第373話 加護の果て
公都門から離れていくリーナの背を、ただ黙って見送ることしかできなかった。
今度は、俺の方が涙を流しながら。
政庁でお兄さんと話をした後。
俺は休むことも寄り道することもなく、まっすぐにジュートノルに通じる公都門を目指していた。
もちろん、理由はある。
黒竜王が戻ってくる前に、街道に置きっぱなしの黒の巨人の元に戻る必要があったからだ。
黒竜王と戦ってみて、圧倒的な力以外に分かったことは少ないけど、一つだけ確信している。
あのドラゴンは、必ず戻ってくる。
そもそも、一度退却していった理由すらわからない。
ということは、いつ戻ってくるかもわからないってことだ。
ジュートノルでのターシャさんのことや、公都に戻ってきてのジオとの会話など、やむにやまれぬ事情があったとはいえ、冷静になってみれば、巨人の側から離れることほどバカな行動もない。
今、公都にドラゴンブレスが撃たれたら?
大天蓋に直接突っ込んでこられたら?
長い長い尻尾で政庁を薙ぎ倒されたら?
そんな、使命感が霞むほどの焦燥感に駆られて、外縁部に近づけば近づくほど急になっていく坂道を、半ば走るように駆け上がって公都を出ようとしたところで。
町娘に変装したリーナが、門前で待っていた。
「僭越ながら、お見送りをさせてください」
「……今、リーナの言葉を噛みしめているところなんで、邪魔しないでもらえますか」
リーナとの別れに流していた涙を引っ込めさせたのは、まじめくさったリーゼルさんの声だった。
――いや、会わずに公都を出て行くのも不義理が過ぎるよな、と頭の片隅で考えていたのは事実だけど、それにしたって今じゃなくてもいいじゃないか。
そんな俺の心の声が、例のごとく悟られてしまったのか、
「現在、公都門は封鎖が始まっておりまして、テイル殿と言えど許可無しには通過することは適わないのです。感傷に浸っているところ、まことに申し訳ありません」
と、いつもの軽薄な笑みも浮かべずに、公国の規律を持ち出されてしまったら、文句も言いづらい。
とりあえず、公都門を守る衛士に話しかけたリーゼルさんに従う形で、すでに閉じられている大門の脇から外に出る。
そこでお別れかと思いきや、そのまま先を歩くリーゼルさんを止めるために肩を掴もうとしたけど、公都の外に出る危険性を、今さらこの人が分かっていないはずがないと思い直し、黙ってついていく。
そうして、百歩くらい歩いたところで、ようやくリーゼルさんが俺の横に並んできた。
もちろん、足は止めずに。
「宰相閣下がお認めになったところを無粋かとも思ったのですが、軍務にも関わる貴族として、具体的な方策を聞いておきたいと、テイル殿を待っていました」
「具体的な方策、ですか?」
「……あえて質問させていただきます。我らジオグラッド公国に対して、武器、食料、冒険者、公国軍、なんでも構いません、なにか要望はございませんか?」
――本当に、察しのいい人だ。
だったら、ごまかしは無しで、思ったことを率直に伝えるしかない。
「いりません。今の俺に、人族の協力は必要ありません」
「ですが、食事と睡眠はどうしても不可欠です。極めて難しいですが、わずかな間だけでもテイル殿に休息を取っていただけるように手立てを考えなければなりません。たとえ、公国軍をどれほど犠牲にしようとも、テイル殿とあの巨人には代えがたいのです」
そう言うリーゼルさんの表情からは、説得の言葉とは裏腹に、諦めに似た無力感が伝わってくる。
当然だ、公国軍の騎士と衛士がが束になってかかっても、僅かの間も黒竜王を止めることはできない。
すでに、超大型タイタンの槍がなすすべもなく敗れた以上、無駄な犠牲にしかならないと誰もがわかっている。
それになにより、俺には――
「食事も睡眠も、もう必要ないんです。エンシェントノービスの加護が、五千年前の英雄と同じ力を与えてくれましたから」
今だからこそわかる。
先史文明がどれだけ優れていたとしても、ドラゴンの群れに勝てるとは思えないし、実際に五千年前に滅んでいるのは歴史が証明している。
