第368話 別れの朝


 翌朝、空が白み始めたころに、そっと地下室を抜け出る。

 瓦礫を踏んで音を立てないように周囲を警戒して、魔物の気配はないと確認できたところで歩き出す。


 ――わけじゃなく、


「行きましょうか」


「う、うん」


 階段をゆっくりと上がってくるターシャさんに右手を差し出して、繋ぎ、一緒に一歩を踏み出した。


「ちょっと意外だったな」


「なにがですか?」


「テイル君、また勝手に行っちゃうかも、って思ってたから」


「俺も、昨日までの俺ならそうしていたかもしれません」


 成り行きじゃなく、自分の意志でジオに力を貸すようになって。

 魔物だけじゃなく人族も敵に回すようになると、身近な人たちを巻き込む恐れが出てきた。

 俺がいる時ならまだしも、もしも手が届かなかったら、間に合わなかったら?

 ジオの頼みを断るには、俺は世界というものを知りすぎているし、役割があることも自覚している。

 だから、白いうさぎ亭の守りはジオに任せて、危険の原因である俺は距離をとった方がいいと思った。

 その考え自体は正しいと思っているし、この先も続けるつもりだ。


 ただ、自分に嘘をついていた。


「あの夜、書置きもせずに出て行くべきじゃなかった。ターシャさんたちにちゃんと行ってきますを言ってから、堂々と表から行くべきでした」


「うん、私もそう思う」


「リーナ伝いにもらった手紙、うれしかったです。逃げるような真似をした俺にも帰る場所があるんだって、言ってもらったみたいでした」


「本当はね、再会したら思いっきり叱ってあげようって思ってたの。白いうさぎ亭はテイル君の家なんだよ、他に居場所を見つけるなんて許さない、って。でも、テイル君と再会できたことで、全部どうでもよくなっちゃった」


 昨夜のことを思い出したんだろう、頬を赤く染めてしばらく無言になったターシャさんは、


「ち、違うからね! 別に、あんなことやこんなことを思い出してたわけじゃないからね!」


「俺は別に構いませんよ。ついでに、あんなことをしてる時に叱ってもらっても」


「もう! テイル君のバカ! もう!」


 本当に怒っているんだろうけどちっとも痛くない拳骨で、ぽかぽかと頭を叩いてくるターシャさんがかわいい。

 そんなことを思う自分を教えてもらうたびに、好きという気持ちが溢れて止まらない。


 それでも、握り合った手はほどかない。

 いちゃつくようにゆっくりと歩いていても、決して止まることはない。

 理由は簡単だ。お互いに、もうすぐ訪れる別れを予感しているから。


 そして、それは破壊された街壁の前で待っていた。


「ここまでみたいだね。あーあ、もうちょっと一緒に歩きたかったな」


「本当は、魔物が這入り込んでるかもしれないから、見送り自体をやめてほしかったんですけど……」


「だけど、テイル君はここまで見送らせてくれたんだよね、私の意思を尊重して」


「帰りについては、あの人達がいるってわかっていましたから」


 街壁の内と外を隔てるように立っているのは、見覚えのある衛士達と、彼らを引き連れたリーゼルさん。

 目的は言うまでもなく、俺達のお出迎えだろう。

 街壁の外に出る俺と、来た道を戻るターシャさん、それぞれの。


「じゃあ、私、帰るね」


「はい。公都までの引っ越し、気を付けて」


 ターシャさんから手を離す。

 握手はもうやった。

 抱き合いも、キスも、想いを確かめ合うことも、十分にした。

 これ以上は必要ない。

 勇気と力と希望は、この胸にある。


 近づいてきた衛士達に頭を下げたターシャさんは、振り返ることもなく帰っていった。






「よろしかったんですか、あれで」


「いいんです。湿っぽくやっていられるような状況でもないですから」


「そうですか……白いうさぎ亭の皆さんのことならご心配なく。公都の住居はすでに確保済みです。ティアエリーゼ殿下のこともありますから、影警護はこれまで以上に万全を期しますので」


