第369話 公国の行く末 上
「来たか」
予想通り、公都に戻った馬車が到着したのは、政庁だった。
そのまま、リーゼルさんの案内で、一切の手続きも待たされることもなく通されたのは、宰相執務室。
そこで待ち構えていたマクシミリアン公爵の第一声に、違和感を覚えた。
いつもの尊大さが鳴りを潜めて、微かな緊張が漂っている気がしたからだ。
その理由はすぐに分かった。
「ノービスの英雄殿。この度は公国の危機を救っていただき、感謝の言葉もない」
「え……?」
それは、席に着くなり起きた。
マクシミリアン公爵が、その後ろに控えたリーゼルさんが、執務室の各所に立っている護衛騎士が、仕事に追われていただろう官僚が、一斉に深々と頭を下げていた。
その相手は消去法的に、礼の姿勢を取っていないただ一人、俺以外にあり得なかった。
「あ、頭を上げてください! こんなのいつものことじゃないですか!?」
「そうはいかん。テイル、貴様はこのジオグラッドとジュートノルをあのドラゴンから守った、まぎれもない英雄だ。公国の政務を預かる者として、相応の礼儀を取ることは当然だ」
「で、でも、俺はただ、ジオの手伝いをしただけで……」
「そこなのです、テイル殿」
見ると、礼の姿勢は保ったままで顔だけを上げたリーゼルさんが、沈痛な面持ちを覗かせていた。
「昨夜、公都の寝所に運ばれた公王陛下は、テレザ司祭長を筆頭とした治療団の処置を受けられた後に眠りに就かれたのですが、未だお目覚めにならないのです」
「目覚めないって……まさか、ヒュドラの毒が?」
「それはまだわからぬ。公王陛下が眠り続けておられるのは、ヒュドラの毒に打ち勝つためか、それとも浸食が進んでいるのか……いずれにせよ、一介の平民が公王陛下を助けるという特例は、今は通用しないということだ」
「宰相閣下、もう少し言葉を選ばれるべきです。テイル殿、申し訳ありません」
「いえ、俺のことはいいんですけど。それよりも――」
その時、俺の質問を遮るように、執務室の扉がノックされた。
その、護衛騎士が開けた先にいたのは、
「もう始めてたか。悪い悪い」
「申し訳ございません、宰相閣下。手配に手間取ったものですから」
言葉ほどには遠慮もなく、マクシミリアン公爵の横を通ってさっさとソファに座ってしまったのは、レナートさんとテレザさんの二人だ。
こんな状況にもかかわらず、いい度胸をしている。
――いや、ジオが不在のこんな状況だからこそ、かもしれない。
「冒険者ギルドの一時閉鎖、段取りつけてきましたぜ」
「公王陛下の治療団を除いた、治癒術士の割り振りも目途がつきました。翌早朝にも、各地に向けて出発させる予定ですが、本当によろしいですか?」
「無論だ。衛士兵団の再編成も済ませてある。ドラゴン相手の護衛役としては不足なことこの上ないが、いないよりはましだろう」
「あの……話が見えないんですけど、どういうことですか?」
不明瞭な一方、ただならない三人のやり取りに思わず訊いてしまったけど、嫌な予感は当たってしまった。
「我らジオグラッド公国は、これまでの災厄への積極策を放棄し、絶対防衛体制へと移行する」
「防衛、体制?」
「早い話が、あのドラゴンの王様に白旗上げて、ひたすら引きこもろうってことだ。公都に限って言えば、大天蓋を閉じ切って外との接触を最低限にして、守りに徹しようってことだな。当然、災厄への対抗を俺達は諦めることになる」
「っ……!?」
分かりやすいはずのレナートさんの言葉は、まだ俺に届いていなかった。
――わかっている、届いていないんじゃなくて、俺自身が拒絶しているんだと。
「ジュートノルを蹂躙し、テイルが対峙したドラゴンこそが黒竜王であることは推測がついている。ドラゴンブレスを使わずともすべてを薙ぐ破壊力、あの巨体にもかかわらず目にも止まらぬ速さ、超大型タイタンですら傷を負わせられぬ鱗。全てが、人知の及ぶところではない怪物だと証明している」
「ドラゴンに通用する唯一の武器だったタイタンが通じなかった時点で、こうするしかないのよ。もっとも、治癒術士の出る幕なんてとっくの昔になくなっていたんだけどね。悔しいことに」
