第371話 公国の行く末 下
「話っていうなら、俺の方こそいっぱいあるんだ。その、色々ありすぎてどこから伝えたらいいか、わからないけど……」
悲しいことも、嬉しいことも、つらいことも、分かち合うべきことも。
どれを思い浮かべてもちゃんとした言葉にできる自信がなくて、けっきょく尻すぼみになる。
それでも、眠り続けていっそう白くなった顔で、ジオは笑ってくれた。
「テイルの気持ちはとてもありがたいのだけれどね、実はもう、おおよそのことは知っているんだ」
「知っている? ああ、セレスさんやマクシミリアン公爵から聞いたのか」
「そうじゃない。僕が目覚めたのは、あの日以来初めてのことさ」
あの日。
それが戦勝パレードの当日、他ならないジオが重傷を負った日のことを指しているのは聞かなくてもわかった。
「つまり、今の今まで眠り続けていたってことだよな、じゃあ、どうやって……?」
「夢のお告げさ。意識がなくともヒュドラの毒に苦しみ続ける中、僕達の神――ノービス神カナタ様がご降臨あそばされたのさ」
「そんな、たかが夢の話だろう、本気にしているのか?」
と、いつものジオの軽口だと決めつけて笑う気にはなれなかった。
むしろ、出てくるのが遅すぎたくらいだ。
俺のそれとはまったく異なるものだけど、アイツはジオに対して一定の関心を持っている。
初心教を広めることを許したのも、自らの加護を与えたのも、神の慈悲というよりは打算的な色合いが濃いものではあるけど、ジオの価値を認めているのは間違いないと思う。
目の前のことに精いっぱいな俺には真似できない、大局的な視点からの人族の生存戦略を進めるジオに、利用価値を見出しているわけだ。
そして、このタイミングでアイツがジオに接触してきた理由は、一つしか思い浮かばない。
「テイル、以前僕が夢の中で、カナタ様の仲立ちで赤竜王に謁見した件を覚えているかい?」
「もちろん。竜災での人族の勝利条件は、それで教えてもらったんだ。忘れるはずがないさ」
「そう。僕達ジオグラッド公国は勝利条件の一つ、ドラゴン一体の討伐という偉業を成し遂げた。成し遂げたがゆえに、黒竜王の怒りに触れた」
「そこだ、そこなんだ。なんで黒竜王は、自分たちが決めたルールを平気で破るような真似を――」
「言ったはずだよ、テイル。黒竜王は平気で約束破りをしたんじゃあない、はるか格下の人族ごときに眷属を殺され、怒り狂った上でルールを破ったんだ」
「っ……!?」
沈黙以外の、他にどんな返事ができただろうか。
眷属――家族が殺された。それも、死ぬはずのない戦場で。
戦場とすら思っていなかったかもしれない。
ドラゴンと人族の力の差を考えれば、ちょっと害虫駆除に出かけてくる、みたいなノリだったとしたら。
その害虫を一匹残らず根絶やしにしようとしてもおかしくないし、日々の生活に必死な人族と違って、黒竜王にはそれだけの力と余裕と寿命がある。
「信じられるかい? あの赤竜王が、矮小な人族ごときに謝意を示したんだ。同胞の眷属が殺されたという事実は許しがたいが、約定を守れなかったことは矜持に反すると言って、深々と頭を下げてきたんだよ」
「それじゃあ、赤竜王が黒竜王を止めてくれるのか?」
行き違いや誤解は誰にでもある。
ターシャさんを失っていないからこその、この上なく身勝手な言い草だけど。
これ以上黒竜王が人族を襲わないのなら戦う理由はない、そう思えてしまっている俺がいる。
実際に襲われてみないと、対峙してみないと分からないあの力の差から来る絶望を思い出せば、誰でもいいから戦いを止めてくれと願ってしまうのを止められないはずだ。
だけど、口以上にジオの目は、俺の想像は不正解と言っていた。
「本来、五大竜王とは、世界の崩壊を防ぐための楔として調和を保つのが役割であって、間違っても竜王同士で争ってはならない。そうなれば、世界は終わりを迎え、そこに暮らす者は悉く滅び去るだろう。――そう言って、テイルと同じ願望を持った僕の考えを、赤竜王は拒絶したよ」
