第378話 最期の選択
こんなことなら、公都で衛士隊の装備を借りておくんだった。
今日ほど防具の大事さを痛感した日はないけど、今さら後悔したって遅すぎる。
ギガントスタイルに移行することによって出現した、黒の巨人。
その力は、曲りなりにも黒竜王との長期間に及ぶ戦いを演じられただけあって、あらゆる面でエンシェントノービスの加護を強化してくれたけど、一つだけ明らかな欠点があった。
まさかその一つ、ギガントスタイル移行によって失った黒の鎧が、結果として俺に牙を剥くことになるとは夢にも思わなかった。
『基本フレーム維持限界点を突破。損傷甚大によりギガントスタイル強制終了。以降、9758332時間の閉鎖モードに移行開始。……使用者の拒否権発動。残存構造物よりブレードを形成。ブレード維持、残り72時間になります』
腹に突き刺さった大きな破片によって後ろに吹き飛ぶ中で、ちょっと覚えがないほどの謎の声の長尺が頭に響き、右の手のひらに細長い何かが触れる。
激痛と衝撃で視界が塗り潰される直前に俺ができたのは、それをしっかりと握って離さないことだけだった。
次に気が付いた時には、湖を望む斜面に寄りかかっていた。
――いや、ちょっと違うな。
正確には、叩きつけられた時に大きな破片が貫通して、俺の体を斜面に縫い留めていた。
「ぐ、ぐぐぐ……」
胸や喉は傷ついていないはずなのに、言葉が出ない。
それでも声を出そうとすると、ゴポリと喉から音がして、かわりにぬるりとしたものが零れ落ちた。
それを震える左手で拭ってみると、傷口から流れ続けてるものと同じ、あきれるほど赤い、俺の血だった。
……ああ、これは駄目だな。
疑う余地はなく、夢なんて落ちもなく、はっきりと致命傷だ。
今すぐに高位治癒術士が傷を塞いで、治癒術を使い続ければ助かるかもしれない。
あるいは、ヒールスタイルに移行すれば、地力で助かる可能性もわずかながらあるだろう。
ーーそれもこれも、腹を貫いて俺を斜面に宙吊りに縫い留めた、杭のような破片が今すぐに抜ければの話だけど。
「っ……ぐうっ……うあっ!!」
だめだ、抜けない。
破片は地中深く突き刺さっているみたいだし、体の方を引き抜こうとしても力が入らない。
加護がどうとかは関係なく、独力での脱出は難しそうだ。
それに、脱出が可能だしとしても、そんな時は与えてくれないだろう。
バサ バサ バサ バサ
大きな羽ばたきの音を辺りに響かせながら、夜を覆い尽くす黒がゆっくりと降りてくる。
唯一、綺羅星のように輝く二つの金眼は、勝ち誇った様子はまるでなく、ただ当たり前のことが起きて、当たり前の結果になったとばかりに、俺を見下ろしている。
まるで重量を感じさせないほどの静かさで、地上に降り立つ黒竜王。
その目はもはや俺を敵として見ておらず、あれほど満ち満ちていた殺気も、今は鳴りを潜めている。
怒りや憎悪が消えたわけでも、癒えたわけでもないはずだ。
黒の巨人という唯一無二の対抗手段を失い、地面に縫い留められて身動きが取れなくなった俺は、今や歯向かってくる敵どころか、死を恐れて逃げ回る獲物にすらなり得ない。
文字通り、処理の終わった標本でしかなく、あとは黒竜王の意思一つでどうとでもなる存在でしかない。
……そう思えば、諦めもつく。
黒竜王が左前足を上げる。
あの五指の先端、竜王の爪が届けば、腹を貫いている破片なんか目じゃない、絶命の一撃になるに違いない。
それもこれも俺の力が足りなかったせい、というよりは、ここに至るまでは足りてしまった、と言うべきだろうか。
運命に抗う力を。
英雄と呼ばれる力を。
ドラゴンと渡り合える力を。
この力がなければ、もっとましな最期を迎えられたはずだ。
