第379話 神竜大戦 上

 グルルルルルル……


 三度目の爪撃――を繰り出すことなく距離をとった黒竜王が、本当の意味で警戒心を露わにしたことに、内心ほっとしていた。

 なぜなら、次の手がなかったのは俺の方だったからだ。


 教会の司祭が説教の時によく口にする、「全能の神」という文句。

 瞬く間に傷を癒し、天候を一変させる嵐を呼び、究極の生命を退ける斬撃を放つ。

 加護を与えられる側から与える側にまわった、神の領域に至ったという自覚があるかというと、まだ実感がわかないのが正直なところだ。

 ギリギリの命のやり取りをする上で、それは致命的な欠点になりかねない。

 だから、これまでの記憶をなぞって、戦いの中で自信と感覚を取り戻していく必要がある。

 まずは、一つずつスキルを試していくのが順当だ。


 そんな、堅実な方法を取ろうとしたのが間違いだった。



 最初に感じたのは、大気の震え。

 次に見たのは、大きく口を開けた正面の黒竜王と、その奥から見える黒い光。



 ――ドラゴンブレス……!?


 直感してまず思い浮かべたのは、公都を始めとした街々を守るタイタンの盾。

 だけど、いくら魔法の力で固めても所詮はただの土。

 ましてや、相手は黒竜王、ドラゴンの頂点だ。

 通常種を想定した護りが通用するはずがない。


 そこまで考えて、ふと閃いたアイデアを即却下する。

 あれを使うには素材が足りなさすぎる。黒の巨人が健在だった時ならともかく、今から集めるのは――


 その瞬間、頭の中で何かが繋がった。

 魔力ならぬ神力が体から引き出されて、黒竜王とは対照的に、見渡す限りの大地を震わせる。

 そして、地中から出てきた無数の何かが、ぐねぐねとうごめきながら俺の前に集まり、やがて巨大な黒鋼の花びらを形作った。



 直後の黒光の爆発、そして遮断。



 黒竜王のドラゴンブレスは接触した地面を消し去りながら直進し、互い違いに三重に回転する花弁の盾に直撃、食い破ることは適わずに、その力が俺を焼くことはなかった。


 ――その事実に、戦慄する。

 だけど、俺以上に驚いたのは、黒竜王の方だった。


「なぜだ、なぜそこまでして戦う!?」


 人族の言葉ーーというわけじゃない。

 気配を探っても、俺の他に誰もいないのは確かだ。

 声の主は黒竜王以外にありえないけど、さっきのように人族の姿をとっているわけじゃない。

 残る可能性はひとつ、黒竜王の焦りを滲ませた咆哮が、今の俺にははっきりと意味のある言語として伝わったとしか考えられない。


「答えろ、ノービスの眷属神!!」


 黒竜王もまた、俺と意志疎通できると信じているらしい。

 考えてみれば、悠久の時を生きる奴にとって、成りたての俺よりもはるかに身近で知識を持っているんだろう。

 ――神という存在について。


「別に、神の力を手に入れたからって、俺のやることは変わらない」


「馬鹿なことを言うな! かつて、竜と神の間で交わされた約定を知らないとは言わせんぞ!」


「だからどうした。お前が人族を滅ぼす気でいる限り、俺はお前の前に立ちはだかり続けるだけだ」


 と、黒竜王に対してそう言っては見たものの、言葉ほど思い切っているわけじゃない。

 アイツの眷属である以上、神の制約と無関係でいられるわけじゃない。


 神々とドラゴンの間に交わされた取り決めはただ一つ、お互いの不干渉。

 世界を支配する神々がドラゴンにだけは遠慮するように、ドラゴンが巣から出て世界に向けて力を誇示することもない。

 どういう利益不利益があるかは別として、両者の思惑が一致したのは確かだ。

 そんな中で、俺が知る唯一の例外、神とドラゴンの合作が今回の『災厄』なわけだけど、それだって互いの棲み分けに気を遣っている様子が人族からも見て取れた。


 その唯一無二の取り決めを、俺が破ろうとしている。

 そのくらいの自覚はある――あるうえで、俺は突き進む。戦う。


「神々と言えど、神々だからこそ掟には逆らえん。逆らえばどうなるか、神に至るほどの英雄ならば自ずと悟るはずだ。上位神の機嫌を損ねれば、人族もろとも滅ぼされると想像できないほど貴様は愚かなのか!?」