それでも人族が生き延びたのは、神になる前のアイツがドラゴンに対抗しうる力を持っていたからだったし、だからこそかつての仲間たちはアイツに怯え、恐れた結果、裏切った。
そんな中で、その力――エンシェントノービスの加護とは具体的にどんなものだったんだろう、という疑問は最初からあった。
だけど、種が割れてしまえばなんてことはない、ノービスの加護の真骨頂、基礎体力の究極化というべき答えが待っていた。
強化、じゃなくて、究極化。
腹が減らない。
喉が渇かない。
疲れない。
眠くならない。
無尽蔵の体力を持つドラゴンに曲がりなりにもついていくには、それくらいの加護がないと話にならない。
ならなかったというわけだ、五千年前も。
「……そんな馬鹿な、それはもはや、生者とは呼べないではありませんか」
「そうですね、そう思います。たぶん、俺の命はそう長くない」
昨日から一睡もしていない、食事も水も摂っていないっていうのに、飢えも気だるさも感じない。
それどころか、体の中心から力がみなぎっている気がする。
眼は冴え、耳はよく聞こえ、鼻は風の匂いを嗅ぎ分け、肌は周囲の魔物の不在を感じ取っている。
だけど、この全能感は長くは続かない。
五千年前の英雄が行き着いたように、強くなり過ぎた加護が導く終着点はただ一つ、神々の世界だ。
前任者のアイツと同じく、引き返すことも生まれ変わることもできない、永遠の牢獄に囚われることになる。
「テイル殿、テイル殿は……」
「そんな顔をしないでください。相手は黒竜王、本来なら人族が抵抗できるはずもない、途方もない力の持ち主です。それが、こうして勝負できるだけの加護を得られて、これほど幸運なことはありませんよ」
今、あの妙に人族の名残りを残した神様は、どんな表情をしているだろう?
怒っているだろうか。呆れているだろうか。
少なくとも、見捨てられてはいないことは、このエンシェントノービスの加護が証明している。
だから、そんな悲痛な顔で俺を見ないでほしい。
その時、ふと思いついた。
「リーゼルさん、一つだけ、俺の我がままを聞いてもらってもいいですか」
「我がまま、ですか?」
「リーナを、ターシャさんを、ダンさんを、ティアを、ルミルを、俺の代わりに守ってやってくれませんか?」
本当は、この役目を誰にも渡したくはない。白いうさぎ亭を守るのは、俺の役目であり、俺がやりたいことだ。
だけど、これから俺は、黒竜王の相手で手一杯になる。むしろ、手に余るくらいだ。
そんなことは、リーナもターシャさんも百も承知だろうし、余計なお世話だと怒られそうだけど、それでも守り手は多いに越したことはない。
果たして、リーゼルさんの答えは、
「承知しました。キアベル家の後継ぎとしてでもなくん、ジオグラッド公国準男爵としてでもなく、テイル殿の友人として誓いましょう。我が全霊をかけて、生涯皆様をお守りすると」
「いや、そこまでは……はい、よろしくお願いします」
予想以上に重めの誓いが返ってきてしまった。
その足で公都へと引き返したリーゼルさんと別れて、一人で街道を歩く。
行先は言うまでもなく、公都門を出た時からその威容を見せつけていた、片膝立ちの巨人。
その足元にさほど時をかけずに辿り着くと、膝、手のひらの順で次々とジャンプし、着地したところで巨人の胸の辺りを見る。
すると、いつの間にかに閉じられていた装甲に、まるで以心伝心したかのように真っ黒で丸い穴が開き、俺を内部へと誘った。
一日ぶりの巨人の中。
最初の時と同じ位置に着くと、外への穴が独りでに閉じて、またあの一体感が襲ってくる。
膝立ちから立ち上がり、右手、左手の指をそれぞれ握って開いて。
腰から上を左右に捻って十全に動くことを確認した後。
ひたすら待った。
最強の竜災は、夕暮れ前の真っ赤な空を渡ってやってきた。
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