第384話 公都ジオグラッド

 公王ジオグラルド崩御。


 その事実は、宰相マクシミリアン公爵を筆頭とした公国議会によって、諸々の調整がつくまで一定期間秘匿され、しかるべき期日を待って公表した。


 一代の英雄、墜つ。


 剣は不得手で、魔法の才もなく、軍略は人並み。

 だが、幼い頃から災厄に関する研究を重ね、護衛騎士一人だけを連れて見聞を広める旅に出ると、人族存続の道を探った。

 その後、立ち寄った商業都市ジュートノルにて災厄に遭遇、類稀なる指導力を発揮し二度にわたって撃退すると、その成果を以って王都に帰還、自ら積極的な交渉に乗り出し、臣籍降下を引き換えとした領地の獲得に成功した。

 のちに滅亡するアドナイ王国の系譜を引き継ぐ、ジオグラルド公国の誕生である。


 曲がりなりにも一国の王となった後も、ジオグラルドは玉座を温めることなく奔走し続けた。

 領地を接するマクシミリアン公爵を宰相として迎え入れると、王都壊滅で浮足立っていた貴族を次々と取り込み勢力を拡大、さらには公国の代名詞である衛士兵団を創設し、抜本的な軍制改革を行った。


 宗教においても、公王ジオグラルドの功績は大きい。

 従来の、積極的な魔物討伐を推奨していた四神教ではなく、歴史の影に追いやられていたノービス神を主神とした初心教を創始、前述の衛士兵団の活躍もあり、一気に公国内外に布教させた。


 公国の中核たる公都ジオグラッドの威容にも、ジオグラルドの深謀遠慮を見ることができる。

 これまでの都市が王家の威光と経済の発展を重視してきたのに対して、公都ジオグラッドは人族という種を残すために設計されている。

 衛士を労働力として動員して荒野を掘削し、巨大な地下要塞都市を建設した意図は、あくまでも守りを重視していることは明白で、当初はジュートノルの商人を中心として根強い反対運動が展開されていたほどである。

 人族の領域を広げ続けてきたアドナイ王国と比較して弱腰だと非難していた彼らが一様に押し黙ることになったのは、ドラゴンによる人族の国々への一斉襲撃の直後のことだった。

