第381話 災厄の終結

 剣を振り、石を投げ、魔法を行使し、傷を癒す。

 つまるところ、ノービスの戦いはこの組み合わせと繰り返しに過ぎない。

 スキルはシンプルで意外性はなく、必殺技なんてものは皆無で、相手にはこっちの手の内なんて丸わかり、基本的に意表を突ける展開なんて存在しない。


 だったらどうするか。

 最善の方法は、自分の性に合ったジョブにクラスチェンジすることだけど、言うまでもなく今回は無しだ。

 ノービスがノービスのままで勝つ術、それは長期戦に他ならない。

 戦士には投石を、スカウトには魔法を、魔導士には治癒術を、治癒術士には剣を。

 汎用性の高さを駆使して、とにかく相手が嫌がることを徹底して、絶対に有利な展開には移らせない。

 そうやって、体力と精神力を削って削って、削り切ったところで初めて勝機が見えてくる。


 もちろんこの理論は、エンシェントノービスの加護を手に入れた俺には当て嵌まっていない。

 肉体やスキルに違いはあっても、はっきりと生物として劣っていると、これまでの戦いで思ったことはなかった。

 それが、最後の最後でノービスの本領を発揮せざるを得なくなった。

 しかも相手は、究極の生命と無尽蔵のスタミナ、不屈の精神を持つ黒竜王。


 よくもまあ、ここまでついてこられたと、自画自賛したくなる。

 人族をただ滅ぼしたい黒竜王に対して、ターシャさんやリーナ、ダンさんにティアにルミル、ジオとマクシミリアン公爵。

 その他にも、ジュートノルや公都や、レナートさんやテレザさんや……言い出したらキリがないな。

 とにかく、俺につながるもの全てを懸けて、やっとのことで戦い抜いた。


 だから、この戦いの結果は、甘んじて受け入れる。

 高望みはしない。






 断末魔の叫びが響き渡ったのは、急峻な山々が連なる一帯の、深い谷底でのことだった。


 原因になったのは、俺の身長の倍はありそうな、黒の大剣。

 黒竜王の胸の鱗を突破した切っ先は柄の付近まで突き刺さり、魔道具の素材として世界中が渇望するドラゴンの心臓まで達している。

 不死の霊薬という噂まである竜血を体中に浴びながら、真っ赤に染まった左腕を、残った左足で踏ん張って捻り込む。


 右腕と右足は、もうない。

 それぞれ、黒竜王の咢と、谷の壁面を削り取った風魔法の犠牲になった。


 もちろんこっちも負けていない。

 すでに黒竜王の四肢は右前足一本だけ、それも五指のうち四本までの指を潰した。

 四肢と共に黒竜王の速さを支えた両翼も、さっき引きちぎった。

 無敵を誇った全身の鱗も、剥がれたり逆剥けたり欠けたり、見る影もない惨状になっている。

 もう、この谷底から脱出する方法も、余力もないはずだ。


 それでも、それからが、黒竜王の底知れなさを味わうことになった。

 谷底に吹き荒れる、ドラゴンブレスと古代魔法の嵐。

 後先を考えているとはとても思えない黒竜王の最後の抵抗に、言葉を失うしかないとともに、これまでとはわけが違うと気づいた。

 強靭な意思も、無尽蔵のスタミナも、その根本にあるのは体中を流れる血の出発点である心臓だ。

 ほとんど動けなくなってもこれだけの力をまき散らすことができるドラゴンの心臓が、一体いつになったら力尽きるのか。

 少なくとも俺には想像できない。


 逃げるのも難しい。

 他の場所ならいざ知らず、ここは日の光が差すこともまれな、深い谷底だ。

 脱出の途中で、ドラゴンブレスか古代魔法の餌食になって、また谷底に逆戻りする羽目になる。

 それに、古代魔法が使えるのなら、古代の治癒術を使えても不思議じゃない。

 今までは、間断なく戦い続けてきたから傷をそのままにしているだけで、俺の姿が見えなくなれば治癒術を使うか、下手をすれば自然に治る可能性だってある。


 ここが最後の攻防。だったら、こっちもなりふり構っていられない。


 ドラゴンブレスは花弁の黒盾で防ぎ。

 古代魔法には初級魔法で対抗して。

 庇った右腕を噛みちぎられながら間合いに踏み込んで。


『ギガンティックシリーズ、大剣を緊急形成、残存魔力ゼロ。まもなく自己崩壊します』


 最後の一本になった爪に胸を貫かれながら、黒竜王の心臓を目がけて黒の大剣を突き立てて、抉った。






「わ、我が、われがこんなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」


 血の泡を吐きながら叫ぶ黒竜王がうらやましい。こっちは気力を使い果たして一言もしゃべれないのに。

 ここまでくると本当に回復してしまうんじゃないかって心配になってくるけど、それはないと信じたい。

 ずるり、と黒の大剣が形を崩しながら抜けていくと同時に、胸の傷口からこれまでの火じゃない量の血が一気に流れ出る。

