第385話 商業都市ジュートノル


 白い、一筋の煙がたなびいている。

 ジュートノルの街中から見える細い帯のようなそれを、火事と疑う住人はいない。

 毎朝、決まった頃合いに決まった場所から立ちのぼる炊事の煙を見た人々は、一向に減る様子のない瓦礫を片付ける手を止めて、ほんの少しだけ口元を緩ませる。


 その大元、一目で急拵えとわかる木造の建物の前に、制式鎧を着こんだ数人の男達と一人の若い女が向かい合っていた。


「すまねえな、ターシャさん。俺達の昼飯だけじゃなく、炊き出しの分まで作ってもらって」


「いいのよミルズさん、こっちも助かってるもの。まだまだ普通のお客様は少ないし、お代だってきちんともらってるんだから」


「だがなあ、あの程度の額じゃ材料費と手間賃くらいにしかならんだろ。ちゃんとやっていけてるのか?」


「苦しいのはお互い様じゃない。商売柄、ジュートノルの衛士隊だって色々と大変なのは噂で聞いてるわ。うちはみんなが食べていくくらいの稼ぎがあればそれでいいの。それに、手が足りないところは衛士の皆さんが手伝ってくれてるしね」


「お前ら、サボってねえでとっとと馬車に積み込め! 炊き出しに間に合わなかったら承知しねえからな!」


 ターシャから笑顔を向けられた部下たちが、相好を崩したり手を振ったりしているところにミルズの雷が落ちて、慌てて料理が入った寸胴を馬車に積み込んでいく。

 その様子にもう一睨みしたミルズは、


「それにしても、この辺もまだまだ人が戻って来てないよな」


「災厄の前と比べると一割くらいかしら。私達がこっちに戻ってくる時もずいぶんと引き止められたもの。ジュートノルはまだ危ない、公都にいれば安全だって」


「戻ってきてからこっち、街壁の中どころか周囲にだって、一度も魔物が出てきたことないんだけどな。まったく、俺たち平民を導いてくださるはずのお貴族様方は、毎日パーティー三昧でこっちを見向きもしねえのかね」


「ミ、ミルズさん」


「こちとら毎日毎日、瓦礫を片付けて掃除して、盗人がいればとっ捕まえて、魔物の目撃が出れば真夜中だろうが出張って、寝る間も惜しんで働いてるのによ。ドラゴンも、いっそのこと貴族の屋敷を狙って焼いてくれりゃあ、色々とすっきりしたのによ」