 五大国の中で唯一、竜災を凌ぎ切ったジオグラルド公国の武功を認めない者はなく、公王ジオグラルドの名はあまねく知れ渡った。


 だが、強すぎる光は深い闇を生み出す。

 ジオグラルドの偉業の裏で財を失った商人や、公国の躍進を妬む国内外の貴族が結託し、恨みを晴らさんと刺客を放ったのだ。

 折しも、ドラゴンの襲撃を退けた戦勝パレードの最中の出来事であったため、刺客の撃退は難航し、ついにジオグラルドは治癒不可能といわれるヒュドラの毒を受けてしまう。


 これによって、ジオグラルドのみならずジオグラッド公国もこれまでか、と巷ではあらぬ噂が飛び交ったが、史実はそうはならなかった。

 ジオグラルドの子をその胎に宿していた公王妃セレスが公王代理就位を宣言、病の床についたジオグラルドに代わって役目を務めると布告したのである。

 女性の、しかも身重の体で公王の重責を担えるはずがない、と眉を顰める者も数多くいた。

 だが、宰相であるマクシミリアン公爵以下公国の貴族たちは、玉座に座った公王代理セレスに末代までの忠誠を誓ったのである。

 それはひとえに、人族の新たな時代を切り開いたジオグラルドの意思と、その血脈を途絶えさせてはならないと、公国貴族が結束したがゆえだった。


 だが、苦難の道とはえてして再興の最中にこそあるもの。

 最小の被害で災厄を乗り越えたジオグラッド公国もまた例外ではなかった。






「父上。本日最後の案件になります」


 公都政庁にある宰相執務室。

 着慣れていない官僚見習いの衣装に窮屈そうにしながら一枚の書簡を差し出した少年に、マクシミリアン公爵は小さくため息をついた。


「アルフレッド、二人きりとはいえ、執務室で父上と呼ぶのはやめなさい。今の私は公国の宰相、そしてお前は官僚見習い、公の場での立場を心得るように」


「し、失礼いたしました、宰相閣下……」


「わかればいいのだ。明日の予定の準備もあるだろう、今日はもう上がりなさい」


「で、ですが、閣下の補佐が私の仕事ですから」


「最近アルフレッドの帰りが遅いと、ミラエッタが心配しているそうだ。たまには早く帰って、母上を安心させてやりなさい」


「は、はい!」


 それまでのぎこちない表情から一転、満開の花のようにほころんだ顔を見せた少年は深く一礼すると、従者が開けた扉を足早に出て行った。

 そのまま閉じられるかと思った扉が停止し、隙間をすり抜けるように入ってきたのは、


「さすがの宰相閣下も、御子息の教育にはご苦労されているようですね」


「何の用だ、リーゼル」


「何の用だ、とはずいぶんですね。御用繁多な宰相閣下のために、こうしてわずかな休息を狙って面会に来たというのに」


「待て、その言い様では、私の休息を邪魔しに来ただけではないのか?」


 そう不満を漏らしながらも、執務室の中央に据えたテーブルのソファにリーゼルを座らせ、自身も向かい側に腰を落ち着け、従者に用意させたお茶を喫する。


「それで、卿に任せた宮殿造営はどうなっている?」


「それはもちろん、滞りなく。なにしろ、御生誕なされたばかりの公王陛下と御母君が住まわれる場所なのですから。公都の拡張と合わせて、万全の守りを敷けるように進めております」


「レナート卿の方はどうだ? 貴族になりたての上、新たに近衛騎士団を創設するのは並大抵の苦労ではないと思うが」


「冒険者と違って、騎士の子息は実直な性格の者が多いから鍛えがいがある、と仰っていましたよ。問題は、ご自身の礼儀作法に若干の不備があるところですが、新妻のテレザ殿が良く補佐しているようですよ」


「それはなにより。それから、先日伝えた通り、卿には宮殿完成後の責任も負ってもらうぞ。さしずめ、宮廷長といった肩書きになるか」


 その言葉を聞くなり、リーゼルの完璧な笑みが若干痙攣したものに変わった。


「私も先日言いましたがね、公王陛下のおそば近くに仕えるには、今の私の爵位は低すぎるのですよ。父の隠居も当分は先延ばしになるようですし、いくらなんでも鼎の軽重を問われかねませんよ」


「心配するな、その点に関してはすでに手を打ってある。先方の了承も取れた」


「……それって、まさかとは思いますけど、違いますよね?」


「さてな。これ以上は直接問いただしてみるといい。近々、卿の御母上が場を設けるそうなのでな」


「なんてことだ……」


「それはそれとして、そろそろ卿の話を聞かせてはもらえぬか」


 この若く有能な貴族の長所は、どれほどの困難に見舞われようとも立ち直りが早いところだ。

 そんなマクシミリアン公爵の予想通り、しばらく項垂れていたリーゼルは意を決したように顔を上げて話し出した。

 その眼に若干の陰鬱さを残したままだったが。


「失礼を承知の上で聞かせていただきたいのですが」


「卿の私への物言いに関して、いまさら礼儀もなかろう。何なりと聞くがいい」


「御子息の教育、間に合いそうですか?」


「まあ、辛うじて、といったところだな」


「公都での権力掌握に、領地の把握、派閥貴族を含めた公国貴族との関係構築、各国への顔合わせ、等々。公爵としての家督継承だけでも、気が遠くなりそうな量ですね」


「それに加えて、宰相として次代の公国を一身に背負えるよう、研鑽を積ませねばならぬ。私が後見できる二十年の間にな」


「エルフ族も、少しくらいこちらの事情を汲み取ってくれてもよいと思うのですがね。いくら二十年後とはいえ、公国が宰相閣下を失うことがどれほどの損失か、理解できないわけではないでしょう」


