第三話

 それから僕たちは江戸の商店街を、ぶらぶら歩いた。僕にはそれらは、なつかしい風景だった。昼近くになると少しお腹がへったので、蕎麦屋そばやへ入った。


 蕎麦を食べながら、おゆうさんは聞いてきた。

「あの、誠兵衛せいべえさん、一つ聞いても良いですか?」

「はい、何でしょうか? 僕に答えられることなら、何でも答えますよ」

「あの、今の誠兵衛さんと昨夜の誠兵衛とは、別人に見えるんですが。表情とか話し方とか。どうしてですか?」


 僕は『血啜ちすすり』が入った、鞘を見せた。

「ああ、そのことですか。その理由はこれです」


 おゆうさんは、困惑した表情になった。

「あの、それが一体どうしたんですか?」


 この『血啜り』は、本郷翁ほんごうおうという名刀工めいとうこうさくである。本郷翁は、四本の妖刀ようとうを作った。理由は三カ月前、徳川家康公が亡くなったことだ。それで幕府は今、日光東照宮を建設している。更に幕府は、東照大権現の守護刀しゅごとうの制作を本郷翁に依頼した。依頼された本郷翁には、四つの案が浮かんだ。


 そして四本の妖刀を、作った。しかし必要な守護刀は、一本だけ。そのため本郷翁は、四本の妖刀を四人の侍にたくして戦わせ、最後に残った一番強い妖刀を、守護刀にしようとしていた。そして本郷翁から誠兵衛に託された妖刀が、この『血啜り』だった。そして『血啜り』の神通力は夜になると所有者の凶暴性を引き出し、筋肉を強く速くするものだった。なので夜になると誠兵衛の凶暴性が引き出され、凶暴な表情と性格になるのだった。


 おゆうさんは、更に聞いてきた。

「なるほど、そういうことだったんですか。で、どうなんですか? 他の妖刀と戦ったりしたんですか?」

「いえ、まだです。それよりもこの『血啜り』自身が外道げどうなのか夜になると、『外道の血を啜りてえ!』という意思を『血啜り』から感じるんですよ。それで僕はな、外道を倒しているんですよ」


   ●


 僕は本郷翁から『血啜り』を託された時のことを、話し出した。


 本郷はまず、妖刀を作ることになった、いきさつを話した。三カ月前、秀忠ひでただの家臣が本郷の工房こうぼうにきた。そして家康公を日光東照宮の東照大権現としてまつるが、それを魔物から守るための魔除まよけの刀、守護刀を作ってくれと頼んだ。『最強の守護刀を作ってください』と頼まれたので本郷は、他ならぬ家康公のため、『ああ、任せておけ』と引き受けた。


 そして『血啜り』についても話した。『血啜り』で人をって刀身に血がついても、『血啜り』が血を啜ったかのように血が無くなるんだと本郷は自分の左腕を少し斬って見せた。すると刀身に付いた血が、みるみる刀身に吸い込まれていった。


 更に本郷はこんなことも話した。本郷がこの間、山に入って妖刀に混ぜる材料になりそうな物を探していたら、びっくりするものを見た。それは、クマと戦っていたアナグマだった。犬ぐらいの大きさしかないアナグマが、自分の何倍もの大きさと力を持つクマと戦っていた。


 本郷はその戦いに、思わず見入みいった。クマはつめきばで攻撃する。それをアナグマは、ぎりぎりでかわして、大振おおぶりしたクマの攻撃のすきをついて反撃していた。もちろん、攻撃を受けたこともあった。しかしアナグマは何とその反撃でクマの爪を一本、折った。それでクマは戦意を無くしたようで、それ以上戦うのをやめた。


 結局そのアナグマは、クマと引き分けた。本郷は思わず、そのアナグマを介抱かいほうしようとした。本郷のことを警戒けいかいしていたが、クマとの戦いで体力を消耗しょうもうしきっていたアナグマは取りあえず大人しくしていた。本郷は持っていた手ぬぐいを、怪我けがった左前足にまいた。止血しけつしようとしたからだ。だが、アナグマににらまれてやめた。『やめろ、ニンゲンなんかの世話にはならん』という目をしていたからだ。それで本郷は、そのアナグマの血がべっとり付いた手ぬぐいと、クマの折れた爪を持ち帰った。そして、どっちも妖刀に混ぜる材料にした。


 刀を作る時、赤熱せきねつした、へしがねつちたたきのばして中央に折り目を入れて折り重ねる、『繰り返し鍛錬たんれん』という過程かていがある。『血啜り』を作った時は、その時にアナグマの血が付いた手ぬぐいを混ぜた。手ぬぐいはすぐに燃えて、アナグマの血だけが刀と混ざった。


 こうして『繰り返し鍛錬』という過程で色々な材料をわざと混ぜて刀を作り、工房の神棚かみだなに三日三晩、そなえる。すると付喪神つくもがみになって普通の刀ではない、神通力を持った妖刀ができる。


