。その破壊力は世界を壊せるレベルだ。


 俺も花音も、イスの可愛いお願いを断るわけが無い。


 明日は、仕事を全てほっぽりだして丸一日遊んであげるとしよう。


 え?仕事は?


 知るか魔王より我が子だよ!!

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