「そう言うな。シルエ殿の祖先に対してマクシミリアン家が犯した罪と比べれば、格別の恩情といえるのだ。ましてや、エルフの魔法を提供してもらったことを考えれば、二十年の期限をいくらか短縮されなかっただけましであろう」


「やはり、御決心は鈍りませんか」


「全てはエルフ族との友好、ひいては亜人族全体との友好のためだ。人族だけの繁栄を目指した五千年前の過ちを繰り返さぬためには、誰かが亜人族の領域に赴く必要がある。なに、エルフ族とて、人族と戦争がしたいわけではあるまい。体のいい人質として、それなりの待遇で迎えられるはずだ」


「まあ、五千年前の英雄を信奉するジオグラッド公国に対して、そう悪い対応をしてくるとは思えませんがね。ですが、ガルドラ派や北部貴族はどうするつもりですか。彼らに説明しても反対されるでしょう?」


「それも、残り二十年で解決すべき問題だな。こればかりは説得を重ねるしかあるまい。これより先は、世界との調和を目指していく時代だ。亜人族の様式を採り入れ、大地の声を聞き、魔物との棲み分けを考えることこそが、我ら貴族の使命となるだろう」


「そう言えば、御子息の教育課程から、武芸を大きく減らしたそうですね。それも調和の一環ですか」


「お爺様のような英雄気質は、却って敵を作りやすいからな。強すぎる自信は過信となり、やがては身と家を滅ぼすことを、ガルドラ公爵家が教えてくれた。武芸は護身程度に会得すれば十分だ」


 マクシミリアン公爵の言葉に深く頷きながら、リーゼルはある噂を思い出した。


「人質といえば、ガルドラ公爵家のリュークス様の処遇はどうするのですか? 災厄も収まりつつある今、御母上のアンリエッタ様と共に公都で預かる必要はなくなっていますが」


「それなのだが、ガルオネ伯爵とガルダス伯爵の連名で書状が届いてな、このまま二人を公都に住まわせることはできないかと、内々の打診があった」


「……ガルドラ派の重鎮二人の名前が入った書状なら、もはや正式な要請と言うべきでしょう。おおかた、派閥の立て直しに苦労していることが理由なんでしょうが、それでは北部貴族の風下に立つことになりかねませんよ。それを許さない派閥貴族の反発が怖いですね」


「それについても心配はない。その北部貴族の領袖であるギュスターク公爵から、御令孫を公都に留学させたいという旨の手紙が届いたところだ。どうやら、前もってリュークス殿のことを調べ、公国との関係で出遅れていると焦っておいでだったようだ」


「それはもう、二つの公爵家が公国に臣従していると捉えるしかないですね。もしも、他の貴族も追随してきたら……」


「仮にそのようなことになれば、公国の組織図を大きく書き換える必要が出てくるであろうな。あるいは、アドナイ王国を飲み込む覚悟も必要かもしれん」


「ジオグラッド王国、あるいはジオグラッド帝国の誕生ですか。何十倍にもなるだろう書類の山を想像したら、ぞっとしない話ですね。まさかとは思いますが……」


「なんだ、言ってみろ」


 恐ろしい予想をぐっと飲み込んだリーゼルだったが、マクシミリアン公爵に促されてしぶしぶ口を開いた。


「まさか、これも公王陛下の計画のうち、なんてことはないですよね?」


「……さてな。だが、公国外の貴族といえど元は同胞、頼られれば拒むことはできまい」


「ですね。セレス公王妃陛下も宰相閣下と同じ考えでしょう。やれやれ、私の安息の日々がまた遠のきそうだ」


「ちなみに、リュークス殿とギュスターク公爵の御令孫は宮殿で預かることになる。つまり、リーゼル卿は実質的な教育係となるということだ。二人の受け入れに結婚と、公私ともに多忙を極めることになるだろうが、頼んだぞ、我が右腕よ」


「なんてことだ、なんてことだ……!!」


 再び頭を抱え始めたリーゼルに苦笑しながら、マクシミリアン公爵は窓から見える公都の街並みを眺めながら、ぽつりと言った。


「まったく、悲しむ暇を与えてくれぬ御方だ」

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