第374話 人竜大戦 上


 日没直後の昏く赤い空に浮かぶ黒点。

 爪や牙どころかドラゴンブレスも届かないだろう距離だけど、戦いはもう始まっていた。



 思い出すのは、黒竜王の最初の襲撃が生み出した、ジュートノルの惨状。

 さんざん好き勝手暴れまわってくれたけど、その実、被害の大部分をもたらしたのは最初の一撃。

 音よりも早い単純極まる突進だ。


 ジュートノルの時は、着地に向けて減速していたはず。

 それでも、超大型タイタンを弾く鱗を纏ったドラゴンの形をした砲弾は、巨大な衝撃波と共に直線状の建物を薙ぎ倒した。

 もし、速度を緩めることなくここに到達して、その勢いのまま突進してきたら、神の領域に近づこうとしていようが、この黒の巨人ごと俺の体は木っ端微塵にされるだろう。


 なので、選択肢はただ一つ、回避以外に活路はない。



 黒い点が徐々に大きく、輪郭がはっきりしてくる。



 問題は、そもそも避けられるかどうかだ。


 黒竜王がすさまじい速度で迫ってきているのに対して、こっちは一歩目すら踏み出していない。

 黒の巨人の動き自体は、生身の時とそん色ない、と思う。

 だけど、自由に動けたところで、全力で走ったところで、黒竜王という砲弾から逃げられるはずもない。


 なら、どうする?


 一つ思いついたのは、この巨大な鋼の人形で、スピードスタイルを再現できないかという可能性だ。

 ただ、成功するかどうかも分からない未知の領域に手を出すにしては行き当たりばったり過ぎるし、成功したとしても、やっぱり速度で匹敵できるとは思えない。


 黒竜王の一撃はどれも致命傷になり得る一方、俺の攻撃はかすり傷になるかも怪しい。

 目指すべきはヒットアンドアウェイ。

 疲れを知らない肉体になったからには、長期戦を覚悟している。

 一か八かの賭けに出るべき場面は必ずやってくるけど、それは今じゃない。

 せめて最初くらいは、安全で確実な方法で凌がないと話にならない。


 だから、手間と魔力でなんとかする。

 ドラゴンの王ですら壊しきれないものを利用して。



『クレイワーク』



 紡ぐ、力ある言葉は初級魔法。

 ただし、その質と量は生身の時とは比べ物にならない。


 街道ごと大地を抉り、半円状に隆起させていびつ極まりない小山を作り、さらに魔力で包み込んであらん限りの圧力をかけて固める、固める、固める。

 そうして、強く押し返されるような感触を得たところで、いよいよシルエットがはっきりしてきた黒竜王と挟むように、穴の中に陣取る。

 黒の巨人も隠れられる、巨大な防塁の完成だ。



 俺が操る黒の巨人が防塁の穴に飛び込むのと、急激にサイズが増したように錯覚させる速度で黒竜王が到達したのは、ほぼ同じタイミングだった。



 エンシェントノービスの平衡感覚を失わせるほどの揺れと同時に、空そのものを震わせる衝撃波。

 人族どころかオーガですらこの場にいれば絶命しただろう、黒竜王のファーストアタックは、防塁の小山をきれいに削り取りながらも、黒の巨人にはかすり傷一つつけられずに終わった。


 もちろん、この程度の突貫工事で、人族の浅知恵ごときでドラゴンの突進を阻めるようなら、ジオグラッド公国も苦労はしない。

 まともに当てられたら敵わない。なら、どうするか。

 要は当たらなければなんでもいい。ほんの少し、黒竜王の軌道をずらせれば十分だ。



 地面が割れるかと思うほどの轟音が遠ざかっていき、やがて止まった。



 軽くジャンプして、役目を終えた防塁から脱出しながら、その方向に視線を投げると、盛大な土煙の中でゆっくりと方向転換しようとしている黒い影がちらつく。

 そして、すでに闇色の帳が降りたことで夜目に切り替わった視界に金色の双眸が鮮烈に輝いた瞬間、頭の中で激しく鳴り出した警鐘に従って、直感のままにスラスターを吹かして全力で右に跳んだ。



