第六話

 俺は、昔のことを思い出した。


   ●


 その日も美玖みくさんは僕たちの寝室のふすまを、力一杯ちからいっぱい開けた。『すぱあん』という音が響いた。

「はいはい、皆、起きろ、もう明け六つだぞ! 日は昇ったぞ! 重助しげすけ市之進いちのしん誠兵衛せいべえ、起きろ!」


 すると僕たちから、不満がれた。

「えー、まだ眠いよう、美玖さん……」

「もう、ちょっとだけ……」

「まだ布団ふとんから出たくないよー」


 すると美玖さんは、三人のかけ布団を全て回収して言い放った。

「何を言っているんだ?! 朝ご飯を食べたら早速さっそく、午前の稽古けいこだ。さあ、起きろ起きろ!」


 不満ながらも僕たちは、いやいや起きだした。そして顔を洗い道場の食堂に向かった。

 食堂にある大きななべから味噌汁みそしるをすくい、大きなおひつから、ご飯をよそい、おかずがっている皿を目の前に置いた。美玖さんが号令ごうれいをかけた。

「それでは、いただきます!」


 僕たちと二人の住み込みの門下生もんかせいが、手を合わせて復唱ふくしょうした。

「いただきます!」


 宗太郎そうたろう先生と美玖さんも含めた総勢そうぜい七人が、一斉いっせいに食べ始めた。


 だが朝ごはんは味噌汁がしょっぱく、卵焼きが甘くなく、焼きざけげていた。


 僕たちは、相談した。

「今日もきっと、美玖さんが作ったんだぜ」

「あー、これなら僕たちの方が、よっぽど上手いよ、きっと。明日から僕たちで、ご飯の用意をしないかい?」

「いいなあ、それ賛成!」


 朝ご飯を食べ食器を洗うと僕たちは美玖さんに、明日からは僕たちがご飯を作りたいと提案ていあんした。


 すると美玖さんは、はち切れんばかりの笑顔で答えた。

「ほう、殊勝しゅしょうなことを言う。ありがたいな。だが気持ちだけもらっておくぞ。私は料理が好きなのだ。私が作った料理を、皆が美味おいしそうに食べるのを見るのが好きなのだ」


 僕たちは、皆は美味しそうに食べているとは思えないんだけど、美玖さんに『美味しいか?』と聞かれたら『はい。美味しいです』と答えるしかないよな、という表情になった。


 だが皆、ここは頑張がんばろう! 美味しいご飯を食べるために! という表情をした僕たちはうなづきあった。

 

 そして僕が、切り込んだ。

「いえいえ、住み込みでしかもタダで、剣術けんじゅつを教えてもらっている者としては、それくらいやらせてもらいたいんですよ、ね?」


 重助と市之進は、激しく頷いた。


 沖石道場の師範しはんである沖石おきいし宗太郎は、関ヶ原せきがはらの戦いで行き先が無くなった僕たちを、道場の住み込みの門下生にした。重助は九歳、市之進は八歳、僕が七歳の時だった。そして宗太郎先生は美玖さんと一緒に僕たちに剣術を教え、僕たちにはそれで自分で生活費をかせげるようになってほしいと望んだ。それから、十年がぎていた。


 美玖さんは、僕たちの熱意ねついに負けた。

「そうかお前たち、お前たちはそこまで考えるようになったのか……。私はうれしいぞ。

 それじゃあ早速、今日のお昼に食べるご飯から、作ってもらおうか」

 僕たちは心の底から喜んだ。これで美味しいご飯が食べられると。


 すると美玖さんは、言い放った。

「さ、それでは午前の稽古を始めるぞ。道場に集合しろ!」


   ●


「よし、皆そろったな! それじゃあ、いつもの通りにやってくれ。中段の構えからの面打ち、胴打ち、小手打ちを千回ずつだ。

 これは基本中の基本だ。これらを練習すれば基本の技が覚えられる。

 面打めんうちはざん胴打どううちははらい、小手打こてうちはきを覚えられる。さあ、始め!」


 早速、僕が不満を漏らした。千回ずつって多すぎる、半分の五百回でも良くないですか? どうせ美玖さんは言うだけだから、どれだけきついか分からないと思うんですが、と。


 すると美玖さんは、さわやかな笑顔で答えた。

「うん? 私は言うだけ? いやいやまさか。私もちゃんと稽古をしているぞ。朝早く、お前たちが寝ている間に。面打ち、胴打ち、小手打ちを二千回ずつな」


 僕たちは絶句ぜっくした。それならやるしかない……という表情になり、竹刀をにぎった。


   ●


 午前の稽古が終わり僕たちは、昼に食べるご飯を作り始めた。何でも器用にこなす市之進さんが中心となって、作った。ご飯を炊いて、イワシのつみれが入った鍋を作った。それらを食べ始めると僕たちは感動した。ここへきて、初めてこんなに美味しいものを食べたような表情になった。


