第372話 見送り


 テイル。待ちかねたぞ。


 公王陛下の見舞いは済んだか。

 なに、目を覚まされただと?


 …………いや、今はいい。

 ここで私が行っても、治癒術士の妨げにしかなるまい。必要があれば向こうから呼びに来るだろう。

 テイルの言う通りならば、公王陛下とお会いできる機会はその内にやってくる。

 お前と違って、我らには今少しの猶予があるからな。



 知っての通り、我らジオグラッド公国は防衛体制に移行する。

 民の前では口が裂けても言えぬが、事実上、災厄に対して勝利を放棄したということだ。

 だが、敗北を認めたわけではない。

 最後の最後まで足搔き続け、一人でも多くの人族を生き残らせるために、我らは地上を捨てるのだ。


 これより、公都ジオグラッドならびにジオグラッド公国主要都市に設けられた地下要塞は、地上からの侵入および攻撃の一切を遮断する。

 各地に配置された衛士兵団によるクレイワークでの防壁の生成、修復を戦略の基本とするところは変わらぬが、原則的にドラゴンへの攻撃は行わない。

 もちろん、地下要塞内部に侵入を許せば必要に応じて反撃はするが、衛士の魔力はほぼすべてを防御に回すことになる。

 これまでの実績を鑑みれば、それこそ一撃で防壁を貫通されない限りは、クレイワークによる修復でいくらでも立て直せるはずだ。


 長期の籠城戦になることは覚悟している。

 そのために、豊富な水源を確保できる場所に地下要塞を築いた。

 食糧に関しても、一年は耐えられるだけの備蓄を用意しているほか、あらゆる方法を駆使して生産を続けるつもりだ。

 養殖や畜産はもちろんのこと、田畑に関しても地上から陽光を採り入れる方法がないか、現在魔導士の知恵を借りながら検討している。


 籠城において最も重要なのは、なにをおいても守り手の士気だ。

 たとえ、ドラゴンブレスにも耐えうる強固な防壁を築いたとしても、蟻の一穴からもろくも崩壊するものだ。

 公王陛下重傷との知らせが公都に届いた時、恥ずかしながら私も、これで公国の命運は尽きたと諦めかけた。

 そこに、公王妃殿下が乗り出された。


 分裂寸前の公国議会にご臨席された公王妃殿下は、今一度、公国の総力を結集するように呼び掛けられた。

 領地は嫡男や家臣に任せ、貴族当主が公都に留まり続けることで、鋼の連帯を示すように命じられたのだ。

 むろん、反発する貴族が大半を占めた。

 貴族とは呼べぬ出自である公王妃殿下に反感を持つばかりか、中には口に出せぬような悪態をつく愚か者まで現れる始末だ。


 それらすべてを、公王妃殿下の氷結の眼差しが一蹴した。

 ――くくっ、今、思い出しても堪えられぬな。


 かつて、ジオグラルド第三王子の数々の困難をただ一人で切り抜けて見せた、護衛騎士。

 その武功と恐ろしさを失念する者どもは論外だが、私も彼らを非難することはできぬ。

 まさか、あの寡黙な大女――失敬、公王妃殿下にここまでの畏敬の念を抱くことになるとは思わなかった。

 母は強し、ということなのだろうな。



 話が逸れた。


 防衛体制移行の最大にして唯一の懸念点、それは黒竜王だ。

 魔物ならばものともせぬ。

 ドラゴンも相手取って見せよう。

 だが、王のブレスだけは如何ともしがたい。

 その一撃は公都の大天蓋をたやすく突破し、その下の我らを一瞬で焼き尽くすだろう。


 公都を救う方法は一つ。

 ドラゴンブレスを撃つ気を起こさせぬように、テイル、お前が黒竜王の注意を引き付けてほしい。


 ……こんなことは言いたくなかった。

 公王陛下は、ジオグラッド公国は、私は、人族の力をもって災厄に打ち勝つつもりで、全てを捧げてきた。

 お前一人に任せるくらいならば、全てのドラゴンが戦意を失うまで、我らが戦い続ければよかったのだ。

 それが、目先の希望に目が眩み、ドラゴンを殺すという選択をしてしまった。


 だからといって、眷属の死に怒り狂う黒竜王に我らの命を差し出すこともできぬ。

 私一人の首で済むのならば、喜んで黒竜王の元へ向かっただろう。

 だが、妻や息子や家臣が巻き添えになるというのならば、悪魔に魂を売り渡してでも、お前を生贄に人族の生きる道を照らすことも厭わぬ。


 ゆえに、一度しか言わぬ。


 すまない。






 元気そうね。


 私? 元気よ。元気すぎて、剣の稽古を再開したいくらい。

 冗談よ。加護があった頃の感覚のずれで、まともに振れやしないのはわかっているわ。

 今の私は、体調の回復と、加護無しの生活に慣れるための訓練が最優先。

 お荷物だとしても、足を引っ張ることだけはできないから。


 外は大変なことになっているみたいね。

 ジオ様が倒れて、黒竜王が現れて、タイタンの槍が通用しなくて、テイルが一人で戦って。


 泣いていないわよ。そんな資格はないもの。

 不覚を取って加護を失って、冒険者じゃあなくなっただけなら、ここまでは思わない。

 けれど、落伍者として見捨てられるわけでもなく、マクシミリアン公爵の妹として大切に大切に扱われている立場で、どんな顔で悲劇の女のふりをしていられるというの?


 だから、私は私のできることをやるわ。

 マクシミリアン公爵の妹として、公国の存続に力を尽くす。


 意外だった?

 実は、私自身が一番驚いているわ。

 貴族令嬢としてお茶会や夜会を開いたり、派閥の子女と交流したり、殿方のご機嫌をうかがったり。

 そんな人生を拒むために、冒険者になったというのにね。

 キアベル夫人の指南は厳しいけれど、音を上げるつもりは絶対にない。

 私に残っているのはこれだけだから。

 まだやれることがあるのだから、石にかじりついてでもやり遂げる気でいる。


 テイルの横に立って一緒に戦うって約束、守れなくてごめん。


 この間も謝ったって?

 あれは忘れて。あんな情けない顔で謝ったって、同情を誘っているようにしか見えなかったでしょう?

 テイルには、格好いい私だけを覚えていてほしいの。

 もちろん、あの夜のことも思い出していいわよ。



 ターシャとも、したんでしょう?


 ……別に、土下座なんてしなくてもいいわよ。

 私の方が抜け駆けしたようなものだし、むしろ、ターシャが許すかどうかが肝心だし。

 まさか、また泣かせていないわよね?

 ……わかった。そこに座りなさい。

 あまり余裕もないでしょうから、平手打ち一つで勘弁してあげるわ。


 あまり痛そうに見えないわね。

 心は痛い? ……嘘はついていないみたいだから、許してあげる。

 ああ見えて、ターシャって湿っぽい性格だから、どうせ自分で盛り上がっちゃったんでしょう。

 けれど、女を泣かせるのは別問題よ。しっかり反省しなさい。


 反省したら、絶対に帰ってくるって約束して。


 こっちのことは心配しなくてもいいわ。

 公国はセレス――公王妃殿下を助けて、お兄様たちがなんとかする。

 ターシャやダンたちも、私の方でも気にかけておくわ。

 いざとなったら、私が先頭に立って騎士や衛士を指揮してあげるわよ。

 これでも、公国軍でけっこう人気があるんだから。


 だから、忘れないで。

 テイルは一人だけれど、一人じゃあない。

 私も命を懸けて公都を守るわ。


 ターシャと、テイルが帰ってくるのを待っている。

 いつまでも、待っているから。

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