あるいは住み慣れた街で。
あるいは共に戦った人たちと。
あるいは愛する人たちを守って。
あるいはドラゴン以外の敵を相手に。
少なくとも、こんな風にたった一人で死んでいくことだけはなかった。
血まみれで、腹に穴が開いて、地面に串刺しにされて、ドラゴンの爪に斬り裂かれようとしていて。
それでも、謎の声が最後に残していった黒の剣を握りしめる右手が、俺の意思に反して迎え撃とうとしている。
腰を入れるどころか腕の力も込められない、斬撃ですらないただの振り回し。
でも、どんなに無様でも、俺は最後まで戦った。
その誇りだけを胸にあの世へと旅立とうとしたその時、
世界の全てが止まった。
「これが、正真正銘の最後の忠告だ」
「その剣を下ろせば、お前は人族としての生を全うできる」
「だが、その剣を――生きることを諦めなければ、人族としてのお前は死ぬ」
「矛盾はしていない。お前の生きる意志を糧として増大し続けてきたエンシェントノービスの加護が、人族の肉体を捨てさせるのだ」
「そうなれば、お前は僕の従属神として世界に確たる一要素として存在を許されることになり、その加護が世界から完全に不要とされるその時まで、永遠に等しい時を生きることになる」
「もう、止めはしない。ただ、お前の選択を行動で示してもらう。どちらにしても、僕は受け入れるだけだ」
「愚かでいとおしい眷属の決断を、僕は見届けることにしよう」
その音は祝福の鐘か。それとも再戦の号令か。
手中の虫を握り潰すように振るわれた黒竜王の五指を、俺が振り上げた黒の剣がまとめて弾き飛ばす。
その衝撃で黒竜王がわずかにのけぞった隙を見逃さず、空いていた左手で腹を貫いていた破片を掴み、握力だけで粉砕、串刺しの状態から脱出する。
血は流れ続けているけど、ファーストエイドは唱えない。唱える必要は、二度とない。
力ある言葉を頭の中に思い浮かべるだけで、瞬く間に腹の穴が塞がっていく。
「貴様、まさか……………………!!??」
「そのまさかだ」
言葉のように理解できる黒竜王の咆哮に、短い返答で応える。
残った口元の血を拭い、完全に癒えた腹を手でさすって確かめて、一歩を踏み出す。
その時、気のせいかもしれないけどわずかに、黒竜王が後ずさった気がした。
グルルルルルルルルルルルル
黒竜王の唸り声に、さっきまでの怖さを感じない。むしろ、臆病ささえ感じる。
そんな俺の感想が雰囲気で伝わったのか、黒竜王の威嚇が激高のそれに瞬時に変化した。
「舐めるなあっ!!」
出現したのは、空中に描かれた巨大な魔法陣。
黒竜王が自ら禁じたはずの古の魔法は、満天の星空に泥水をぶちまけるように曇天へと変えてしまい、途端に稲光と雷鳴がそこかしこで起き始めた。
「雷光に貫かれ、塵も残さず消え失せるがいい!!」
もちろん、そんなことはさせない。
荒天には荒天だ。
『ゼピュロス』
ドラゴンと同じく、世界開闢の時から存在し続けている四方の王の一角、北を守護する王の名を呼ぶ。
それに応じて、黒竜王の魔法に匹敵する嵐が北の空から押し寄せ、雷雲を吹き飛ばした。
「貴様、貴様は、貴様は人族であることを捨てたというのか……!?」
「自覚はないけどな、今の俺は神様ってやつらしい」
「下界にいながら神に至るだと!?あり得ぬ!!」
再びの爪撃。
遠慮仮借のない黒竜王の斬撃に、俺も斬撃で応える。
小細工はいらない。魔法も必要ない。ただの斬り上げで五本の爪を迎え撃つ。
嵐にも劣らない風圧と共に、五本爪の斬撃ごと黒竜王をもう一度押し返して、俺は言った。
「さあ、戦いを再開しようか。今度は俺が滅びるまでな」
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