第383話 別れの神殿 下
「ジオ、なんでここに? いや、どうやってここに……?」
ノービス神の眷属しか入れない神殿に、ジオがいる。
それ自体には何も不思議なことはない。
ジオグラッド公国の要である衛士兵団を作るために、ジオはノービス神から直々の加護を授かっている。
まさにこの神殿で行われた儀式を、他ならない俺が見届けているから間違いない。
言ってみれば、俺と同格のジオが自由に神殿に出入りする権利を持っていても当然の話だ。
だけど、ジオには自力でここまで来られるはずのない、大きな問題があったはずだ。
「お前、ヒュドラの毒はどうしたんだ。……ひょっとして、治ったのか!?」
戦勝パレードでジオが倒れた原因、ヒュドラの毒のナイフ。
ナイフの傷は瞬時に癒した治癒術も、傷口から体内に侵入した強力無比な毒の前には歯が立たなかった。
それでも、致死量を受けて即死したリーナとは違ってかすり傷程度だったジオは、治癒術士団の手厚い治療体制の中で、辛うじて命を繋いでいた。
最後に会ったのは、公王の私室にある寝室でのことだ。
あの時のジオは覚醒と昏睡を繰り返している、言ってみれば危篤状態で、本人も死を覚悟しているような口ぶりだった。
そんなジオが、神殿に来られる方法は二つ。
だけどその一つ、ノービス神がジオの夢の世界と神殿を繋げた可能性は、ないと思う。
なんていうか、ジオは確かにここにいると、俺の五感が訴えている。
自分の感覚を妄信しているつもりはないけど、俺の前にいるジオが夢まぼろしじゃないと自信を持って言えるくらいの付き合いはあるつもりだ。
だとすると、残る可能性は一つ。
「やっぱりお前はすごい奴だよ、ジオ。ヒュドラの毒に打ち勝つなんて」
死の淵に立ちながらも、ジオは生きることを諦めていなかった。
わずかな量でも死をもたらすヒュドラの毒だ、ゆっくりと体を蝕まれていくジオが、痛みや苦しみを感じなかったわけがない。
俺が黒竜王と戦っている間にも、ジオにはジオの戦いがあって、ついにはヒュドラの毒に打ち勝った。
その証拠に、ジオは今ここに立っている。
そういうことだろう。
そのはずだ。
そのはずなのに。
「テイル」
それだけ言って、微笑を浮かべたジオはゆっくりとかぶりを振った。
もう分かっているはずだ、自分で正解を導き出せるはずだ、と言わんばかりに。
いつものような、賢しら顔で高説をたれることもなく、ジオは黙って立っていた。
「……もう、お前はこの世にいないんだな、ジオ」
本当はわかっていた。
起きたことに対して、当然の結末が訪れただけのことだ。
最高の治癒術士団の力は及ばず、ジオの強い意志が影響することはなく、奇跡はなかった。
必ず死をもたらすというヒュドラの毒は、ジオの体を少しづつ蝕み続け、最後にその命の火を吹き消した。
「いやあ、ひょっとしたら運良く助かるかもしれないと思ったりもしたけれど、どうにもならなかったよ。ああ、死んだ死んだ」
「死んだって、お前……セレスさんともう会えなくなったんだろう?」
「まあね。けれど、僕が死んだ時のことはずっと話し合ってきたからね。セレスが取り乱すことは絶対にないよ。別れも十二分に済ませてきたしね」
「後悔はないのか?」
「ないよ。覚悟だけなら、誰にも負けない自信がある」
「……格好いいよ、お前は」
格好よくて、眩しすぎる。
改めて、ジオとは格が違うと痛感する。
加護もスキルもない中で災厄の再来を予見し、まだ子供と言っていい年齢からセレスさんと二人きりで各地を旅して、人族存続の道を模索した。
王都に帰還してからはジオグラッド公国建国のために奔走し、不死神軍による王都壊滅の時には多くの人々を助けるために残り続けた。
公国建国後は権力にこだわることなくマクシミリアン公爵に政治を委ね、衛士兵団の創設に専念、初心教を広めて公国の基礎を確立した。
その後も災厄に対抗するために常に最前線に立ち続け、ヒュドラの毒に侵されて以降も公国の行く末を案じ続けた。
俺なんか足元にも及ばない、真の英雄は目の前にいる。いや、いた。
「テイルのお褒めにあずかり光栄だよ。光栄ついでに一つ、僕に褒美をくれないかな?」
「褒美って、俺がお前に?」
「安心してほしい。なにも、金貨や領地を呉れと言っているわけじゃあないんだよ。テイルがすでに持っているものを譲ってほしいだけさ」
「俺が持っているもの? ま、まあ、あげられるものだったら……」
「うん。テイルならそう言ってくれると思っていたよ。じゃあ、言質は取りましたよ」
「仕方のない奴だ、テイルも、貴様もな」
「え?」
音は、しなかった。
