第382話 別れの神殿 上

 すべてが終わった深い谷の奥底で、神に成った俺は一歩も動けずにいた。


 どこかに行くことも、帰ることも、もうない。

 強いて言うなら、草一本生えていない谷底にただ一つ、野ざらしになっている俺の体を埋葬してやりたいけど、文字通り手も足も出ない。

 残った腕を掴もうとしてもすり抜けるし、魔法も使えそうにない。

 どうやら、神様になったといっても不自由なことはあるらしい。


 時が経てば、加護を使いこなせるようになっていろいろできるようになるんだろうか。

 まさか、永遠にこのままなんてことはないよな?


 それが杞憂だと分かったのは、谷底に吹き続けていた風が不意に止み、これまで風音に隠れていた声が二つ、聞こえてきてからだ。

 その片方に聞き覚えがあると思って、そっちの方角に一歩踏み出した途端、景色が切り替わった。


「……取り込み中の主神の領域に土足で踏み込むとは、従属神にしたのは間違いだったか」


「お前……」


「カナタ様と呼べ。……いや、今はいい。とりあえず、しばらく口を開くな」


 視界いっぱいに映るのは、何度も訪れた神殿。

 その中心である祭壇の前に、失礼ながら見慣れたアイツと、見覚えのない美少女が向かい合っていた。


 ――いや、見覚えがないわけじゃない。

 どことなく、リーナやティアに似ている気がした。


「ふふふ、あなたがそんな口の利き方をするなんて、その子とは随分と打ち解けたのね」


「そんなんじゃない! テイルはただの眷属、僕の復讐ための道具にすぎないだけだ!」


「あら、これまでずっとあなた達を見守ってきた私に、今更そんな嘘は通じないわよ」


「……まったく、君にはかなわないな。昔からそうだった」


 そんな、アイツと美少女とのやり取りに、ピンとくるものがあった。

 親しい人たちのほとんどを災厄で失い、生き残った仲間から裏切られた後で神に成ったアイツが、それでも親しく会話できる存在。

 これまで聞いた、五千年前の話の中で思い当たるのは一人だけ、アイツの死後、その亡骸の一部を密かに持ち出し、ジュートノル近くの森に供養した女性、後にアドナイ王国の初代王妃となった治癒術士だ。


「……そろそろ行かないと。依り代だったギガンティックシリーズが消滅した以上、私の魂を現世に留めておくことはもう無理だから」


「それなら、一つだけ聞かせてほしい。五千年前、どうして君は僕の亡骸を弔ってくれたんだ? 僕なりの推測はあるけど、真実は君の中にしかない。なぜだなんだ、なぜ君は……」


「許してもらいたかった、からかしら」


 そう語る治癒術士の眼には、五千年の時を重ねてきた証、複雑に輝く光があった。


「カナタ、五千年前のあなたは、確かに英雄と呼ぶにふさわしい偉業を成し遂げてくれたわ。私達が救われたのも事実。けれど、共に生きてくれようとはしなかった」


「……それは、あの時の僕には戦い以外に何も残っていなかったからだ。君だって――」


「そうね。実家のしがらみなんか気にせずに、あなたと二人手を取って駆け落ちでもしていれば、別の生き方があったかもしれない。あなたじゃなくて夫と、夫にまつわる人族の将来を選んだ私の罪を許してほしくて、私はこの日を待ちわびていたのよ」


「だからって!! ……だからって、魂の一部を切り離して、僕が使っていたギガンティックシリーズに封印し、僕の骨と共に祠に祭るなんて、正気の沙汰じゃない。この五千年、君の魂は言いようのない苦しみを受け続けてきたはずだ」


「それが、私が私に課した罰。偽善かもしれないけれど、あなたの絶望に少しでも寄り添うために、あなたが待ち続けた眷属の助けになるために、他ならない私の意思で決めたことよ」


「……思い出したよ、こうと決めたら決して自分を曲げない、一途で頑固な君の性格を」


 気になっていたことがもう一つ。

 だけど、俺の疑問は質問する前に、二人の会話で解決してしまった。


 五千年前、災厄から人族を救った英雄の一人、治癒術士。

 それだけの実力があれば、魂に関する魔法――あるいは禁術を習得していた可能性はある。

 他に協力者がいたとも思えないから、裏切り者たちが所有していたはずのギガンティックシリーズを盗み出し、魂の一部を封じ込めたという話も、まんざらあり得ないとは言えない。

 つまり、俺を助けてくれていた謎の声の主は、目の前の美少女だったということになる。

 厳密には、俺に加護を与えたアイツを助けるためだった、ということになるけど。


 本来ならこの場でお礼を、万分の一も伝わらなくても感謝の思いを言葉にするべきなんだけど、二人の世界を壊すほど無粋じゃないつもりだ。

 それに、俺が言わなくても、もっとふさわしい奴がここにはいる。


「ありがとう。僕に寄り添ってくれて、僕を助けてくれて、僕を忘れないでいてくれて、ありがとう、ファレスティーネ。君にまた会えてよかった」


「こちらこそありがとう、カナタ。人族を再び救ってくれて。愚かな人族を見捨てないでくれて。……私を許してくれて」


 そう言って、彼女――アドナイ王国初代王妃フェレスティーネは霞のように消えていった。






「さてと」


 一輪の花だった美少女が還るべきところに還って、いつもの重苦しい雰囲気が神殿に戻ってきたころ。

 気持ちを切り替えたらしいノービス神はそう独り言ちてから、俺に視線を向けた。


「黒竜王との戦いは見事だったよ、テイル。エンシェントノービスの真の力に目覚めてなお手に余る究極の生命に対して、よくぞ相打ちに至るまで戦い抜いた。いや、認めるよ、まさに奇跡と呼ぶにふさわしい偉業を打ち立てたと」