 美玖さんも、満足した表情になった。

「美味しいじゃないか、お前たち! こりゃあ、もしかすると料理の腕だけは、私より上かもな! はーはっはっはっ!」


 僕たちは、いや、もう、比べほどにならないほど僕たちの方が腕は上です、とはまさか言えるはずがないな、という表情になった。


   ●


 昼のご飯が終わり少し休んだ後、僕たちは道場に集まった。


 美玖さんはすでに、待っていた。

「よし、それじゃあ、午後の稽古を始めるぞ。と言っても、いつも通りの道場破どうじょうやぶりだがな。

 今日は、隣町となりまち猪熊川いのくまがわ道場だ。実戦じっせんも大事だ! はーはっはっはっ!」


   ●


 道場破りは、美玖さんが自分をふくめ見どころがある、重助さん、市之進さん、僕の四人で四刀しとうを作ってから始まった。その際、僕たちは美玖さんの弟子でしになった。


 美玖さんは、考えていた。

「うーむ、我々の格好かっこういい名前がるな……。竹刀四人衆しないよにんしゅう……、ちょっと違うな……。

 む、竹刀は竹の刀と書くか……。うん、これだな! 我々は今日から四刀だ!

 私が一番刀いちばんがたな、重助が二番刀にばんがたな、市之進が三番刀、誠兵衛が四番刀だ! よし、これで行こう!」


   ●

 

 竹刀を持った僕たち四人は、猪熊川道場の扉の前にいた。美玖さんが扉を開けて叫んだ。

たのもーー! 我らは沖石道場の四刀である! 是非ぜひ、お手合てあわせ願いたい!」


 猪熊川道場に、戦慄せんりつが走った。

「沖石道場の四刀だってよ……」

「このへんの道場を、ほとんどやぶったっていう、あの?」

ついに、ここにきたか……」


 猪熊川道場の師範しはんは、けわしい表情で答えた。

「ここでの稽古はきびしいですぞ? こちらは全員でそうがかりをさせていただくが、それでもよろしいかな?……」


 美玖さんは、きっぱりと答えた。

「もちろん、望むところ!」

「それでは行けえ、みなしゅう! 四人とも無事に帰すな!」


 美玖さんは、先陣せんじんを切った。

「そうこなくてはな! 行くぞ、お前たち!」


 相手は、三十人程いた。しかし美玖さんが切り込み、突き、斬、薙ぎ払いで次々と倒していく。美玖のあとに重助さん、市之進さんが続き、竹刀をまじえる。僕はそれらに漏れた、いかにも自分は弱いです、という者たちと戦った。


   ●


 道場破りという午後の稽古が終わると、沖石道場の道場で反省会が開かれた。


 美玖さんが口火くちびを、切った。

「私が倒したのは十五人というところか……。まずまずか……。重助はどうだった?」

「はい、七人程でした」

「うむ、市之進は?」

「はい、六人程でした」

「うむ、誠兵衛は?」

「え、えーと僕は……、二、三人です……」


 美玖は無表情のまま、全身から殺気さっきをみなぎらせた。

「二、三人だと……。ふざけるな! 四番刀とはいえ、それでよく四刀が名乗れるな?!」


 僕は、おそる恐る反論はんろんした。

「いや、僕はそもそも、四刀になんて、なりたくないのに……」


 美玖さんは鬼のような表情で、竹刀をりかざした。

「いや、お前には素質そしつがある! この私に匹敵ひってきするほどの! 私の目は節穴ふしあなではない! 

 さあ、稽古をつけてやる、お前の素質を引き出すためのな! 本気を出せ! 私から一本取るまでは稽古は終わらぬぞ! さあ、かかってこい!」


 沖石道場では稽古も真剣勝負だという考え方で、面も胴も小手も着けなかった。


 美玖さんと僕の稽古は、半刻(およそ一時間)続いた。いつも通り僕は、美玖さんから一本は取れなかったが、もうすぐ夕飯なので稽古は終わった。


   ●


 夕飯が終わると僕たちは、住み込みの門下生が眠る寝室で布団をいて休んだ。


 僕は、弱音よわねいた。

「あーあ、今日も僕だけ怒られたよ。本当に僕には、素質があるのかなあ……」


 すると市之進さんが、答えた。

「あるんじゃないかな? あの美玖さんが、言っているんだから」


 それを聞いた重助さんが、口をはさんだ。

「お前は美玖さんを贔屓ひいきしているんだよ。もしかしてれてるのか?」

「いや、惚れてはいないよ。ただ美玖さんのあの一途いちずな情熱は、美しいとは思うけど」

「それが惚れているってことじゃ、ねえのかよ!」

「うーん、そうかなあ……」


 重助さんは、言い切った。

「俺はやだね、あんな強い女は。やっぱり女は優しくて、おしとやかな方がいいなあ」

「うーん、美玖さんは取りあえず優しいと思うけど……」

「どこが?! あれは鬼だよ、鬼! 剣術の鬼だよ!」


 すると僕は、思わずつぶやいた。

「あのう僕の悩みは一体いったい、どうなったんでしょうか?……」


 次の瞬間、寝室のふすまが『すぱあん』といきおいよく開いた。


 美玖さんが顔を出して、言い放った。

「明日も早いぞ! 皆もう、寝なさい!」


 それだけ言うと美玖さんは、自分の部屋に戻った。

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