前回と違って生身の体を失った俺に、気配もなく正面に立ってきたアイツの剣が胸を貫いていた。
もちろん痛みはない。だけど、
「テイル、お前の加護を剥奪する」
「あああああああああああああああああああああ!!」
神殿を支配したのは、残酷で荘厳な加護の光。
肉体を失くしてなお全身に満ちていた力が、貫かれた剣に吸い取られていく。
抵抗はできない――もしかしたら、剣を刺された直後ならなんとかなったかもしれないけど、こんなことになるとは想像もしていなかったし、もう手遅れだ。
手足は萎えていき、五感から得られる世界が急速に狭まる。
身近に感じていたアイツの気配が、どんどん恐ろしいものに思えてくる。
「こんなものか」
そうして、俺の中から抜け出ていくものがなくなった頃、ノービス神は俺の胸に突き立てていた剣を引き抜き、
「本当にいいんだな?」
「お願いします」
「……馬鹿が」
無造作に背後に立っていたジオの胸を刺した。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「な、なにを……?」
再び強烈な光が剣からほとばしる中、絶叫しながら弓なりにのけぞる一方で、胸を貫いた剣のせいで倒れることが許されないジオ。
それに対して、剣という支えと神に成るほどの強大な加護を失ったことで、神殿の石畳に倒れ込んで指一本動かせなくなった俺。
それでも、なんとか力を振り絞って首を捻り、アイツを睨みつけると、
「なぜ睨む? これでお前は、神という永劫の責務から解放されるというのに」
「解放? 解放なんて俺は望んで――」
「……僕が、はあ、はあ、望んだのさ、テイ、ル……ぐっ」
「ジオ……?」
光が収まると共に、剣を引き抜かれたばかりのジオが現れる。
胸に傷はない。あるはずがない。出血も、脂汗も出ていない。
変化は一つだけ、アイツと同種の威圧感――神の加護を感じるけど、明らかに弱々しい。
たぶん、神に成っていた時の俺よりもずっと。
「予想はしていたが、従属神としてすらギリギリの加護量だ。おそらく、神格は最下級。しばらくは動くだけでも難儀するだろう」
「構いませんよ。多少の不自由もそのうち慣れますから。僕の取り柄は口八丁手八丁。荒事には不向きですが、神々さえも言いくるめて、カナタ様のお役に立って見せましょう」
「というわけだ、テイル。お前の役目は終わりだ。これまでご苦労だった」
「あとのことは僕が引き継ぐから、テイルは安心して――」
「安心とか引き継ぐとか、そういうことじゃないだろう!!」
ジオに怒りを覚えたのはいつ以来だろう。
ひょっとしたら初めてかもしれない。
驚きや困惑は数え切れないほど味わってきたけど、最後は必ずジオの言うことに納得してきた。
俺にとってのジオは、この波乱の時代の道標だった。
そのジオに、初めて真っ向から反抗する。
他ならない、ジオのために。
「神様になるってことがどういうことか、わかっているのか? 永遠に神様のままってことだぞ! セレスさんが、誰も彼もがいなくなった世界になったとしても、それでも存在し続けないといけなくなるんだぞ!!お前みたいに他人と関わるのが大好きな奴が耐えられるわけがないんだ!!」
「それは、テイルだって同じことだろう」
「同じじゃない! 俺は覚悟してきた!」
自分の加護が神の領域に至ってから、もっと言えば、神々の列に並ぶことになった五千年前の英雄と同じ道を歩いていると知った時から、俺はずっと考え続けてきた。
九分九厘、死ぬことになる俺の一生だけど、何かの間違いで最後まで生き残ることになった時、人族として全うすることはできないんじゃないかと、心のどこかで思っていた。
葛藤はあった。神様になるという可能性が恐ろしくて、忘れようとして、頭から離れなくて、誰かに相談しようとして、躊躇して、結局は受け入れた。
災厄を乗り切るには、特に竜災になってからは、そんな甘いことを言っていられる場合じゃないと、逃げ道を断たれた気がしたからだ。
「黒竜王を倒した俺には、その余波で乱れていく世界を見届ける責任がある! ドラゴン一匹倒せないお前が出る幕じゃない!さあ、加護を返せ!」
「テイル、君は勘違いをしている。確かに黒竜王を倒したのはテイルだ。けれど、その責任はテイルに命じた僕にあり、罪咎を受けるのも僕以外にはあり得ない」
「そんなものは詭弁だ!! 俺は俺の意思で――」
「この先のテイルの責務を肩代わりすることが、これまでテイルに戦いを強いてきた僕が渡せる、最初で最後の褒美なのさ」
「な、にを……」
二の句が継げなかった。