「かもしれないな」


「ならば!!」


「でも、ここでお前を止めないと、人族は確実に滅ぶだろう?」


 証拠はない。誰かに言われたわけでもない。

 ただ、黒竜王との戦いで確信が生まれただけだ。


 回避しながら無駄を承知で攻撃し続けていた黒の巨人と、無敵の鱗で全ての砲弾を跳ね返しながら一撃必殺の攻めに終始していた黒竜王。

 戦いというには優劣がはっきりしすぎていたきらいはあったけど、それでも以心伝心の関係と言えるほどには考えていることが分かるようになった。

 だからこそ、人族滅亡という黒竜王の決意がゆるぎないものだと、肌で感じることができた。


 逃げることは簡単だ。

 成否に個人差はあっても、危険や天敵から遠ざかろうとすることは誰でも真っ先に思い浮かぶ、常識だ。

 これが追う側となると、話は全く変わってくる。

 常に獲物を視界に収め、逃げ道を先読みし、その爪牙が届くまで間合いを詰める必要がある、大変な作業だ。

 だけど、それこそ明日にも餓死してしまう獣でもない限り、逃げる獲物を追い続ける必要はどこにもない。

 別の獲物を探せばいいし、なんだったら気力体力が回復するまで休めばいい。

 それが、狩る側の特権だ。


 そんな常識は知らないとばかりに、黒竜王は一切の妥協をしない。

 休みもなく、昼も夜もなく、竜王という立場もなく、一心不乱に攻めてくる。

 無敵の肉体がなせる業か、永遠に等しい命から来る意志の強さか、ドラゴンの王としての矜持か。

 お前ごとき敵じゃないとばかりに、ドラゴンブレスや魔法を使わないというハンデを自らに課した上で、実際に何十日にも及ぶ戦いを制して見せた。

 まさに、空前絶後の執念深さ。

 そして、仮に俺がこの場で倒れたとして、黒竜王は満足して自分の巣に帰ってくれるだろうか?

 いいや。どんなに時をかけても、こいつは人族を滅ぼす。

 草の根分けてでも、最後の一人を狩るその日まで、絶対に止まることはない。


「だから、どんな犠牲を払うとしても、殺す以外に方法がないなら、必ず俺がお前を止める。取り決めを破るとか、竜王を殺す意味とか、そういうのは後回しだ。お前を殺した後でゆっくり考えるさ」


 ――というわけで、次は俺の番だ。


『プロメテウス』


 唱える名は、東方に位置する火の王。

 かつてソルジャーアントの巣を溶解させた小さな小さな太陽は、神の力を手に入れたとしても黒竜王の鱗には通用しないだろう。

 高い耐魔法力を備えるドラゴンの鱗には、相性が悪い。

 だけど、これでも十分だ。わずかな間、黒竜王の目を眩ませることができれば。


「おおおっ!!」


 黒の鎧は無くても、スピードスタイルの動きは体が覚えている。

 足の裏に神力を込めて跳ぶこと、三度。

 一歩目で加速し、二歩目で最高速度に達して、三歩目で黒竜王の間合いの内に踏み込む。


「ふっ……!!」


 この距離で使えるスキルを、俺は一つしか知らない。

 戦士系ジョブに類する基本の武技。

 練達の武人だったジェネラルオーガと引き分けた自信を胸に、迎撃のために黒竜王が繰り出した左の五爪を、深く腰を落として掻い潜りながら、スキルを叫んだ。


「『スラッシュ』!!」


 これまで何度となく夢想して、決して思い通りにならなかったイメージ。

 片膝立ちの俺が放った黒の剣による斬り上げは、物理攻撃に対してはただの硬い物質となる純黒の鱗を斬り裂き、その奥の左足付け根の肉に確かに届いた。



 グルウウウオオオオオオオオオオオオ!!



 半狂乱になって予測不能の動きを見せる前に、バックステップで黒竜王との距離をとる。


 ……ついに、ついに、傷を負わせた。

 ジオが、マクシミリアン公爵が、ジオグラッド公国が戦う前から全てを諦めざるを得なかった黒竜王に一矢報いた……!!


 そんな喜びをかみしめるのも束の間、ほんの少しの間だけ我を忘れた俺に対して、怒りの視線を向けた黒竜王の口の辺りから膨大な魔力の反応。

 代名詞ともいえるドラゴンブレスへの信頼はまだまだ揺るがないようだけど、それは俺も同じことだ。

 一度目を防いだ後でガードスタイルを解いたとはいっても、材料まで元に戻ったわけじゃない。



 グルウゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!



 今度こそ余裕のない、かすかに恐怖の感情を咆哮に載せた竜王。

 これで、条件はほぼ対等。あとは俺が黒竜王を倒すだけ。


 そんな希望を抱いたことで、俺は大事なことを見落としてしまった。

 神の力を手に入れた俺と、本物の神様との間には、決定的な違いがあったことを。

 なぜ、俺が今も下界に留まり続けていられている理由を。


 決着は、黒の剣が使用期限を迎える前にやってきた。

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