第375話 人竜大戦 中
日が沈む。
振り下ろされる五本指の爪をカ一重で避けて、前面スラスターの噴射で大きく距離をとる中で、一日が過ぎたんだと実感する。
闇に馴れた目に映るのは、一面の荒野。
ところどころか大きく抉れているのは戦いの跡――じゃなくて、単なる足跡。
正確には巨人とドラゴンの踏み込みに大地が耐えられずに亀裂が走り、砕けてしまうのだ。
この場はすでに、公都から遠く離れている。
今のところはその兆候はないけど、万が一にもドラゴンブレスが公都やジュートノルに直撃したら……
そんな恐怖を常に頭に置いて、爪撃を掻い潜り、尻尾の間合いから外れながら、不自然にならない程度に少しずつ戦場を移動していく。
ドラゴンブレス。そう、ドラゴンブレスだ。
ドラゴンの代名詞と言うべき破壊の奔流を、今に至るまで黒竜王は一度も使っていない。
最初は、ドラゴンブレスを使うまでもない、あの無敵の鱗に覆われた体で暴れまわれば十分だと、自信があるからだと思っていた。
だけど、黒竜王にとってはどうだろうか?
自分に匹敵する大きさの敵が現れて、こっちの攻撃は当たらないばかりか、向こうからは時々つぶてを放って苛つかせる。
ただでさえ、眷属を殺されて憎んでいる相手にこれだけのことをされて、しかもいつまでも決着をつけられない状況で、しびれを切らさないものだろうか?
俺のことを――黒の巨人を操っているのは人族だと、黒竜王が認識しているのは間違いない。
俺が生身で向かっていった時と同じ眼――世界中に憎悪を振りまくような金眼を、わずかも濁らせることなく向けてきている。
そうじゃなければ、今頃は黒の巨人から公都に標的を変えていたに違――
ガギギギギギギッイイイイイイィィィン!!!!
油断とも言えない刹那に生まれたのは、巨人の右腕に走った深い裂傷。
視界からは外さなくても、わずかに意識が逸れてしまった瞬間を、黒竜王は見逃してくれなかった。
「ぐっ……!?」
『自動修復を開始します。使用者のクレイワーク強制発動』
巨人のダメージは、当たり前だけど痛みを伝えてこない。
さすがに内蔵されている砲撃の機能は使えそうにないけど、鋼の右腕は支障なく動かすことができる。
それでも、黒竜王の攻撃を受け続けてはいけないと、俺の中の何かが全力で訴えている。
きっと原因は、戦いの中で気づき始めた喪失感。
あまりにもささやか過ぎて、最初のころはわからなかった、黒竜王の爪を、尻尾を、体当たりを受けていくたびに、巨人から返ってくる手応えが弱くなっている、そんな気がしている。
五回に一回、十回に一回、攻撃を避け損ねるたびに。
気のせいがが気のせいのままにできないほど、感覚のずれは収まらずに広がっていくばかりだ。
『基礎フレーム欠損率、1%を突破。周囲の岩石、土砂から代替物質の抽出を開始。欠損回復予定時刻は16時間42分後になります』
相変わらず、謎の声の言葉の意味はほとんど分からないけど、俺の不安を裏付ける内容なんだと思う。
とりあえず、欠損とやらが回復するまで一度も攻撃を受けないように――
ギイィィィン!!
