第六部 江戸炎上

第六十八話

 低い雲が太陽をかくし、少し冷たい風が吹きすさんでいた十月下旬。江戸で一番の刀工とうこうと言われた本郷ほんごうの元四番弟子、頭師ずし周五郎しゅうごろう下総しもうさの国(現在の千葉県の北部)の小高い丘から、江戸をながめていた。そして、これから起こるであろうことに胸をおどらせていた。


 くはははは。やっと、うらみを晴らすことが出来るぞ、徳川秀忠とくがわひでただ……。それにしても、と考えた。元一番弟子の玄庵げんあん、元二番弟子のおもん、元三番弟子の清三せいぞうまでが、本郷様に作った妖刀ようとうやぶれたか……。それというのも今でも日本の刀に、こだわっているからだ。西洋には、もっと強力な武器があるというのに……。


 周五郎はすでにそれらを元に、新しい妖刀を作っていた。そして準備をしていた。見ていろよ、秀忠。まずは江戸を火の海にしてやる。そして、『江戸の最悪の日』にしてやる! それを想像すると、周五郎は高笑たかわらいをこらえ切れなかった。くはははは。まずは見ていろ、秀忠。火の海になった江戸を! くはははは!


   ●


 次の日の朝。おゆうの長屋ながや


 ことみさんは、おゆうさんにデレていた。

「ねえねえ、おゆうちゃん! 今朝けさも私の分の、おぜんも作ってよ! おゆうちゃんが作るお膳は、すごく美味しいから! ねえねえ、おゆうちゃん!」


 ことみさんと、おゆうさんは僕が、どちらが作ったお膳を食べるのかの女の戦いをり広げていたが、それにきたことみさんは僕にお膳を作らなくなった。それどころか自分の分のお膳も作らなくなり、おゆうさんに作ってもらっていた。


 おゆうさんは、少し疲れた顔で答えた。

「はいはい。今、お膳を持っていきますからね。ちょっと待っててください、ことみさん」

「はーい!」


 僕をめぐる、女の戦いが終わって僕は『ほっ』としていたが、おゆうさんはことみさんの分のお膳も作ることになり、朝が忙しくなった。それでもやはり、おゆうさんも女の戦いが終わり『ほっ』としていた。


 朝のお膳を食べ終わると僕は、ことみさんに聞いてみた。

「それで、ことみさん。今日は何をするんですか?」


 すると、ことみさんは満面まんめんみで答えた。

「今日は、やっと妊娠にんしんが安定してきた美玖みくさんと本郷様の弟子で女性の刀工である、おふくさんとで歌舞伎かぶきを観に行きまーす! 今日は私たちが大好きな片岡宗十郎かたおかそうじゅうろうさんが出演するので、今から楽しみでーす!」


 僕は、相模二刀流さがみにとうりゅうの強さを日本中に広める、という目的を完全に忘れて江戸での生活を楽しんでいることみさんに、ちょっとあきれた。でも、ことみさんが片岡宗十郎さんに夢中になっているのが女の戦いが終わった理由のようなので、うれしくもあった。


 すると、ことみさんは満面の笑みのままで続けた。

「今日は歌舞伎を観て茶屋ちゃやで今、流行はやっているお団子を食べるのが稽古けいこなんです! 女子会じょしかいという稽古なんです!」


 僕とおゆうさんは、ことみさんの話に少しあきれたが、ことみさんが元気なので、まあいいかという表情になった。


 すると早速さっそく、ことみさんは出かけた。

「それじゃあ、行ってきまーす!」


   ●


 歌舞伎を観終みおわった三人は茶屋で今、流行っているお団子を食べながら片岡宗十郎の、かっこよさについて盛り上がっていた。


 まずは、ことみが熱く語った。

「やっぱり宗十郎様は、かっこいいですよね~。顔が良いですよね~」


 すると美玖も、語った。

「いや、良いのは顔だけではないぞ。やはり演技力が素晴らしい。まあ、もちろん顔も良いが……」


 一通り片岡宗十郎について語ると美玖は、これから道場で本当の稽古をしなかと誘った。ことみはまだ誠兵衛せいべえたおしていないので、正式には美玖の弟子にはなっていない。しかしたまに美玖は、ことみに稽古を付けていた。それは清三との戦いを市之進いちのしんから聞き、ことみの実力を認めたからだ。


 ことみも、もちろん美玖に稽古を付けてもらえるのはうれしいので、元気に返事をした。

「はい、美玖さん。これから、稽古を付けてください!」


 話がまとまると、三人は茶屋の椅子いすから立ち上がった。そして美玖と、ことみが沖石おきいし道場に向かっていると、右側の古い長屋から火の手が上がった。美玖は、すぐに叫んだ。

「火事だー! 今すぐ、火消ひけしを呼んでくれー!」

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