「ははは、申し訳ない。言い訳にはならないが、衛士から上げられた報告の処理にかかりきりで、なかなか執務室から出られないのだ。今後は善処するとしよう」


 突然、背後から聞こえた若い声にミルズが振り返ると、平民にしては上等な服を着た青年が立っていた。

 そして、その顔にミルズは、とてもよく憶えがあった。


「ご、ごごごご、御領主様……!?」


 ミルズが批判していた貴族の一人、公王ジオグラルドの片腕とまで呼ばれたサツスキー伯爵が、お忍び姿で立っていた。


「ああ、そのままで。今日はお忍びの視察だ。他の貴族に露見すると、私の身代わりをしてくれている秘書に処分が下るので、できることならば大げさにしないでほしい」


「は、はい!!」


「サツスキー伯爵様、でしたよね?」


「お久しぶりです、ターシャ嬢。相変わらず、市井に置いておくには惜しいほど美しい」


「伯爵様こそお元気そうで。それから、この度のジュートノルと近隣一体の領地襲封、おめでとうございます」


「これはうれしい言葉だ。できれば我が屋敷にお招きして、本格的に祝ってもらいたいところなのだが」


 と言ったところで、役目柄他人の視線に敏感なサツスキー伯爵は、背後から漂ってくる不穏な空気に気づいた。


「御領主様、そろそろ次の視察場所に向かった方がいいんじゃないですかねえ」


「いや、お忍びなので特に急ぎでは……」


「まあまあ、そう言わずに。そういえば、角の鍛冶屋がインゴットが手に入らないってボヤいてましたぜ」


「ターシャ嬢!また折を見て伺わせていただきますので!」


 そんなミルズの言葉を合図に、荷積みを終えた衛士達がサツスキー伯爵を取り囲み、半ば強引に連れて行ってしまった。


「全く、油断ならねえ御領主様だぜ。じゃあ、俺もそろそろ行くわ」


「はい。ミルズさんも頑張ってくださいね」


「あー、で、だな、あいつから何か……」


「なんですか?」


「……いや、やっぱいいわ。こういう情報は俺達の方が早く耳に入るだろうし。明日もよろしくな」


 最後に、ターシャには理解がつかないことをつぶやいたミルズも、部下たちの後を追うように歩いていった。

 その様子をうかがっていたように現れたのは、衛士に負けない体格を持つ、料理人のダンだった。


「ようやく帰ったか」


「ダンさん、私が伯爵様に口説かれてるのを中から見てたでしょう」


「俺に揉め事の仲裁を期待するな。しかも相手は貴族だ、お前に任せた方が丸く収まるだろうが」


「あら、サツスキー伯爵様は話の通じる御方よ。こうして、たまにうちに来てくださるのも、ジュートノルの復興を御自身の目で確かめたいと考えてのことらしいし」


「その御立派な伯爵様がジュートノルの領主で、就任間近の内務卿というわけか。父親とは大違い、と言いたいところだが、女たらしは親譲りだな」


「そうかしら? さっきのお誘いも変な意味はなさそうだったけど」


「だがなあ、ああいう手合いはいつ狼に豹変するか分からんだろう」


「大丈夫だと思うわよ。だって伯爵様、最近三人目の側室を迎えられたそうだし。平民の私なんか見向きもしないわよ」


「……むしろ心配に――いや、それよりも朝食の準備を済ませよう。そろそろ、あいつらも帰ってくるはずだ」


「はーい」


 まだ復興の端緒についたばかりのジュートノルで、白いうさぎ亭は仮店営業を再開していた。






 仮店ということで、白いうさぎ亭は以前の広さを有していない。

 完全な再建の人手が足りなかったとか、通常営業にはまだまだ住人が戻ってきていないとか、理由は様々だが、料理と従業員の居室に機能を集約し、衛士兵団への納入や炊き出しの請負でなんとか暮らしを立てている。

 そしてもう一つ、貴重な収入源である、通りでの出店を終えたティア、ルミル、そしてリーナが帰ってきて遅い朝食が終わったのは、いつも通り昼近くになってのことだった。


「全員、片付けが終わったらちょっと来てくれ」


 ダンの呼びかけに、それぞれの仕事を済ませて全員が席に戻ると、当の本人ではなくリーナが話しだした。


「集まってもらったのは、ティアのことよ。みんなそれとなく聞いていたと思うけれど、白いうさぎ亭を正式に辞めることが決まったの」


「ティアちゃん……」


 ダンとルミルが無言で見つめる中、代表してターシャが声をかけると、ティアはにっこりと笑って言った。


「本当は、いつまでもこの白いうさぎ亭にいたかったけれど、これも運命だと思っているわ」


「ジオ様が亡くなって、セレス――セレス様との子を立てて、お兄様を始めとした公国貴族が一つにまとまっている公国だけれど、不安要素がないわけじゃないの。それがティアよ。アドナイ王国内によからぬことを考える輩はいないだろうけれど、他国となると話は変わってくる。ティアを誘拐して強引に婚姻を結んで、公国に食い込もうという勢力が出てくるのは間違いないわ」