 直後、今の今まで俺がいた空間を、土煙の中に予備動作を隠して二度目の突進を敢行した黒竜王が瞬きの間に通り過ぎて行った。



 スラスターに振り回されて倒れそうになりながらもなんとか踏みとどまり、旋回。

 視界の端に捉えた目標に向けて、先に照準が合った右腕から三発の砲弾を射出。

 完璧に背後を取った会心の攻撃は黒竜王の体に吸い込まれ、三度の硬質な音を響かせた。

 当然、黒竜王の動きには、一切の遅滞も見られない。


 まさに綱渡り。

二度目の突進を避けられたのは、助走距離が短かった分だけ速度が落ちていたのと、あとはただの運。

 しかも、こっちの攻撃は効いているのか怪しいほどに手応えがなく、黒竜王の突進も爪も尻尾もかすっただけで終わり。


 だけど、これでいい。

 いつ終わるかもわからない戦いだけど、今の俺に短期決戦を仕掛ける理由はどこにもない。

 粘って粘って粘って、生き残り続けていれば、何か起きるかもしれない。

 相手はドラゴンの王。神すら恐れない強者中の強者だけど、力の差は圧倒的でも絶対じゃない。


 この戦いが永遠になろうとも、世界の果てまで付き合ってもらうぞ。






 精神を怒りの炎に焼かれながらも、それは戸惑いを覚え始めていた。


 それが何かを思考することなど、数千年ぶりのことだった。

 全ては本能のままにいれば十全だった。

 起きて、寝て、起きて、寝て。

 狩りをせずとも眷属が勝手に貢物を持ってくる上に、そもそも何も口にしなくとも周囲のマナを呼吸と共に取り込めば、飢えを感じることなどなかった。


 気に入らないものがあれば暴れまわることで、ほぼ全てを壊すことができた。

 さすがに、同格の竜王や神々に襲い掛かるのは、最近は控えている。

 あの時くらいだろう、世界の均衡に配慮する必要を感じたのは。


 それは名を持たない。

 眷属からはただ、王と呼ばれていたし、同格の竜王からも似たような呼び方だ。

 それに、黒き竜といえばそれのことだ、それを差し置く眷属がもしいるとするならば、王の座をかけて挑んでくればいい。

 そんな個体は今のところ見当たらないが。


 そんなそれが、目の前の存在に戸惑いを覚えている。

 なにを隠そう、見覚えがあったからだ。


 あれはいつだっただろうか。

 愚かな人族が今よりも下界にはびこっていた頃、神々からの要請でドラゴンが災厄に加わったことがあった。

 当初、それは特に興味を覚えず、眷属に任せきりにしてまどろみの海に浸ることを選んだ。

 ところが、次にそれが目覚めた時に、人族はまだしぶとく生き残っていた。

 眷属のふがいなさに怒り狂ったそれは手近な個体に苛立ちをぶつけた後、自ら決着をつけようと下界に向かった。


 そこで、あの大きな人族もどきに出くわした。


 それの戦いは百日にも及んだ。及んでしまった。

 人族もどきが善戦したのも理由の一つだが、それがブレスや神代の魔法を使わなかったのも大きい。

 人族ごときに使えるものか。五体以外の異能を使うことは、王としての矜持が許さなかった。


 百日後、戦いが終わったのは、始まりと同じように神々の要請があったからだ。

 これ以上は他の種族への被害も見過ごせない。なにより、五大竜王には世界の楔たる役目がある。

 要するに、それは時をかけ過ぎたのだ。


 以来五千年、それは心の中に憎悪の火を灯し続けている。

 小さく、静かに、しかし強く。

 眷属に恐れられ、同格は嘆息し、神々さえも遠慮させた苛立ちの歳月。

 そんな、どこにも行き場のないはずの感情を晴らす機会が訪れた。


 この人族もどきが別の個体だということは、それもわかっている。

 だが、大きさ、動き、攻撃は紛れもなく本物。

 ならば、受け継いだ者がいるのだ。


 実のところ、それの中にあった、眷属の復讐という動機はこの時点で消え失せていた。

 それが五千年来の遺恨を晴らすには十分な相手と言えたからだ。


 今度こそ殺す。神々の意思など知ったことか。欠片の一片に至るまで砕き尽くす。

 それの決意は己が鱗のように強固だった。

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