第18話 真希さん
ゴールデンウィークが終わり、またみんないつもの日常へ戻っていった。僕たちも名古屋でいつもの生活を送っていた。違いがあるとすれば、パチンコをするようになったことぐらいか。パチンコはゴールデンウィークに、東京の大学へ行ったクラスメイトに連れて行かれたのがきっかけだった。貧しい学生にとっては大きな金額が出たり入ったりするので、いつもドキドキしながらやっていた。
大学の講義はあいかわらず、パチンコと同じで、出たり、さぼったり。選択科目はだんだん出席する講義とさぼる講義に分かれていった。さぼる講義の単位はあきらめ、単位の取れそうな講義だけ出席するようになった。
5月16日
講義が終わって、山崎とふたり僕のアパートにいたら、突然櫻川さんから電話があって、僕の部屋に来てもいいかと聞かれた。もちろん断る理由もないのでOKした。約1時間後、約束した時間に僕と山崎で地下鉄の駅まで櫻川さんを迎えに行った。山崎が一緒だということは言ってなかったので、駅で顔を合わせた時、一瞬櫻川さんの表情が変わったのを確認した。二人には、石原の家で夕食を作ってもらった日の、帰りの気まずさが残っていたようだ。
僕のアパートに着くとテレビを見ながら、この後の作戦を立案した。まず、櫻川さんと幼馴染みの石原を呼ぶ。今日の夕食を櫻川さんに作ってもらう。買い物は僕と櫻川さんで行く。食費は男連中で割り勘にする。というのが、その日の簡単な作戦だった。
夕食の献立は、櫻川さんに任せた。僕と二人でスーパーへ行き、食材を調達した。スーパーへ行く道中、料理の話をした。僕は一人暮らしをし始めてから、必要に迫られて料理を始めたので、知識はほとんどないに等しかった。
「高広君は、どんな料理を作ってるの?」
「ほとんどインスタントやレトルトで、自分で作るのはみそ汁とカレー、粉吹芋ぐらいかな」
「なんで、粉吹芋なの?」
「小学校の調理実習でやったから。僕の数少ないレパートリーの一つなんだ」
「うちの小学校ではなかったよ。カレーは、レトルトじゃなくて、カレールーを買ってきて作るの?」
「そうだよ。だけど一度作ると5食分くらいあるよね。すると、夜、昼、夜、昼、夜の朝食以外5連続になるから最後の夜は食べずに捨てちゃうことが多いな。だんだん鍋に焦げ付いてくるしね」
「残った分は、タッパーに入れて、冷凍しておけばいいんだよ。そうすれば2週間くらいもつよ」
「凍ったカレーはどうやって溶かすの?また鍋で煮るの?」
「電子レンジで温めれば早いよ」
「電子レンジないもん」
「だったら、冷凍庫から出して1時間くらいおいて常温に戻して、最後に鍋で焦がさないようにかき混ぜながら、弱火で温めればいいのよ」
「ふーん、次はそうしてみるよ」
「お味噌汁には何を入れるの」
「豆腐と油揚げとワカメが多いかな」
「お豆腐と油揚げは一緒に入れないのよ」
「僕は普通に入れてるけど」
「だめだよ。お豆腐と油揚げは原料が同じなんだから、一緒に入れたら意味ないの」
「そういうもん?」
「基本です」
この日の献立は、牛丼とポテトサラダとコンソメスープ。必要な食材を買って、僕がお金を払い、僕が買い物袋を持ってアパートに帰った。ご飯は、僕がセットし、調理も少しだけ僕が手伝った。ポテトサラダの材料を切ったり、コンソメの固形スープを投入したり。コンソメスープに入れるパセリのみじん切りは、僕には無理だろうからと言って、櫻川さんが切ってくれた。見事な包丁さばきであっという間にみじん切りが完成した。確かに僕が切っていたら、それだけで10分は必要だったろう。
ポテトサラダにかけるマヨネーズを冷蔵庫から出しながら、櫻川さんが言った。
「マヨネーズは、味の素だよ。キューピーより断然、味の素」
「味の素が、マヨネーズ作ってるの?」
「そうよ、知らなかったの? 次買うときは、味の素にしてみて」
「違いなんてあるの?どう違うの?」
「較べれば分かる」
そんなことを話しながら、料理はできあがった。キッチンからテーブルへ運んだ。まずは、櫻川さんの労をねぎらい、お茶で乾杯。食事中もクラスメイトの話やテレビドラマの話で盛り上がったが、どちらかというと僕にとっては、作っている時の方が楽しかった。
9時過ぎに櫻川さんは帰ることになっていた。僕が、駅まで送る役を申し出た。地下鉄駅までの歩道を並んで歩いた。櫻川さんの身長は、クラスで美沙さんの次に高く、163cmくらいだった。また、ちらっと見る櫻川さんの横顔には、丸みがある上品な輪郭の中に、決して派手ではない可愛らしいパーツが、理想的な間隔で配置されていた。黒くて艶のある直毛の髪と相まって、きれいとも可愛いともいえる絶妙な顔立ちだった。高校のクラスで、美沙さんと人気を2分したのも頷けた。実は、僕が2番目に好きだったのは櫻川さんだった。本人には言えないが。
歩道を並んで歩きながら、櫻川さんが尋ねてきた。
「美沙ちゃんとは、うまくいってる?」
少し間をおいて、僕は答えた。
「だめ、フラれた」
「えっ、そうなの? どうして?」
「初めから、むこうにはその気がなかったみたい。春休みは遊んでくれたけど、大学に入ったら、はい、おしまい。遊んでくれたというより、遊ばれたって感じかな、僕の気持ちとしては。人生最大の屈辱だよ。まだ引きずってるけどね。当分忘れられそうにないな」
「忘れられないのは、屈辱? それとも美沙ちゃん?」
「両方かな」
櫻川さんは、少し下向き加減のまま、黙って歩いていた。
地下鉄の駅に着いた。
「今日は突然電話して、押しかけて来ちゃってごめんね」
「いいえ、全然。日頃男ばかりだから、暑苦しいんだけど、今日は櫻川さんが来てくれて、明るくなって楽しかった。おいしい料理を食べられたから、みんな喜んでたよ。本当ありがとう」
「そういってくれると嬉しいわ。あと、呼び方だけど、下の名前で呼んでもらっていいかな。中学まで下の名前で呼ばれてたから、名字で呼ばれるとなんかピンと来ないの」
「真希さんね。確かにこの方が呼びやすい。これからそうするよ」
「また来てもいい?」
「是非、いつでも大歓迎だよ」
「ありがとう。じゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
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