「お願いします。それで、俺はどこに行けばいいですか?」


「公都までの馬車を待たせています。話はその中で」






「……」


「ダンさん、ただいま」


「ああ」


「テイル君、行っちゃった」


「引き止めなかったのか?」


「引き止めようと思ったよ。帰ってきてって言おうと思ったよ」


「お前は優しいからな。テイルの意思を優先すると思っていた」


「だって、人族を守るためにテイル君は戦ってるんだよ? それなのに、どうして私がひどいことを、私達だけを守ってどこにもいかないでって言えるの?」


「言ってもよかったんだ。言っても、あいつは考えを曲げなかっただろうが、今まで我慢してきた分、お前は自分勝手なことを言えばよかったんだ、ターシャ」


「……テイル君、テイル君!行っちゃやだ、行かないで、ずっと私の側にいてよ!うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」






 軍仕様の頑丈そうな馬車に乗ったあと、リーゼルさんは張り詰めた表情の中に苦渋をにじませた。


「おおよそのことは公都にて宰相閣下にお伺いください。私が許されているのは暗殺騒ぎの顛末の報告です」


 リーゼルさんの言葉にうなずく。

 どの道、大して遠くもない公都までの道のりじゃ、全てを聞くには短すぎる。


「暗殺の実行部隊はもちろんのこと、使嗾した他国の貴族、公国内部から協力したジュートノルの商人といった、主だった下手人は捕らえることができました。ただ……」


「ただ?」


「自発的に加担した者達は別として、主や上役から強制されて仕方なく騒ぎに関わった者からも詳しく事情を聞く予定だったのですが、宰相閣下のご判断で取りやめになりました」


「……理由は、ドラゴンですよね」


「その通りです。もはや、完全な真相究明をしている余力は、今の公国にはないということです」


 ドラゴンの襲撃だけだったら、リーゼルさんもこんなことは言わなかっただろう。

 だけど、ジオが重傷な上にジュートノルは壊滅、なにより、タイタンが通用しない相手だった。

 リーゼルさんやマクシミリアン公爵も、あれがただのドラゴンじゃないことは気づいているだろう。


「昨日、他国との交流禁止令を宰相閣下の名のもとに公布、戦時特例として即日発効されました」


「っ!?それは、マクシミリアン公爵の独断なんですか?」


「いいえ。公爵閣下によると、公王陛下とこういった事態への対応を前々から話し合っていたそうです」


 禁止令発行以降、公国内の他国の者は支度が出来次第、追放。

 従わない場合は、可能な者は公国に移住するか、本国に強制送還。

 また、他国とのいかなる接触も公国は断つ。


 それが、リーゼルさんが俺に語ったあらましだった。


「ただし、公王陛下の御命を狙った刺客のうち、主力の三組だけは、今後の禍根を断つために罪を減じることなく、今朝未明に処刑が行われました」


「そ、そんなことをして大丈夫なんですか?戦争になったりとかは……」


「お忘れですか、テイル殿。暗殺の首謀者たちは亡国の元貴族。もはや、彼らには軍を興す力などありませんし、あったとしても敵対する勢力が全力で潰しにかかるでしょう。恨みに思ったところで、公国に向ける牙は折れてしまっています」


 これまでとは明らかに違う、苛烈な処断。

 公国、というよりジオが大量の処分を下すことは何度かあったけど、それでも別のところで帳尻を合わせて不満を減らしている印象があった。

 これ以上、他国が公国にちょっかいをかけてくることはないとリーゼルさんは言ったけど、それは公国も同じじゃないのか?

 そしてそれは、ジオが病床にあることと無関係じゃないはずだ。


 あまりの出来事に呆然とする。

 ――それを狙っていたんだろう。

 本当にポツリと、何程のこともないといった風に、リーゼルさんは告げてきた。


「それから、もう一人、処刑された罪人がいます。もっとも、その者だけは誰を尋問しても情報がなく、名無しとして葬ることになったようですが」


「え……?」


「ですが、罪だけは明らかなのですよ。ええ、奴隷のような哀れな姿だとしても、常軌を逸した振る舞いが演技ではないとしても、一切の同情をかける余地がないほどの大罪が」


「……もう、十分です」


「そうですか。お聞き苦しかったようで、申し訳ありません」


 それだけ聞けば、誰が死んだか明白だった。


 ただ、あいつが誰を恨んでいたのか。

 ジオか、ターシャさんか、ダンさんか、それとも俺か。

 顔も見たくないゴードンに一つだけ聞きたかった疑問は、永久に分からなくなってしまった。

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