第370話 公国の行く末 中
「まったく、お前には驚かされっぱなしだよ」
宰相執務室から場所を移して、ここは政庁の地下深く。
ジオグラッド公国公王の私的空間にある寝所で、俺はジオとの再会を果たしていた。
もっとも、ヒュドラの毒に侵されたジオは眠ったまま。
二人きりの空間で、物言わぬ病人に独り言を吐き出しているに過ぎない。
それでも、こんなことを言えるのはジオ以外にはあり得なかった。
「まさか、あのセレスさんがあんなことを言い出すなんてな」
「公王妃殿下、なぜこちらに!?」
マクシミリアン公爵がセレスさんに向けて敬語を使うことにも驚くけど、聞きなれない呼び名に今さらながらに気づく。
公王ジオグラルドの伴侶。公国の母。
以前はジオの護衛騎士として、凛とした佇まいの中に周囲を威圧する空気を出していたけど、今は装いの違いもあって物腰が柔らかく感じる。
なにより、布地が多いドレスでも隠し切れないお腹の丸みが、母親らしさを演出していた。
「竜王と戦った英雄が帰還したと聞いたので、公王陛下の代わりに礼を述べるために」
「むやみに外に出て来ていただいては困ると言っているのです!」
セレスさんは今、ジオとの間に、次代のジオグラッド公国を背負う王子か姫を身ごもっている。
公国とってこれ以上めでたいことはないんだけど、同時に生まれる前から命を狙われる立場でもある。
そのため、建国したばかりの公国の状況が落ち着くまで、母子を世間から切り離して、とある秘密の場所で暮らしていたはずだ。
そのセレスさんがこんな場所に現れていたら、マクシミリアン公爵でなくても驚くだろう。
「むやみにではありません。公王陛下がお倒れになった今、誰かが王族としての役目を果たす必要があると考え、マクシミリアン宰相に相談に来たのです」
「公王妃殿下のご配慮には感謝の念に堪えません。ですが……」
「私と腹の子では公王陛下の足元にも及ばないでしょうが、玉座を埋めることで多少なりとも貴族たちの動揺と離反を防ぐことができるはずです。ちがいますか、マクシミリアン宰相」
「……否定はできません」
「では、私が公王代理を務めると触れを出してください。できる限り早急に」
「……御意」
腹芸をする余裕がないのか、それとも公王妃相手に隠しごとができないのか、苦渋に満ちた表情で答えるマクシミリアン公爵。
そのたれる頭を見たセレスさんの視線が、次の獲物に向かった。
「レナート、あなたにもそろそろ身を固めてもらいますよ」
「へ……俺ですか!?」
我関せずとまではいかなくても、どこか他人事のようにぼーっとしていたレナートさんが、意表を突かれたのが丸わかりの間抜けな声を上げた。
「嫡流ではないとはいえ、公にネムレス侯爵の子と認められた令嬢を娶るのです、レナートには公国貴族の列に加わってもらいます。爵位は……子爵でどうでしょう、マクシミリアン宰相」
「妥当なところかと」
「ちょ、ちょっと待った!平民の俺が貴族なんて誰も納得しないでしょう! それに、ギルドマスターの仕事は片手間でやれるもんじゃありませんって!」
「おかしいですね。後進が育ち次第、あなたは冒険者を引退すると聞いているのですが?」
「王都のギルド総本部の壊滅と災厄の激化に伴い、冒険者の個人単位の活動は減少した。また、公国の防衛体制移行により、冒険者ギルドの役目はさらに狭まることが確実だ。片腕を失い、引退を考えていたお前にとってはまたとない好機ではないか」
「いや、だからって結婚なんか……はっ!?」
そこまで言ったレナートさんの体が不自然に固まって、錆びついた蝶番のように背後――テレザさんの方へと振り返った。
「……へえ、結婚なんか、ねえ」
「いや、そういうつもりじゃない! 待て、行くな、話を最後まで聞けって!」
「公王妃殿下、宰相閣下。お話の途中ですが急用を思い出しましたので、これで失礼させていただきますね」
「はあ? うそつけ、この後は簡単な打ち合わせだけで後は一杯やるだけ――引っ張られる耳が痛い!!」
慌てて追いかけて隙を見せたレナートさんの左耳をしっかりとつまんだテレザさんは、姿勢を崩すこともなく優雅な足取りで執務室を出て行った。
