第19話 シェフ森田
5月17日
いつもどおりの夜。昨夜、真希さんに夕食を作ってもらったのに気をよくして、今度は美沙さんに作ってもらおうと山崎が言い出した。「そんなの無理に決まってるだろ」と僕が言うと、「俺の部屋でやるなら来てくれるよ」と言って、京都へ電話をかけ始めた。昨日真希さんが来て、料理してくれた話をしたら、意外にもOKが出た。山崎は僕を貶めたいのか、僕が真希さんに手を出したと、美沙さんに告げ口していた。もちろんそれは謀略なのだが、彼女がどう受け止めたかは分からない。日にちは6月9日。僕は行かないことになっていた。
5月28日
この日の我が家の夕食はビーフシチュー。肉よりも野菜が好きなので、肉は少々、野菜たっぷりが僕流のシチュー。僕流の特徴は、シチューもカレーも野菜が大きい塊で入っていること。できあがるのに時間がかかるが、できあがった野菜を大きいまま頬張るのがよい。
ジャガイモの皮をむいている最中に、電話が鳴った。急いで手をふき、受話器を取ると真希さんだった。6月2日の日曜日に遊びに来ると言ったが、「その前の土曜日に、静岡から森田が来るからみんな集まることになっている。森田は料理得意だから任せろって言ってたよ」と言ったら、「じゃあ土曜日にする」ということで、話が付いた。
6月1日
午前中で、大学の授業が終わり、家に着くとちょうど森田から電話があった。待ち合わせの場所と時刻を決めた。石原も合流して、夕食の買出しをしてから帰って来ると、真希さんと山崎が僕のアパートの前で待っていた。
夕食は、森田と真希さんにお任せ。
「森田君、料理得意なんだってね」
という、真希さんの言葉を合図に、二人のシェフは5時から調理を始めた。何やら僕が聞いたことのない料理も作っているらしかった。
できあがった料理は、炒飯、餃子、酢豚に酸辣湯という酸っぱいスープ。もし最後に杏仁豆腐が出てきたら、学食の半ちゃんラーメンに餃子を付けようか悩んでいる貧乏学生にとっては、中華のフルコースと言っても過言ではないものだった。餃子は、中の餡から作り、自分で皮を巻いたものだった。
「森田君すごいんだよ。私、料理できるよって言った自分が恥ずかしくなっちゃった」
真希さんが言った。
「お前、なんでこんなに料理得意になったの?」
僕が聞いた。
「まあ、両親が共働きで、帰りが遅かったから、自然と自分で作るようになっちゃって。やっているうちに楽しくなってきて、勉強の合間の気分転換に、夜食とか作るようになったんだよ。日曜も両親仕事だから、気が付いたら、日曜の夕食は、俺が当番になってたって落ち」
久しぶりに集まったので、話が盛り上がって、真希さんが帰ったのは夜11時前。今日は石原が送っていった。最終のバスにギリギリ間に合う時間だった。
石原が帰ってくると、男たち4人はまた話し込む。森田が言い出した。
「お前たち、誰も真希さんと付き合ってないの?」
「うん」
石原が答えた。僕が美沙さんにフラれたことは、食事中に公表されていた。
「あんないい子が近くにいて、なんで放っておく? 俺なら、絶対放っておかないよ。誰かアタックしろよ。どっかの知らない男に取られちゃってもいいのか?」
「まあ、いい子なのは認めるけど、こっちにも事情があるんだよ。俺なんか実家隣だから、なんかあったら体裁悪いし、親同士ぎくしゃくしても困るだろ。そもそもそういう対象として、見られないよ」
石原が言った。
「山崎は?」
「俺か? 俺は当たって砕けた。古傷触んな」
「そうだったのか。それはご愁傷様だったな。・・・・・・じゃあ、やっぱ俺しかないか? つっても、名古屋、遠いしな」
「高広でいいじゃん、こいつちょうどフラれたし」
石原が言った。
「俺は、もう、女は信じないんだよ」
僕は、強がって言ってみた。
「本当は、まだ美沙さんに未練たらたらなんだろ?」
山崎が痛いところを突いた。真実だった。
「だめだ。高広は俺が却下する。お前はしばらく謹慎してろ。 男子生徒の人気を二分した女子の両方と付き合うなんて、俺は断じて認めん」
フラれたとはいえ、美沙さんと付き合っていたことで、森田は僕に対して、まだ遺恨が残っているようだった。
この夜の会議で、皆が納得する対策は、見い出せなかった。
6月2日