 そこまで話を聞いた誠兵衛は、本郷に聞いてみた。

「なるほど……。それはよく分かりました。で、僕は本郷翁のお弟子でしさんに呼ばれてここにきた訳ですが、よく僕の居場所が分かりましたね。今、僕は江戸から離れていたのに」

「まあ、俺くれえ弟子がいると、色んなことができるんだよ。人探ひとさがしなんか簡単だ……。俺の情報網じょうほうもうを甘く見るなって話だ……」

「な、なるほど……」


   ●


 アナグマには凶暴な種類もいる。サバンナにいるラーテルだ。別名ミツアナグマ。イタチ科の体長八十センチメートル程度の動物で、白と黒の体色を持っている。実はこのラーテルは、サバンナで最もおそれられている。どのくらい恐れられているかというと、百獣ひゃくじゅうの王と呼ばれるライオンや、地上最大の動物であるアフリカゾウですらけて通る。実際、世界で最も恐れ知らずの動物として、ラーテルはギネスブックにもっている。


 ラーテルの攻撃的でしつこい性格が、サバンナの猛獣もうじゅうたちを恐れさせている。ラーテルはとにかく誰にでも牙をむいてケンカを売る。前足に長く尖った爪を持ち、あごの力も非常に強いうえ、一度かみついたらスッポンのように離さない。


 更に、非常に分厚く、たるんだ毛皮をしている。これがラーテルの強さの一つのかぎだとも言われている。ネコやウサギの首根っこを背中側からつまめば、かみつかれることなく持ち上げることができる。ところがラーテルでこれをやろうとすると、つまんだ所が予想以上にたるみ、ラーテルがこちら側に顔を向けることができてしまい、かみつかれてしまうという。


 そして例えばライオンがその気になればラーテルを殺すことは可能だが、毛皮のたるみのせいで、かみついてもうまくラーテルを無抵抗にすることができないとなれば、手痛い反撃にあう可能性がある。そして仮に一匹のラーテルを殺すことができたとしても、ライオン側も無傷ではすまないし、スカンク同様、猛烈もうれつな悪臭を放つのでえさにすらならない。ライオンは決してバカではないので、ちょっかいを出すだけそんということを学習し、次からは避けて通るようになるという訳だ。


 ゾウも同様だ。ゾウの長く強力な鼻で一撃を喰らわせれば、ラーテルは吹っ飛んでいくだろうが、一つ間違えるとかみつかれて痛い目にあう。


 ラーテルは自分たちが恐れられていることを、よく理解している。そのため、自分の存在を隠そうともしない。一般に野生動物は極力、音を立てずに移動する。肉食獣であれば、獲物えものに自らの存在を気取られるのは不都合だからだし、草食獣であれば、捕食者には見つかりたくないからだ。アフリカゾウやキリンのような巨大な動物でも、ヤブの中を実に静かに歩く。


 ところがラーテルだけはそうではない。どこにいても自信満々に肩を揺らしながら、『ざっざっざっ』と大きな音をたてて歩く。その態度は、実にふてぶてしい。更に高い知能と器用さも持ち合わせている。ラーテルは雑食性なので、季節に応じて柔軟に餌を調達できる。ミツアナグマの名の通り、蜂蜜はちみつが大好物で、気の荒いアフリカミツバチの巣を破壊し、ハチに刺されながらも平気で蜜や、さなぎをあさる。ヘビも好んで捕食ほしょくし、特に猛毒もうどくを持つコブラやパフアダーというマムシをよく食べる。一説によると、ハチやヘビの毒に対する耐性があるらしい。


 ラーテルについて、南部アフリカでは数々の逸話いつわがある。例えばある時、牧場をいとな農夫のうふが台所を荒らすラーテルに困って散弾銃で撃ったところ、何発かの玉が当たってその衝撃で倒れた。しかし弾は硬い皮膚を貫通しなかったため、しばらくするとむくりと起き上がってそのままヤブの中に消えて行った、というようなものだ。


 そして水の無い場所、水の無い季節でも餌のみから必要な水分の全てを得ることができるので、砂漠地帯も含めアフリカ大陸にかなり広範囲こうはんい分布ぶんぷしている。


   ●


 蕎麦屋を出た俺たちは、おかに登った。もう夕方だった。


 夕日を見つめながら、俺は聞いた。

じょうちゃん、『逢魔おうまとき』って知っているかい?」


 突然、嬢ちゃん、と呼ばれたことに戸惑とまどった表情をしながらも、おゆうは答えた。

「はい、夕方のことですよね。ちょうど今のような」


「その通り、昼と夜が移り変わる時刻だ。そして『魔物まもの遭遇そうぐうする時』って意味だ。

 俺の場合は『血啜り』の意思が、俺の中に流れ込んでくる。おそらく『血啜り』の中にいるであろう、アナグマのな。そしてそいつの『外道の血を啜りてえ!』っていう意思が俺の全身にいきづくんだ。それで『血啜り』の神通力は俺の凶暴性を、引き出すんだ。朝がくるまでな」


 そう言っておゆうに振り返った俺の表情は、凶暴的だっただろう。

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