「ぐううっ……!!」
できるだけ攻撃を受けないようにしないと。
異変は、ちょうど十日後に起きた。
黒の巨人を操る俺が逃げて、黒竜王がそれを追ってくるというイタチごっこが続く中で、気づいた時には手遅れだった。
巨人を丸ごと包み込めそうなサイズの翼をはばたかせた、短い距離の突進を紙一重でかわし、翻った姿勢から両腕の砲撃を加えようとしたところで、黒竜王に向かっていく幾筋もの魔法の光が見えた。
閃光と爆発。そしてその余波である暴風と轟音。
近くにあった大木が大きくしなるほどの風も巨人にとってはなんでもないことだけど、辺り一面を埋め尽くす光の前には黒の巨人も無力で、両腕で覆って目を守るしかなかった。
やがて、鮮烈な光が収まり視界が開けてくると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「撃て撃てーーー!!傷を与えれば貴族に取り立て、倒せば姫殿下の婿、つまり次の王だ!!ドラゴンバスターの栄誉は目の前だぞーーーーーー!!」
極限まで強化されたエンシェントノービスの聴覚は、草原地帯を見渡せるなだらかな丘の上に陣取る集団の先頭――総大将らしき派手な鎧を身に纏った老人の声を、的確に拾っていた。
「馬鹿、早く逃げろ!!狙われたら終わりだぞ!!」
功名心からか、それともドラゴンという脅威に対する生存本能か。
どこかの貴族軍と思える集団に、駄目で元々で叫んでみたけど、やっぱり声は届かない。
見逃しようのない黒の巨人から発した言葉をあえて無視してるのでもない限りは、こいつには遠くの相手に声を届ける機能は備わっていないんだろう。
……いや、備わっていたとしても、助けることはできなかったに違いない。
直後、黒竜王の口からほとばしったのは、景色を一変させる黒炎。
初めて目撃した王のドラゴンブレスは、貴族軍どころか彼らが拠り所としていた丘ごと飲み込み、炎が燃え尽きた時には消し炭すら残さずに黒一色に染め上げていた。
「なっ………………」
驚き、立ち尽くしたのは、まるでろうそくの火を吹き消すように多くの命があっけなく消されていった――だけが理由じゃない。
あの、丘を形作っていた土や岩まで綺麗さっぱり燃やしてしまった黒竜王のブレスに、心が恐怖心に蝕まれて、一歩も動けなくなったからだ。
グルルルルルルルルルルルルゥ……
誇るでもなく嘲るでもなく、閉じられた口腔の隙間から黒の残り火を漏らしながら丘の跡から目を離し、こっちを見た、次の瞬間――
「がはあっっっ…………!?」
全身が揺さぶられるような衝撃とともに訪れたのは、俺の意志とは関係なく空を飛んでいる感覚。
目にも止まらない速さで突進を敢行してきた黒竜王に対して、無防備に立ちすくんでいた俺は初めてまともに食らうことになり、気が付いた時には全身を激痛に苛まれながらあおむけに倒れていた。
『機体損傷率が三割を超えました。ダメージコントロール、緊急修復開始。以降53分間、同程度の攻撃を受ければ機能停止状態に陥る危険が極めて高いですのでご注意ください』
謎の声の警告とは裏腹に。
これは幸運だったというしかない。
黒の巨人が瀕死のダメージを受けたっていうことは、致命傷にまで達しなかったという意味でもあるわけで。
「ぐ、おおおっ!!」
とどめとばかりにまた襲い掛かってきた黒竜王の攻撃を、半分ほどの出力になってしまったスラスターを全開にして必死に掻い潜り、すれ違いの隙を利用して全力で逃走にかかる。
これは賭けだ。
俺を標的と定めた黒竜王が追撃をかけてくるか。
みっともなく逃げる巨人をもう敵とも獲物とも思わずに無視するか。
前者なら戦いは継続。後者なら人族の虐殺劇が始まる。
だから、逃げる前にひとつ、嫌がらせを仕掛ける。
それも、黒竜王にとってとびきり派手で癇に障る奴を。
「四方の王の一角、東より昇りて極点を照らせ、『プロメテウス』!!」
それは爆発ではなく、灯火。
かつて、ソルジャーアントの群れを融解、消滅させた超高温の火魔法。
マジックスタイルの衣装の代わりに黒の巨人を媒介にして発動させた原初の火は、ジュートノルの時とは比べ物にならない規模になって、黒竜王を包み込んで。
――その鱗を焼く火力まで至らずに魔力を使い切った。
だけど、効果はあった。
グルルルウオオオオオオオオオオオオ!!!!
ダメージは与えられなかったとはいえ、使ったのは黒竜王のブレスと同じ、火。
自分の得意技を返されて、怒りを覚えない人族はいない。
どうやら、翼も使うことなく狂ったように俺を追ってくる黒竜王にも、感情は存在するらしい。
一つ、黒竜王のことを知ったところで、黒の巨人の回復までの、命懸けの逃走劇が始まった。
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