第15話 諦め

4月16日

  大学の選択科目で、心理学を受講したかったのだが、教室を間違えて、哲学を取る羽目になってしまった。まあ、高校の時倫理社会は好きだったので、問題はなかったが、人の心理を推測できるようになると何かと役に立ちそうだと、特に今、思っていたので残念だった。

 夜、石原のアパートに、僕と山崎が集まって、櫻川さんに夕食を作ってもらおうという企画が持ち上がった。言い出しっぺはもちろん山崎だ。だから山崎が電話で交渉することになった。彼は、意外なほどすんなりと戦果を勝ち取った。


4月17日

 水曜日の夕方、僕たちは石原のアパートに集まっていた。山崎が、櫻川さんと待ち合わせた地下鉄の駅まで迎えに行った。彼らは、途中のスーパーで食材の買出しをしてから帰ってきた。もちろん山崎は自分から迎えに行くと申し出た。


 櫻川さんは、アパートに着くと、挨拶もそこそこに、早速調理に取り掛かった。調理器具や調味料の場所が分からないときは、石原が教えに行ったが、他は基本的に櫻川さんにすべてお任せ。炊飯だけは石原がセットした。食材の費用は、櫻川さんを除いて、男たち3人で割り勘にした。


 1時間ほどで料理はできあがった。

「できたから、運ぶの手伝って」

「もうできたの?」

山崎が、大げさに言った。トレイがないので、男たちみんなで両手に一皿ずつ持って、テーブルまで2往復した。特に凝ったものはない、普通の家庭料理といった感じ。本も見ずに3品作ったところから、普段から料理をしていたことをうかがわせた。こういうのを、家庭的な女性というのだろう。味は、僕の味覚には少し薄めだったが、そこが上品に感じた。


 僕以外の男二人はあっという間に平らげた。彼らは、僕の食べるのが遅いことを以前から知っていたが、櫻川さんは初めて知ったようだった。一緒に食事をしたことがないのだから、それは当然だった。ただ、櫻川さんは、その僕よりも食べるのが遅かった。僕には、食欲旺盛で早食いの美沙さんよりも、櫻川さんの食事ペースが合っている。


 食べ終わって、話していると、石原と櫻川さんの実家が隣同士だということが発覚した。

「なんか変な感じだよね。幼馴染みの真希ちゃんが、一人暮らしの俺のところに来てご飯作ってるなんて」

石原が言った。

「そうだね。みんなが一緒だからOKしたんだけど、二人だけならないわね」

と、櫻川さん。

「俺ひとりだったら頼んでないよ。なんか、そんな対象じゃないもん」


 明日も朝一から授業があるということで、櫻川さんは9時過ぎに帰った。山崎が、駅まで送って行くと言って、二人でアパートを出た。


 帰ってきた山崎が、落ち込んでいる様子だった。

部屋に入るなり、

「何か冷たいものある?」

と聞いた。

「冷蔵庫にまだ何かあると思うよ」

石原が答えた。

山崎は冷蔵庫からコーラを取り出すと、その場で蓋を開け、立ったまま飲み始めた。

「ダメだった」

「何が?」

と反射的に僕が聞いた。

「そんなこと聞くな。分かるだろ」

山崎はそう言ってテーブルに着いた。

何があったか、僕と石原は容易に想像ができた。その夜は、遅くまで山崎に付き合った。


4月21日

 いつもどおり僕の家に3人が集まっていた。山崎が美沙さんに電話しようと言い出した。夜もだいぶふけたころだった。出ない。15回鳴らして電話を切った。


4月22日

 地学の講義が休校になっので、学食で、具材がほぼすべて溶け込んだ、210円のジャンボカレーを食べて、そのままアパートに帰った。昼から3時間くらい本を読んだ。スタンダールの「赤と黒」。身分の低い少年が、策略を用いてのし上がろうとするが、最後に転落する様を描いた作品で、主人公ジュリアン・ソレルの出世の上下動と、今の僕の気持ちの抑揚がなんとなく似ていたため、読んでいて妙な共感を覚えた。


 夜、美沙さんに電話した。

「もしもし」

「あ、ミナミ君?」

「高広です」

ミナミって?

僕はいきなり出鼻をくじかれ、話す気が失せた。

「今、僕と石原がいるんだけど、どっちと話したい?」

「石原君」


 もう諦めた。「ミナミ君?」は、本当にその人からの電話だと思ったかもしれないが、彼女が僕からの電話だと承知の上で、僕に自分をあきらめさせる目的でわざと言ったセリフではないか。はっきり断ったのでは角が立つので、僕が自主的に彼女から離れていくよう仕向けるために。そんな邪推をしてみたが、でもやっぱり、ゴールデンウィークには地元に帰ると言っていたから、その時はっきりさせようと思った。

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