「さらに悪いことに、虎の子の超大型タイタンの半分が、あの巨人の材料になって消失しちまってるからな。そのおかげで公都が助かったのは事実だが、痛いものは痛い」
「で、でも、超大型タイタンはまた造ればいいじゃないですか。黒竜王だって、鱗がないところを狙えば……」
そう言いながら、俺がどれだけ幼稚で後先を考えていないか、分かっていないわけじゃない。
だけど三人は、そんな俺をあざ笑うどころか、憂いの色を帯びた瞳を深くした。
「テイル、お前は強いなあ」
「強い、俺がですか?」
「何度となく最前線に立ち続けて、その上で啖呵を切れるってだけで十分さ。それに比べて――」
「レナート、余計なことを言わないで」
「いや、知っておくべきだろ。テイルが戦ってる間、公都でなにが起きてたかってことくらいは」
「レナートの言う通りだ、テレザ司祭長」
「宰相閣下……」
何かを迷う素振りのテレザさんに代わって、マクシミリアン公爵が言葉を継いだ。
「テイル、公王陛下がお倒れになられた今、公国議会が公国の重大事を決定することは知っているな?」
「は、はい。ジオの権力を公国議会に委ねるって聞いた覚えがあります」
「だが、肝心の評議員たちの腰が定まっていないとなれば、公国としての最低限の統制すら難しくなるだろう」
「ど、どういうことですか……?」
震えを止められないままに口をついた俺の疑問に答えたのは、テレザさんだった。
「公国貴族の間に動揺が広がっているのよ。公王陛下の負傷が平民に広まってしまった上に、タイタンが通用しなかったことで頼りにならないと考えたんでしょうね。どうせ死ぬなら自分の領地でって、公都を離れようとしている貴族が出てきているの」
「そんな無責任な!?」
「領地貴族の本分は、自らの土地と領民を守ることに尽きる。彼らがこれまで公国についてきたのは、公王陛下がタイタンと衛士で安全を保障したからだ。事ここに至って、彼らを不忠者と責めることは私にはできない」
「そう言う宰相閣下も、派閥の貴族から突き上げを食らってるんでしょうに。勢力の大きさを考えたら一番きつい立場じゃないですか」
「私はいいのだ。身も心も公国に捧げるつもりで宰相の任を引き受けた。領地と派閥のことは、家督を継いだ息子と老臣たちが上手くやってくれるだろう。お前こそどうなのだ、レナート」
「俺はまあ、他に行くとこないですから。腐れ縁の女もいますし」
「レナート、後で話があるから覚悟していらっしゃい。逃げても無駄よ」
三人の表情は決して暗くはない。
だけど、他愛のない雑談を挟んでいる最中も、どこか影が差しているような気がする。
そのくらいの判別がつく付き合いはしてきたつもりだ。
……そうだ、ジオがいないことが問題なら――
「あの、マクシミリアン公爵。それだったら俺が――」
「貴様ごときに公王陛下の代理が務まると思うなよ、下郎」
「げ、下郎……!?」
「まあ、王族なめんな、ってことだよ、テイル」
久しぶりの公爵からの暴言に驚いていると、レナートさんが心底呆れた顔をしていた。
「ノービスの英雄って言えば、確かに公王陛下に匹敵する知名度と信用があるだろうがな、生半可な覚悟で務まるもんじゃねえんだよ、最も尊い血筋の代わりってのは」
「それに、これまでテイルさんは、ノービスの英雄が平民に極力広まらないように骨を折ってきたのよね。そんなこと、公王陛下もきっと望んでいらっしゃらないわ」
「それは……」
それはもうどうでもいいんです、と言う前に、変化は起きた。
「では、その役目は私が引き受けることにしましょう」
その言葉は、しずしずと開けられた執務室の扉の向こうから聞こえてきた。
「失礼、つい昔のくせで、盗み聞きをしてしまいました」
現れたのは、女性ばかりの側仕えを従えた、ゆったりとしたドレスに身を包んだ貴婦人。
ジオとの婚姻以来の再会になる、セレスさんの姿がそこにあった。
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