「……つまり、黒竜王は止まらないってことなんだな?」
「そうだ。そして、仮に止められる者がいるとすれば、それはただ一人、テイル、君だけだ」
「お、俺だけって……ジオ、お前、どこまで知っているんだ?オレのことをどこまで聞いたんだ?」
「全部だよ。黒竜王に相対した巨人を造り出したことも、その力の源であるエンシェントノービスの加護が人族の限界を超えてしまったことも」
「アイツが教えたのか……」
「教えられたというより、見せられた感じかな。おかげで、黒竜王の出現から撤退までの一部始終をよく理解できた。この先、テイルがたった一人で戦おうとしていることもまた、予想できた」
「ジオ、止めないよな」
「止めないよ。止めるわけがない。人族の存続のために全てをなげうってきたこの僕だ、事ここに至れば、テイルでさえも使い潰して見せるさ」
殺されかけても、ヒュドラの毒に侵されても、死の淵に立たされても。
初めて会った時と同じく、ジオは不敵に笑った。
「テイルだってわかっているだろう。リーナやターシャ嬢たちの安全を最も保障できるのは、世界で唯一このジオグラッドだけなんだと」
「ああ。俺に残された選択肢は、このジオグラッドを命を懸けて守ることだけだ。たとえ、神様の領域から帰ってこれなくなるとしても、ジオの言う通りにするしかない」
「そうだ、テイルは僕の言う通りに動いていればいいんだ」
なんて、偽善。
なんて、偽悪。
わざわざ言葉にしなくても、お互いの思いはこれまで歩んできた軌跡が嫌というほど証明している。
ジオはジオの、俺は俺の大切な人達を守るために、それぞれのやり方でここまで戦ってきた。
表裏一体と言えるほどに重なり続けてきた道は、ジオの脱落という形で分かれようとしている。
「ああ、そうそう、一つ言っておくべきことを思いだたよ」
「なんだ?」
「僕、遠くないうちに死ぬらしいよ」
「そうか」
それほど驚かずに済んだのは、強くなり過ぎた加護のおかげだ。
生きとし生けるものなら誰もが持っている、命の光。
それを感じ取れるようになったと自覚したのは、実は今この時だった。
黒竜王との戦いが終わってから会った人、すれ違った人からは当たり前に感じていた光の波動が、ジオからはほとんど出ていなかった。
それが、ジオの人生の終わりが近い証なんだと、どうしようもなく悟ってしまった。
「これから僕は、昏睡と覚醒を繰り返しながら、ゆっくりと死へと近づいていくんだと思う。わずかながらに体内に侵入したヒュドラの毒を治癒術が抑え込んで眠りを誘い、治癒神の加護を克服したヒュドラの毒が激痛と共に覚醒を促す。そんな耐え難い苦しみを繰り返しながら、僕は逝くことになる」
「ジオ……」
「国を見限り、父母を捨て、兄と敵対し、兄を断罪した男にとって、ふさわしい死に方だと思わないか。寝台の上でのたうち回り、昼夜問わず血反吐を吐き、最期の時まで泣き叫ぶとしても――僕は最後まで生きることを諦めないよ」
そうだ。
それこそが、俺が知っているジオだ。
「お前が少しでも長く生きていてくれれば、それだけ貴族たちの離反を遠ざけることができる。その分だけ、俺が心置きなく戦える」
「だから死ぬな、ってことかい?」
「そうだ。お前が最後まで俺を利用するんなら、お前も最後まで俺の役に立て。簡単に死ぬなんて許さない」
ジオの戦い。
俺の戦い。
戦場は違っても、思いは一つ。
「じゃあ、そろそろ僕は寝るよ。帰り際、控えの間の側仕えに一声かけてもらえるかな」
「ああ、わかった」
「それじゃあ、テイル、お別れだ」
「ああ、じゃあな」
そう告げてジオに背を向けて、寝台から離れる。
控えの間のドアをノックして声をかけて、怒涛の勢いで入ってくる側仕えや治癒術士と入れ替わるように、寝室を出た。
涙は出てこない。
ジオのために泣くのは、全てが終わってからだ。
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