朝、真希さんの電話で目を覚ました。昨日、アパートへ帰ったら、母親が抜き打ちで来ていたらしく、こっぴどく怒られたらしい。今日は母親と3時頃まで栄で買い物をしてから、別れる予定だと言った。僕たちも森田を送りながら栄をぶらつく予定だったので、4時に、以前行った喫茶店で待ち合わせることにした。
4時に待ち合わせの喫茶店へ行くと、店の前に母親同伴の真希さんがいた。男4人と母娘の6人で店内に入った。石原は顔見知りだから、普通に挨拶を交わした。他の3人は初対面だし、なんとなく負い目があって、ぎこちない挨拶になった。真希さんの母親は優しい表情を保っていたが、会話の中身は取り調べに近かった。事件現場が僕のアパートだったことから、僕が主犯扱いになった。
石原の顔が利き、取り調べを無事に乗り切って、真希さんの母親と森田に別れを告げた後、4人で街中をぶらつき、結局この日も僕のアパートにみんな集まって、夕食を一緒に食べた。真希さんはみんなに謝っていた。どうやら、今日また僕たちと会うことになっているのを母親が勘付き、どんな連中なのか検分したくなったということだったらしい。
この夜、真希さんは、母親からかかってくるかもしれない電話を警戒して、7時半に帰って行った。
真希さんが帰った後、6月9日に美沙さんが山崎のアパートに来て、夕食を作るという企画の話になった。僕は最初から行かないことになっていたが、石原も都合が悪くなり、行けなくなった。すると、山崎が、美沙さんと二人だけで何時間も過ごす自信ないから、僕にも来てくれと言い出した。僕は、「お前が言い出しっぺなんだから、自分で責任取れ」と断った。
その夜はみんな早く帰ったので、風呂に入ってのんびり考え事をした。昨夜、「俺は、もう、女は信じないんだ」と強がったが、実際は、「女を信じる勇気がない」と言った方が正しかった。「あの時は、大学に合格して浮かれていたから」という言い訳で、「なかったこと」にされた。女は、僕にバラ色の未来を予見させ、登るだけ登らせておいて、一気に梯子を外した。むこうも意図的にやったわけではないだろうし、僕があれほど熱を上げるとも予想していなかったのだろう。しかし、実際に僕が受けたダメージは、地の底に突き落とされるほど、とてつもなく大きなものだった。今後、別の女と付き合ったとしても、いつまた「あの時は・・・・・・だったから、なかったこと」にされるか分からない。そのたびに僕は傷つく。それが怖かった。
さらに事態を厄介なことにしているのは、僕が、まだその女に未練たっぷりなことだった。人生最大の屈辱を受けた相手に対して怒りはあったが、その相手を今だに好きだった。もし今電話がかかってきて、「ごめんなさい。あの時、私どうかしてた。やり直そう」と言われれば、僕は尻尾を振って、京都へ飛んで行っただろう。
フラれた直後は、愛が怒りへと変換したが、怒りは時間の経過とともに減衰するものだ。しかし、愛は時間の経過とともに漸増するものらしい。
6月10日
夕方、風呂掃除をしていた。僕の部屋の風呂は、玄関を入ってすぐ右手にあり、バスタブは玄関横の外壁に面していた。外壁には縦格子付きの窓があり、その窓を開け放っていた。僕が、窓の下のバスタブの中に入って掃除していると、窓の外で大家のおばさんと、隣室の中年の女性が立ち話をしている声が聞こえてきた。
「この部屋に越してきた大学生、女を連れ込んだりしてる様子ないかい?」
大家のおばさんが尋ねた。
「たまに女の声が聞こえるけど、そういう時はいつも他の男たちも一緒だね。だから、連れ込んでるってことはないと思うよ」
隣室の女性がが答えた。開け放たれた窓のすぐ外で、この会話はなされていた。だから、もし僕がバスタブの中で立ち上がったら、女性たちと目が合ってしまう可能性があった。僕は、掃除していた手を止めた。音を立ててはまずいと判断したからだ。すぐに外の声は、聞こえなくなった。僕は、かがんだ姿勢のまま、バスタブから脱出した。こんなふうに監視されていることを、この時初めて知った。
夜、山崎が来たが、9日に美沙さんが食事を作ってくれたという話は出なかった。僕もあえて聞かなかった。
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