第20話

理解しているのに、体はちっとも動かなかった。



自分からエレベーターに近づかないといけないということが、最も恐怖だった。



『大丈夫だ美知佳。こうしてずっと通話をしていてやるから、なにも心配はない』



あたしを落ち着かせようと、充弘が優しい声で話かけてくる。



あたしは鼻から空気を吸い込んで何度も頷いた。



「わかってる……」



どれだけ通話してくれたって、別世界にいるのだから助けることはできない。



それでも、あたしはやるしかないのだ。



自分の勇気だけで、二度と近づきたくないと思っていたエレベーターに近づくしか、方法はないのだ。



『エレベーターに乗れば、なにかわかってくるかもしれないしな』



幸生が言う。



なにかわかるとは、あたしに伝えたいことがわかる、という意味だろう。



正直、伝えたいことがあるのならさっさと伝えて終わりにしてほしかった。



どうして1度で終わらせてくれないのか、あたしには理解できない。



気が付けば恐怖で涙が滲んできていた。



右手でスマホを握りしめ、左手で溢れて来る涙をぬぐう。



そして、ようやく歩き出した。



ずっとこの世界にいるわけにはいかない。



得体の知れない世界だから、もしかしたらどこからか攻撃を受けるかもしれない。

今すぐにでも脱出したい。



そんな気持ちが強くなっていた。



廊下に出てからはほとんど走って古い校舎の階段へと向かっていた。



階段に差し掛かると1段飛ばして転がるように降りていく。



古い校舎は相変わらずジットリとした空気で、あたしの体はだんだんその重さに足が遅くなっていく。



それでもあたしは足を止めなかった。



一気に一階まで駆け下りるとさすがに息が切れていた。



もう、目の前に昇降口が見えている。



あそこまで行くことができれば……!



あたしは願うような気持ちで足を進めた。



エレベーターに視線は向けず、一目散に駆け抜ける。



そして、エレベーターの前を通り過ぎた。



昇降口まであと少し……!



手を伸ばせば届きそうだった。



外の光が見えていた。



それなのに……。



グィーン……。




チンッ。



その音が、あたしの後方で聞こえて来た。



それでもあたしは足を止めなかった。



一歩でも外へ出れば解放される。



そう信じて足を動かしていた。



が……。



突然足を取られてその場に転倒してしまった。



咄嗟に顔を手で庇い、ヒドイ痛みが全身に駆け抜ける。



続いて立ち上がる暇もなくあたしの体はエレベーター内に引きずり込まれていたのだ。



「嫌!!」



悲鳴を上げてエレベーターの扉へ手を伸ばす。



しかしそれは無情にも閉められてしまった。



『美知佳!!』



スマホから充弘の声が聞こえて来ても返事ができなかった。



箱の中で電気がチカチカと点滅をはじめ、あたしは壁に自分の背中を押し付けた。



「嫌……嫌……こないで!」



誰もいない空間へ向けて叫ぶ。



明暗を繰り返す箱の中、暗闇に包まれた瞬間だけ見える人影があった。



今日も、まただ……。



悲鳴が喉にはりつき、頬がひきつる。



涙はとめどなく溢れ出しているはずなのに、人影だけはしっかりととらえていた。



人影はまるで壁のシミのようにそこに存在した。



最初はノッペリとしたイラストのようで、電気が点滅するたびにそれは立体へと変化して行く。



ジワジワと浮き出して来る手足、胴体、顔。



最初は大雑把な輪郭だったのが、浮き出してくるたびに指先まで鮮明に現れ始めていた。



親指、人差し指、中指、薬指、小指。



すべての指まで、爪の先までがしっかりと形成された影になる。



影はゆっくりとこちらへ向いた。



あたしは影に射すくめられ、その場にズルズルと座り込んでしまった。



スマホからは3人の声が聞こえて来るけれど、それももう耳に届いて来ない。



う……うぅぅぅぅぅ。



影が、うめいた。



仲間の声は届かないのに、ソレは確かにあたしの耳に届き、鼓膜を震わせた。



低く、苦しんでいるような、女の声。



「キャアアアアアア!!」



張り付いていた悲鳴が上がった瞬間エレベーターは3階に到着し、扉が開いたのだった。

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