そんな二人を呆れるような目で見送ったマクシミリアン公爵は、
「僭越ながら、これでよろしかったのですか? テレザ司祭長はともかく、レナートは野に放ってこそ生きる駒かと思いますが」
「二人のことは公王陛下も常々気にされていたのです。この辺りで年貢の納め時とさせるのが、多大な貢献を受けたジオグラッド公国が取るべき責任でしょう。それに、レナートへの爵位授与は、良き面もあるのではないですか」
「……大幅な縮小はあるとはいえ、冒険者ギルドは魔物狩りや偵察などでこれからも活躍することでしょう。ネムレス侯爵のように、現場の意見がすぐさまこちらの耳に届けられる貴族側の人材は欲していたところです」
「あの様子ならば、テレザの方はまんざらでもないでしょうから、あとはレナートの承諾次第ですね」
「せいぜい、テレザ司祭長の邪魔にならぬ程度に、我らの方からも追い込んでみましょう。聡い男です。公都の外に出ることがほぼなくなる以上、あまり無駄な足掻きはせぬでしょう」
と話題を締めくくった、マクシミリアン公爵。
その視線が――眩しくも遠い存在のように俺を見た。
「お前はどうする、テイル」
「どうするって言われてもさ、そんなのでわかるわけもないと思わないか、ジオ」
昏々と眠り続けるジオに、セレスさんの計らいで見舞いに来た俺は語り掛ける。
本当は、マクシミリアン公爵の言いたいことはわかっている。
ジオグラッド公国は、黒竜王に対抗する武器を失った。
タイタンの槍はもちろんのこと、ドワーフ族が造り上げた鋼鉄の兵器をいつも簡単に破壊した光景を見れば、この公都を守る盾の方も通用するかどうか、試す必要すらないだろう。
ドラゴンブレスの一発や二発ならあるいは。
だけど、黒竜王の無尽蔵の体力を目の当たりにした以上、勝てる見込みは皆無としか言いようがない。
それでも、公国にはもうそれしか身を守る手段が残されていない。
だからこその籠城策。
災厄を遮断する盾じゃなく、身を隠すための衣。
ドラゴンの機嫌を損ねないように、地下に身を潜めて時が過ぎるのを待つだけの、絶望的な生存戦略。
でも、もし、黒竜王の注意を逸らしてくれる別の存在がいるとすれば?
「つまり、俺が黒竜王と戦っている間は、公都は狙われないってことだよな」
地上にあったとしたら、いつかはドラゴンブレスの巻き添えを食らったかもしれない。
だけど、地下要塞。
地表に露出するものは政庁の最上階にある見張り台だけだから、大天蓋を掘るか直接破壊しないと、公都にはたどり着けない。
黒の巨人の重量で上に立たないようにだけ気を付ければ、心置きなく戦える。
まさかジオも、そこまで計算したわけじゃないんだろうけど。
「まあ、ちょうどよかったよ。もうすぐ神様になってしまう俺だけが犠牲になればいいって話だからな」
どういう手順で、どういう道のりを経てそうなるかはわからないけど、人族でいられる時は残り少ない。
それだけは確かだ。
眠る必要がなく、いつまでも戦い続けられる体。
ノービスの理想を体現するということは、増大する加護を肉体がやがて支えきれなくなるということ。
大切な人との絆や心の強さごと引きちぎる、天からの誘い。
一度行けば最後、二度と戻ることが許されない神の座。
後悔はしていない。黒の巨人を手に入れたことで、ターシャさんたちを守れたんだから。
ただ一つ、人族への災厄の終焉まで見届けられたら、他に何も望みはない。
「あとは、お前に任せれば安心だからな」
「……まったく、傷病者に対する言葉とは思えないね」
「ジオ!? ち、治癒術士をすぐに……!!」
遠慮して控えの間にいる治癒術士を呼ぼうと身をひるがえそうとした俺の右手が、信じられないほど強く掴まれた。
その犯人は言うまでもなく、今の今まで意識がなかったジオだった。
「テイル、最後に、君にだけ話しておくことがあるんだ」
かすれて聞き取りにくいはずのジオの言葉は、なぜか俺の鼓膜をはっきりと叩いた。
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