第46話

「幸生はまだ退院できないのに、すべて解決してあんただけ日常生活に戻るなんて許せない!!」



それは一穂の悲痛な叫びだった。



好きな人を傷つけた相手が日常へ戻って行く。



それはたまらなく苦しいことだろう。



相手のこと憎くて憎くてたまらなくなっても、おかしくなかった。



知らず、涙が頬を流れて行っていた。



あたしは幸生のことも一穂のこともこれほどまで傷つけてしまったんだ。



自分ばかりが咲子さんの犠牲になると思っていたけれど、違ったんだ。



周囲に助けを求めるあまり、友人の苦しみに気が付くことができなかったのは、あたしのせいだ。



「ごめん……ごめんね一穂」



あたしは一穂へ手を伸ばす。



しかし、一穂はその手を振りはらった。



もう一穂と手を握り合うことはできないんだろうか。



1度できてしまった亀裂はどこまでも深く、修復できないんだろうか。



絶望感が胸をよぎった時、一穂の手から花が落ちて行った。



きっと幸生の元へ届けて来た花なんだろう。



続けてその手がポケットに入れられ、ギラリと光る刃物が握られて出て来たのだ。



「殺してやる……」



それは強い怨念のこもった呪詛だった。



「おい、嘘だろ……」



充弘があたしの手を掴んで数歩後退した。



一穂の瞳はギラギラと輝いてあたしたち2人を見つめている。



それは獲物を見つけたハイエナと同様だった。



「あたしにもう少し力があれば、ブロックで殴りつけた時に死んでたのに」



「やめて一穂、ナイフを置いて!」



あたしは一穂の目を覚まさせようと叫ぶ。



しかし、一穂はぎらついた目をしたままあたしたちへ向けて走り出した。



「来ないで!!」



そう叫んで充弘の腕に縋り付く。



一穂の持ったナイフがあたしの眼前に振りかざされようとした、次の瞬間だった。



「なにをしてるんだ!?」



騒ぎを聞きつけた人たちが会社から出てきてくれたのだ。



ナイフを持っていた一穂はあっという間に数人の男性社員に取り囲まれ、押さえつけられてしまった。



持っていたナイフがアルファルトに落下してカランッと空しく音を立てた。



「離せ! こいつらを殺すんだ!」



一穂は口の端から唾を飛ばしながら、いつまでも怒鳴り続けていたのだった……。


☆☆☆


まさか、一穂があそこまで思い詰めていたなんて考えてもいなかった。



一穂のためにも一刻も早く事件を解決しないといけない。



同時に、幸生にも元気になってもらわないと……。



考えれば考えるほど暗い気持ちになっていく。



しかし、あたしたちには立ち止まっている時間もなかった。



「ここが前原の家だ」



充弘がそう言ったので立ち止まって見上げてみると、そこには小さな平屋の家があった。



築年数もかなり立っているようで、壁のあちこちがヒビ割れている。



さっきの会社で『一穂が暴れ出したのは前原が関係している』と、説明して自宅を教えてもらっておいたのだ。



一穂と前原は直接的には関係ないけれど、あながち嘘でもない。



写真の人が快く住所を教えてくれたのは助かった。



後から色々と質問責めにされるだろうけれど、今は前原に接触することが先決だった。



「玄関から入るの?」



「いや、そんなことをしたら逃げられるだろ」



充弘はそう言うと近場の窓に手をかけた。



しかし、しっかりと施錠されているようだ。



中から物音も聞こえてこないし、もしかしたらここには戻っていないのかもしれない。



それでも、前原の家なのだから入ってみても損はないはずだった。



なにか、当時の事件に関する決定的な証拠があれば、それを警察へ提出して捜査してもらうことも可能になるかもしれない。



「美知佳、少し離れてろ」



そう言われて身を離すと、充弘は手頃な石を拾って窓に叩きつけた。



古い、格子柄の入った窓はパリンッと音を立てて簡単に砕け散った。



そこから手をいれて鍵を開ける。



周囲にひと気がない場所だったことも幸いして、あたしたちは簡単に前原の家に侵入することができたのだった。

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