第13話 不安

4月13日

 名古屋のアパートへ来て初めての週末。朝、まだ部屋に電話がなかったので、公衆電話から美沙さんに電話して、遊びに行ってもよいか聞く。最初は渋っていたが、最後にはうーん、と言いながらOKしてくれた。


 名古屋駅から新幹線に乗り、京都駅で降りる。ホームで美沙さんが待っていてくれた。僕は、あっと声が出た。

「パーマかけたんだね」

「うん。緩くだけどね。大学へ入る前にやろうって、決めてたんだ。」

「いいと思うよ。すごく大人っぽくなった」

地下鉄に乗り、15分ほどの駅で降りた。駅から歩いてすぐ、アパートに着いた。

鉄骨2階建ての2階に美沙さんの部屋はあった。


「すごい広いね」

ダイニングキッチンは8畳ほどあった。

「エアコン付いてるんだ。いいなあ」

「京都の夏は熱くて、エアコンがないと生きて行けないって不動産会社の人が言ってた」

「ここは?」

「洗面とお風呂」

「見せて」

「お風呂見てどうすんの」

「立派な洗面台が付いてるんだね。僕のアパートなんて、こんなのないから、キッチンで顔洗ったり、歯磨いたりするんだよ」

「へえ、そうなんだ」

「バスタブが正方形?」

「うん、これ変だよね。お湯たくさんいるし」

「ここは?」

「ここはだめ」

寝室は見せてもらえなかった。


 ドアホンが鳴った。

「はい。どちらさまですか?」

美沙さんは、玄関に脱いである僕の靴を、外から見えない位置に隠してから、ドアを少しだけ開けた。どうやら近所の住人の挨拶のようだった。

「1階に住んでる、同じ大学の3年生だって」

「若い女の子が引っ越してきたから、見に来たのかな?」


 美沙さんが淹れた紅茶を飲みながら、始まったばかりの大学生活や一人暮らしの楽しさ、苦労などを語り合った。

「大学どう?」

僕が聞くと、

「そりゃもう、楽しいよ。友達も大勢できたし、サークルの勧誘も多いし」

「何か入ったの?」

「まだ決めてないけど、どこか運動サークルに入ろうかなって思ってる」


 僕は、入学式に遅刻した話や毎晩山崎たちがお風呂に入りに来ていること、山崎と一緒に櫻川さんのアパートへ行ったことなどを話した。


「名古屋なら、京都まで1時間で来られるからいいけど、もし慶応に行っていたら、そうはいかなかったよね。時間もお金も随分かかるから。でも行きたかったな、慶応。やっぱりさ、名古屋の工学部より、慶応の経済学部の方が絶対いいよね。東京っていうのもあるし、私立っていうのもかっこいい。まあ、親は経済的に大変だろうけどね」

僕は、いまだに慶応に落ちたことを未練がましく話した。


「晩ご飯どうしよう?どっか食べに行く?それとも買い物してここで作る?」

「時間大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「今日も山崎君たちが、来るんじゃないの?」

「ああそうだけど、僕がいなきゃ帰るよ」

「それじゃ、かわいそうだよ。それに私、今日友達と約束ができちゃったから」

「そうだったの。じゃ、しょうがないね。帰るわ」


 帰りは、地下鉄の駅まで送ってもらい、そこからは一人で帰った。新幹線の中で、僕は大きな不安を感じた。地元にいたとき「一人暮らししたら、行ってもいい?」って聞いたら、「うん、来て来て」って言っていたのに、今朝の電話ではしぶしぶという感じだった。しかも夕方には、僕に早く帰るように促した。


 僕の靴を隠したのだって、別に見られたっていいじゃないか。付き合っている人がいるって知られたからって、恥ずかしいことではないはずだし、かえって、他の男に付きまとわれないようにするための、いいアピールになるはずだ。


 もしかしたら、彼女は大学に入ってから、新たな希望を持ったのかもしれない。すなわち、まっさらの状態から、大学生活をスタートさせたいと。僕たちの高校から京都の大学へ行ったのは彼女ひとりだけ。高校のクラスメイトはいない。たまにとはいえ、そこに高校時代の男がうろついていたのでは、新しいスタートを切る足枷になる。身辺整理しなければならない。そう考えた可能性はある。大学生活スタート早々、僕は大きな不安に包まれることになった。


 僕のアパートに着くと、山崎と石原が玄関の前で待っていた。

「ごめん、ごめん。ちょっと遠くまで行ってたから」

「あと、10分待ってこなかったら、帰ろうかって言ってたところだよ」


京都へ行ったことは、気持ちいい話ではなくなっていたので、僕は、二人には言わずにおいた。

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