「ジオお兄様が命を懸けて守った公国の、足手まといにはなりたくないもの。いつまでも平民の振りをしていられないのはわかっていたから、この辺りで本当の私に戻るわ」


「……これが最後の機会だと思うから言うが」


 そう切り出したのは、普段は無口であまり話題に入ってこないダンだ。


「お前が平民で居続けることを望むなら、俺とルミルの養子に迎えてもいいと思ってる。もちろん、ただの思い付きじゃない、その辺のことに詳しいリーナに相談してのことだ」


「王都壊滅や竜災で、様々な記録が失われている今なら、ティアの出自を改ざんすることも決して不可能じゃない。渋々だけれど、お兄様も承諾してくれたわ」


「ルミル、うちの子になる気はないか?」


「ルミルちゃんはいい子だし、よく働くし、まじめだし、私達は大歓迎だよ」


 すでに公認の仲になっているダンとルミルの言葉に、ほんの少しだけ瞳を震わせたティア。

 その目をギュッと瞑ってから開くと、微笑みをたたえながら言った。


「今の公王の血筋は、ジオお兄様とセレスお義姉様との子だけ。そんな中で、私の存在がどれだけ重要か、そのくらいはわかっているつもりよ。それなら、白いうさぎ亭のみんなが巻き込まれなくて、公国の為になる道を選ぶのは当然だと思うの」


「ティア、お前の齢でそんなことを考える必要はないんだぞ?」


「いいえ、ダン。私はどこまで行ってもアドナイ王家の姫で、公王ジオグラルドの妹よ。そのことに気づくのに遠回りをしちゃったけれど、私は私に戻るべき時が来たと思う」


「ルミルちゃん……」


「これだけは言っておく。俺達は家族だ。お前が王族に戻ろうが、誰と結婚しようが、いつでもここに戻ってきていいんだからな」


「うん、ありがとう、ダン、ルミル」


 そんな、三人が思いを通わせ合う様子を見守っていたターシャが、おもむろにリーナへと目を向けた。


「私からもリーナに聞いておきたいことがあるんだけど」


「皆まで言わなくてもわかっているわよ。私は家に戻らないのか、って話でしょう?」


「べ、別に、リーナだってずっとここにいていいんだからね」


「出て行きやしないわよ。理由は、ターシャなら分かるわよね」


「リーナ……」


「それに私、もう一度冒険者に戻るつもりだもの」


「え、戻れるの!? てっきり、加護を失ったら二度とできないと思ってたけど」


「私も覚悟していたわよ、つい最近まではね。けれど、テレザが調べた限りだと、もう一度ノービスの加護を取得してやり直すことができるらしいわ」


「そう。おめでとう、って言えばいいのかしら」


「これからが大変だけれどね。加護を失っているのに名前だけは売れてしまって、やっかみや嫉妬がすごいことになるのは目に見えているから」


「でも、どうして冒険者に戻ろうって思ったの? ひょっとして……」


「捜しになんか行かないわよ。これからジュートノルが元に戻っていくとして、色々と物騒になった時に、白いうさぎ亭に荒事担当が必要だと思っただけよ。ティアも出て行くことだし、最低限の自衛はできないと」


「なんだ、そういうことか……」


「ちょっとリーナ、私のこと忘れてない!?」


「あなたはさっさとダンとの子供でも作ってなさいよ、ルミル。不能になってからじゃ遅いんだから」


「なっ……!?」


「ふ、ふふふふふ、不能って……!?」


 リーナの爆弾発言に、顔を真っ赤にして押し黙るダンとルミル。

 しかし、決して否定に走ろうとしない二人の様子に、他の三人から笑いが起きる。


 それでも、ターシャは思う。

 今、ここに、彼がいてくれたらと。


 その右手に、隣から左手が重ねられる。


「守っていきましょう、ターシャ。あいつが戻ってくるまで、みんなで」


「うん、そうよね、リーナ。きっとまた会えるわよね」






 そんな、ターシャとリーナの願いが届いたのか。

 二年後、ジュートノルに一人の若者が帰還した。

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