 あれで助かるって言うんなら、最初からどうしようもなかったってことだ。

 もちろんそんなことにはならず、黒竜王の鳴き声は時が経つごとに小さくなっていき、やがて止んだ。


 ――なんて、俺も黒竜王のことを言っていられない。

 ドラゴンの心臓と比べたらささやかではあるけど、致命的な量の血が流れてしまっている。

 血を失うのは魔力を失うのと同じことだ、この谷底じゃ助けも期待できないし、人里に辿りつくなんてどう足搔いても不可能。


 なにより、黒竜王にとどめを刺すために、全てを絞り尽くしてしまった。

 もう、視覚も、聴覚も、嗅覚も、触覚も、何も感じない。たぶん、味覚も駄目になっている。

 暗い、寒い、力が入らない。生きようという気が起きない。

 野ざらしの状態で老衰で死ぬときって、こんな風なのかと思う。


 べしゃり、と血だまりを叩いて、左足一本で立っていた俺の体が倒れる。

 そして、その様子を、立ったままの俺が見ている。

 髪は真っ白、手足はやせ細って、傷がついていないところを探す方が難しく、左胸には大きな穴。

 どこからどう見ても、死んでいる。


 じゃあ、今ここでこうして立って、俺の死に様を眺めている俺は?

 そんなもの、答えは一つしかないだろう。

 黒竜王の言う通り、大きくなり過ぎた加護が俺の体を消耗させて潰してしまい、加護だけが残った。

 神と呼ばれる存在にまでに至り、自我を獲得した加護が。


「おお、ここにおったか」


 突如吹いた、一陣の風。

 深い谷底を支配する闇を斬り裂いて現れたのは、赤、青、緑、黄の、四色の翼。

 並のドラゴンとは一線を画す巨体が、羽毛のような軽やかさで俺と黒竜王の死体を取り囲むように降り立つと、世界を震わせるような声で話しだした。


「ふむ、まさかとは思っていたが、本当に息絶えているか。竜王の死は五万年ぶりか」


「忘れたのか、青いの。先代の緑竜王が死んだのは十万年前だ。まったく、これだから年寄りはいかん」


「どちらにしても、久しぶりの世代交代ね。どんな経緯があったとしても、喜ばしいことだわ」


「こらこら、お前たち。好き勝手にしゃべる前に、黒いのに勝利した英雄に敬意を払わんか」


 そう言って、その長い首を振り回して、肉体を失った俺に鼻先を近づけたのは赤竜王だった。


「お初にお目にかかる、真なるドラゴンバスターよ。我は赤竜王」


「青竜王」


「緑竜王だ」


「黄竜王よ」


「我らがあまり下界に留まると色々と不都合が生じるのでな、早速本題に入ろう。本来、敗北した黒竜王の死体は勝利したお主に所有権があるのだが、一つ頼みを聞いてもらいたい。黒いのを譲ってはくれぬか?」


 突然の申し出に困惑していると、俺の心を見透かしたように赤竜王は言った。


「むろん、相応の見返りを考えてある。黒いのを渡してもらえれば、今回の災厄を終結させるよう、我が主に願ってみようではないか。おそらく、お聞き届けいただけることであろう」


「次なる竜王を生むためには、先代の死骸を眷属に食わせ、その力を継承する必要がある」


「そうして力を得た者達が互いに争い、最後に勝利した一個体が次なる竜王になるのだ」


「そのためもあるけれど、竜王の死骸を下界に置き去りにしたら、どんな影響があるか分からないのよ。ドラゴンバスターとしての証はなくなってしまうけれど、できることならこちらに任せてほしいところね」


 竜王たちの言葉に嘘がないことは、黒竜王の死体から今も漏れ出ている、膨大な魔力を見ればわかる。

 あれを放置できないのは俺も同感で、赤竜王の申し出以上の方法を思いつけない。

 それに、今の俺にとって、人族の間の名誉なんて何の関係もなくなっているし、竜王たちが問答無用で黒竜王の死体を持ち去っても、肉体を失った俺にはどうすることもできない。

 口約束とはいえ、災厄を止めてくれると言っているんだ、ここは彼らの提案に乗るのが一番順当な解決方法だろう。


「ひとつ、お主の考えを訂正させてもらおう」


 俺の考えを読み取ったらしく、黒竜王の死体に竜王たちが噛みついて固定して、今まさに飛び立とうとしている中で、赤竜王が俺を見て、


「我らが敬意を払ったのは、お主が神に成ったがゆえだ。人族のままであったのなら、とうの昔に我が吐息で滅しておるわ。それをせぬのは、万が一にも神々との全面戦争を起こさぬため。我らとて、牙を突き立ててはならぬものはあるのだ」



ようこそ、我らが終わりなき領域へ。



 そう言い残して、他の竜王たちを追って飛び立っていった。

 残ったのは、大量の血だまりの海と、溺れたように息絶える俺、そしてそれを眺める一柱の神だけ。


 こうして、人族を滅亡の危機に陥れた「災厄」は、誰も知らないところで終わりを迎えた。

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