ジオを屈服させるための千の言葉を用意して、いざとなればアイツの力を借りてでも加護を取り戻そうとしたはずが、見たこともない柔らかな笑みを浮かべるジオに、言葉を返せなかった。
「言っただろう、覚悟だけなら誰にも負けないとね。僕だってずっと考えてきたんだよ。災厄を乗り越えたとしてテイルに待つ結末が何なのか。そして、テイルにどう報いればいいだろうかって」
「報いるって、……お前は色々なことをしてくれただろう。ターシャさんを救ってくれたり、白いうさぎ亭のことだったり」
「馬鹿なことは言わないでくれよ。あれは、あるべきものをあるべきところに戻しただけのことで、テイルの功績に比べることすらおこがましい児戯さ。ましてや、黒竜王討伐に匹敵する褒美なんて、テイルの代わりに神となって後始末を引き受ける以外には無いじゃあないか」
「それこそ、お前は十分に責任を果たしただろう! 弱いくせにみんなの先頭に立って、いつも自分の身を危険に晒して、あげくの果てにヒュドラの毒を受けて、それでも最後の最後まで戦って。もう十分だろう、精いっぱい生き抜いて、これ以上お前が頑張る必要はどこにもないだろう……」
「子供がね、生まれたんだ」
唐突な告白に一瞬頭が真っ白になるけど、すぐに思い当たった。
セレスさんとの、子供だ。
「最後に一度だけ会うことができたよ。セレスの助けで、この手に抱くこともできた。そうなると欲も出てきてね。セレスと子供の、さらにその子孫の行く末を見届けたいと願うようになった」
「じゃあ、俺の身代わりになろうとしたのは……」
「そう、ごく最近のことさ。まったく、僕も所詮はただの人族だったというわけだ。この瀬戸際に至るまで、決心なんてついていなかったのだから」
「ジオ……」
その言葉を、ずっと神に成ることを迷っていたとジオ本人から聞かされて、心の底からほっとする。
ジオは鋼の精神で俺から加護を奪ったんじゃなかった。
ギリギリまでやるかやめるか悩みに悩んで、その末に決心したんだ。
死んでもなお、ジオはジオのままだった。
「それからもう一つ、いくら僕が神に成りたいと願っても、それだけでテイルから加護を奪えるわけじゃあない。テイルの主神であるカナタ様の許しと協力がなければ為し得ないのさ」
「それって、つまり……」
ジオの言葉に呆然としながらアイツの方を見るけど、沈黙したままそっぽを向いている。
かわりにジオが、
「五千年前にカナタ様が果たせなかった夢を、人族としての幸せな一生を送ってほしい、と今際の際に夢の中でカナタ様に拝謁した時に聞かされたのさ」
「そんなことは言っていない!! 従属神の立場を弁えろ、ジオグラルド!!」
「申し訳ございません。ですが、主神の意を斟酌するのも従属神の役目ですので」
「テイル、さっさと下界に帰れ!! お前がいるとジオグラルドがうるさくてかなわん!!」
「いや、帰れって言われても、俺の体はもう……」
そう。
神様じゃなくなったからといって、俺は自由になったわけじゃない。
黒竜王との戦いで相打ちになった俺の体は完膚なきまでに命を止めていて、いまさら治癒術も効きやしない。
このまま下界に帰っても、魂だけの存在になって彷徨うか、その辺の死体に取り付いてアンデッドになるのが関の山だ。
だけど、心底呆れたような目をしたソイツが、
「すっかり忘れているようだな、愚か者め。僕は生命神の眷属だぞ。その気になればあらゆる傷を癒し、離れた魂を再び肉体に還すことなど容易いことだ」
「還す、帰れるのか、俺は……?」
「黒竜王が果てた場所に人族の死体がいつまでもあると、せっかくの伝説の地が汚れてしまう。さっさと谷から離れて、公都に帰るがいい」
「けれど、ノービス神の権能の関係上、カナタ様の加護で公都に転送するわけにはいかないから、蘇生してからは地力で帰ってもらうしかない。災厄はすでに収まりつつあるけれど魔物は普通に出現するし、加護がなくなったテイルには危険な旅路だから、気を付けておくれよ」
「……そういうところだけは、妙に厳しいんだな」
「神は試練を与えるものだからな」
「これも僕からの褒美ってことさ。一苦労した方がいっそうありがたく感じるものだからね」
そう言うと、二人の神様は最後に、
「テイル、人族を救ってくれて、僕の戦いを無駄にしないでくれて、ありがとう」
「テイル、君と会えてよかった。セレスや子供のことは気にしなくていい。君は君の生を生きてくれればいい」
「ま、待ってくれ、まだ聞きたいことがいっぱい――っ!?」
そして、ノービスの神殿ごと、真っ白に塗り潰された。
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