「お前に褒められるなんてこそばゆいけど、まあ、ありがとう」


「だからこそ、戦いの最中に神の座に上がることができたんだろう」


「やっぱり、そういうことだったんだな。……って、お前の仕業じゃないのか?」


 俺が神に成った。

 残されていたわずかな疑いの余地も、当の神様から断定されたら認めるしかない。

 だけど、その原因が別にあるとは思っていなかった。


「もちろん、僕が与えた加護がテイルを神の座に押し上げる基になった点は変わらない。だが、このタイミングを決めたのは生命神様だ」


「生命神、様……?」


「他にも、一部の至高の方々からも後押しがあったそうだが、異例中の異例だよ。ことは、相互不干渉であるはずのドラゴンとの戦争の契機になりかねない措置だったのだから」


「そう、そうだよな」


 神々とドラゴンの戦争。

 それがひとたび起きれば世界の終わりとされ、あの黒竜王ですら恐れていた最悪の事態。

 それを引き起こしかけたというより、超えてはいけない一歩を踏み越えてしまったと言えなくもない。


「本来ならば同胞の仇討ちに燃えていた竜王達が引き下がったのは、ひとえに黒竜王が神々との取り決めを破ったからだ」


「取り決め? ああ、ドラゴンを一匹倒したら竜災を終わらせるってやつか。たしかに、なんで黒竜王が襲ってきたのかは疑問だったけど……」


「それが、至高の方々がテイルに神の力を与えた根拠であり、竜王達が目を瞑った理由だ。黒竜王の暴走を止めるつもりはないとはいえ、戦力の不均衡は正すべきという、神々の総意さ」


「つまり、俺と黒竜王のどっちが勝っても、神々にとっては同じだったってことか?」


「同じというわけじゃない。テイルが勝てば神々が、黒竜王が勝てばドラゴンが、少し立場を有利にできていただろう。まあ、結果は引き分けという、どっちつかずで終わってしまったわけだが」


「なんだか、人族のことはオマケでしかないみたいな言い草だな」


「オマケですらないさ。人族が生き残ろうが滅びようが、黒竜王の死と比べられるものか。もっとも、人族の試練は災厄の後も続くだろうが」


「ちょっと待った、なんの話をしているんだ!?」


 唐突な展開に慌てる俺に、何を今さらという目顔をノービス神は見せてきた。


「世界の楔たるドラゴン。その頂点である竜王の死が、下界に影響を与えないわけがないだろう。テイルとの戦いの間だけでも、戦場となった各地で天変地異が次々と起こり、一帯の気候に大きな変化をもたらしている。その原因の片割れが黒竜王だ。それらを発生させた膨大な力が失われたんだぞ、戦いの余波どころじゃない変化がやってくるのは当然の帰結だろう」


「たしかに、そう言われればそうだけど。つまり、人族の危機はまだまだこれからなんだな?」


 ……なんてことだ。

 黒竜王さえ倒せば全部なんとかなると思っていた俺の考えは、とんだ井の中の蛙、後先を考えていない穴だらけの計画だったわけだ。

 なにより、神様になった今の俺には人族を守ることなんて――


 待てよ?


「なあ、ひょっとして、俺が神様になったのって……」


「テイルにしては珍しく察しがいいじゃないか。その通り、僕達に課せられた使命は、黒竜王の死によって荒廃する、世界の安定化だ。目標は災厄以前段階までの復旧、期間は無制限だ」


「言いたいことは山積みだけど、僕達……って、お前も?」


「当然だろう。誰が、神に成ったばかりの未熟者にこの大役を任せるものか。僕という監督役がいてこそ、至高の方々は納得するんだ」


「だけど、俺の戦いの後始末を手伝ってもらうっていうのもな……」


「言っておくが、この使命は絶対に失敗が許されないと思っておけ。もし、不手際を咎められたら、即別の神に交代させられるだろう。人族の存続など歯牙にもかけない神にな」


「……ちなみに、使命の具体的な内容は?」


「主に、他の神々との交渉だ。必要とあればドラゴンの領域にも赴くし、下界で眷属を育てて間接的に介入することもあるかもしれない」


「なんていうか、ものすごく大変そうだな……」


 とはいえ、だ。

 どれだけ大変でも、どれくらいの時がかかろうとも、俺にできることはこれしかないし、やるべきことでもある。

 人族全てを救う、なんて大それたことはまだ思えないけど、俺が大事な人達を守ることで結果がついてくるなら、何も言うことはない。


 とはいえ。


 神々との交渉、眷属の育成、場合によっては竜王とも……気が滅入るどころじゃないな。

 いつまでも人族だった頃を引きずったらいけないんだろうけど、すぐ神様の自覚を持てというのも無理な話だ。

 ……いや、やることは今までと変わらないと思えばいい。

 ただひたすらに、目の前のことを一つ一つ片付けていけば、いつか人族の俺と決別できるんじゃないか。

 なるだろう、なるといいな。


 ……なんて思っても、俺の考えを先読みしてくれる奴なんてもう――


「無理無理。そんな仕事は、テイルには似合わないよ。さっさと投げだしてしまうといいよ」


 ポン、と。


 肩を叩かれて思わず振り返ると、そこにいた。


「やあテイル、しばらくぶりだね」


 ジオがそこにいた。

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