第十話

 重助しげすけおそる恐る、首だけ振り返った。

「そ、その声はまさか……」


 重助の後ろに、無表情むひょうじょうの女が立っていた。白い着物に、赤いはかまをはいていた。

「重助……。あこぎな者共ものども手先てしたに成り下がるとは……。元四刀もとしとう二番刀にばんがたなの名をけがした罪、重いぞ。貴様の曲がった根性を、たたき直してやる! 後で道場にこい! 実戦稽古じっせんけいこ、千回だ!」

「じ、実戦稽古、千回?! そ、そんな……。し、死ぬ。そんなことしたら死ぬ……」

 重助の戦意せんいは、完全に無くなった。


 そして女は、俺に聞いてきた。

「どうした、誠兵衛せいべえ? 久しぶりに会ったというのに、挨拶あいさつも無しか? よかろう、お前にも稽古をつけてやる。後で道場に……」


 俺は恐怖で直立不動になり、言い放った。

「お久りぶりです! 美玖みくさん! ご無沙汰ぶさたして、申し訳ありません!」


 すると美玖は、少し機嫌きげんが良くなったようだ。

「ほう、やれば出来るじゃないか。まあいい。お前も稽古をつけてもらいたかったら、いつでも道場にこい……」

「い、いや、それは……」

「何だ? 嫌なのか? 私に稽古をつけてもらうのが、そんなに嫌なのか?」


 俺は美玖さんの、切れ長の鋭い目ににらまれて固まった。また、後ろで結び真っすぐに伸びた長い髪がれるのを見て、昔とあまり変わっていないな、と思った。それにしても無表情の美玖。


 それが一番怖いことは、沖石おきいし道場の誰もが知っていた。顔は無表情だが、心の中は鬼になっていた。俺は、メデューサの話を思い出した。西洋には、睨んだだけで人間を石にするメデューサという怪物がいるらしい。メデューサだ、美玖さんはきっと、メデューサなんだとさとった。


「何だ? どうした? ぼーっとして?」

「い、いえ、何でもありません! 近いうちに、必ず道場にうかがいます!」


 美玖は氷のような冷静な声で、「うむ、それでいい。だがその前に、やることがあるようだな……」と答え、重助が握っている『じゅう』を見た。


「誠兵衛の『血啜ちすすり』に負けた今、これは一番強い妖刀ようとうではないな……」と美玖は抜刀した刀を、『重』に振り下ろした。『重』は真っ二つに折れた。


 それを見た重助は、「ひいいいい!」と情けない声を上げて、そこから立ち去った。


 美玖さんは、その背中に声をかけた。

「おーい、後でちゃんと道場にこいよー! 全く、あれが元四刀の二番刀とはなげかわしいかぎりだ。なあ、お前もそう思わないか、誠兵衛?」


 俺は、直立不動のまま答えた。

「はい! 全く、その通りです!」

「うむ。ところで、お前は市之進いちのしんの『おと』に勝ったそうだな。そして今、重助の『重』にも勝った。強くなったな誠兵衛……」

「はい、恐悦至極きょうえつしごくです!」

「うむ。『血啜り』とやらを、私にも見せてみろ」


「はい!」と俺は抜刀し、その刀身とうしんを美玖さんに見せた。

「なるほど、まさに血のように赤いな……。どれ、私が持つ最強の妖刀『きわみ』を見せてやろう」と美玖は『極み』を頭上にかかげた。『極み』は月明つきあかりに照らされて、神々こうごうしく白く輝いていた。


 俺は『極み』のあまりの神々しさに、われを忘れた。だがそんな俺を、美玖さんの声が我に返らせた。

「つまり残った妖刀は『極み』と『血啜り』のみ。さあ、どちらが一番強い妖刀なのか、今、ここではっきりさせよう!」


 その言葉に俺、は戦慄せんりつした。相手が悪すぎる。重助は元四刀の二番刀とはいえ、一番刀いちばんがたなの美玖さんに勝ったことは一度も無かった。それほど、美玖さんは強かった。同じ四刀とはいえ、美玖さんの強さは別格だった。しかも俺はさっき重助と戦い、相当体力を消耗しょうもうしている。駄目だめだ、戦う相手も戦う時も悪すぎる……。


 そんな俺に、美玖さんは言い放った。

「どうした誠兵衛? あまり女を待たせるものではないぞ」


 俺は心の中で、思い切りどくづいた。あんたに限っては、男とか女とか関係ないから! もう一人で男女平等しちゃっているから! ただでさえ実力差があるのに、今の俺は疲労困憊ひろうこんぱいだから!


 身動き一つしない俺に美玖は、しびれを切らした。

「お前がこないのなら、こっちから行くぞ……」

「え? ちょっと待っ……」と次の瞬間、俺の目の前に美玖さんが現れた。


 は、速い!


 美玖さんは取りあえず『極み』を左から右へ、水平にはらった。


   薙ぎ払い!


 かろうじて俺は『血啜り』を右に構え、防御の形を取った。しかし俺は薙ぎ払いをらい、防御の形を保ったままへいまで吹き飛ばされた。


 くっ、壁などに当たる瞬間、後頭部を打たないように頭を前方に丸め、手が空いていたら壁に打ち付けて衝撃しょうげきやわらげる、受け身も取れなかった……。


 そのため俺は後頭部と背中に、もろに衝撃を喰らった。次の瞬間、再び美玖さんが現れた。今度はきを放ってきた。


   突き!


 俺は軽い脳震とうを振り切り、かろうじて体をひねってかわすと、美玖さんの突きは塀に大きな穴を開けた。


 おいおい本当かよ! 刀でこんなことが出来んの? 見たことも聞いたことも無いんですけど!


「どうした? 逃げてばかりいては、私には勝てないぞ……」


 いやいや、ありませんから! あんたに勝とうなんて気持ち、これっぽっちもありませんから!


「はあ……」とため息をついた後、美玖さんは言い放った。

「市之進と重助に勝ったといっても、この程度ていどか……。仕様しようがない、『極み』の真の力を見て死ね!」


 死ねって言っちゃってますけど! 殺す気、満々まんまんなんですけど! 怖いよー! これじゃあ最強じゃなくて、最恐だよ!


 美玖さんを見ていると、体を捻り『ため』を作っているようだ。一体、何をする気だ?……。

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