第367話 繋ぎとめる


 揺らぐことも煤を出すこともない魔力灯が、地下室を柔らかく照らしている。


 開発された当初はもっと鮮明で強い光を発していたそうだけど、目が眩んだり気分が悪くなる人が続出し、けっきょく油を使うのと変わらない、今の光量と色合いに落ち着いたらしい。


 そして、そんな話を教えてくれたターシャさんが、俺の隣ですやすやと眠っている。


 その寝顔を見ながら、昨日の夜のことを思い出していた。






「こんなふしだらな女で、幻滅したでしょ」


 ベッドのきしむ音が止んでからしばらくして、息も絶え絶えで仰向けになっている俺になまめかしい背中とおしりを見せながら、ターシャさんがそんなことを言った。


 とにかく、すごい夜だった。


 こういうのを手練手管って言うんだろうか。

 二度目のキスに頭がくらくらしている内にベッドに押し倒されたかと思ったら、気づいた時には鎧語と服を全部脱がされていた。

 あれ、俺が自分で脱いだんだっけか?


 ターシャさんの裸を見た瞬間は、思わず拝みたくなった。

 まじまじと見ると目が潰れそうなほどに、胸、くびれ、おしり、肌艶が理想そのものだった。

 女神は神々の世界にいるんじゃない、俺のすぐ近くにいたんだと確信したくらいだ。

 そう思いながら両手を合わせようとした俺の両手をターシャさんの両手が包み込むと、ある場所へいざなった。


 どこかって?

 手は二つあるんだから、二つあるものに決まっている。


 その後のことはよく覚えていない、というか、まだ思い出せない。

 男女の営みをいたしたことと、夢見心地だったことだけは確かだから、後でゆっくりと反すうしたいと思う。






 ターシャさんが不思議なことを言い出したのは、一戦交えてからのことだ。


「いや、言っている意味がよく分からないんですけど……」


「これだけは言っておくけど、テイル君が初めての人だからね。そういうことをする前に、白のたてがみ亭が潰れたから」


「分かっていますよ。疑ってなんかいませんから」


 その証拠といったらあれだけど、ターシャさんの乙女の証ははっきりと真っ白なシーツを赤く染めている。

 今は毛布の陰に隠れているけど、何度か視界の端に映ったから間違いない。


 ただ、それがなかったらどうだっただろうか?

 それくらい、ターシャさんは積極的にリードしてくれていた。


「ほら、大店の中には、きれいどころを用意してお客様を繋ぎとめるところがあるじゃない」


「……聞いた覚えはあります」


 いわゆる、夜の接待だ。

 褒められた話ではないけど、自分の店の印象を強く残すために、客を歓楽街に招待してもてなすのは商人の間じゃよくあることだ。

 中には、自前でそういった要員を用意して(男女に限らず)、同業者に差をつける奴もいる。

 ここまで来れば、ターシャさんの言いたいこともわかる。

 そんなやり方を、ゴードンもターシャさんに強要していたわけだ。


 ……あの野郎。


「もちろん行為そのものには及ばないんだけどね、男性の誘い方とか自分の見せ方とか、ちょっと言葉にするのも恥ずかしいようなことも先輩に教えられたわ」


 そんなことを教え込んだゴードンが、今どこで何をしているか、ターシャさんは知っているんだろうか?

 いや、まだ一日も経っていないし、事が事だけにそれはないだろう。


 その、諸々のテクニックが巡り巡って俺に使われたっていうのは、皮肉以外のなにものでもないんだろうけど。

 その上で、俺に言えることがあるとすれば。


 眼福でした。至福でした。幸福でした。

 ざまあみろ、ゴードン。


「軽蔑、しないの? 淫乱な女だって罵ってくれてもいいのに」


「罵りしませんよ。誰ですか、その石頭は。どんなスキルを持っていようが、ターシャさんはターシャさんじゃないですか」


「スキルって……私は冒険者じゃないよ」


「冒険者と同じですよ。魔導士が火の魔法を使うにしても、焚火をするか、他人の家に放火するかで全然違うじゃないですか」


「それはそうだけど」


「そんな技を、ターシャさんは俺に使ってくれたんです。ありがとうございます。うれしいです」


「……もう、言ってるこっちが恥ずかしいじゃない」


 そう言って、ぷっとふき出したターシャさんが俺の胸に飛び込んできて、一緒にしばらく笑い合う。

 そうして、お互いの声が収まったところで、


「でも、ターシャさんがそうした理由は知っておきたいです」


「テイル君……」


「理由があるんですよね?」


「……それはね、もう言っちゃってるの」


 胸の中のターシャさんがギュッと身を縮めたのを見て、その体を抱きしめる。

 さっきと違っていやらしい気分にはならない。

 今、この手が触れているのは、ターシャさんの心だから。


「テイル君が白いうさぎ亭を出て言った理由、最初は分からなかった。だけど、リーナがテイル君のところに行った頃に、気づいたの。テイル君は、私達を守ろうとしてるんだって」


「……」


「あれから、大変なことが何度もあった。王都でたくさんのアンデッドと公国軍が戦ったり、ドラゴンが街を襲うようになったり。でも、ジュートノルは平和だった。街に入ってくる行商が減ったり、近所の人達が公都に行っちゃったりした以外は、魔物が襲ってくることもなかった。それは、テイル君が頑張ってくれたからなんだよね」


「別に、俺一人の力じゃないです。それに、結局はこんなことに……」


 それもこれも、空しい努力だったのかもしれない。

 ダンさんたちが、ターシャさんがこうして生きていてくれたんだ、まったく無駄だったとは思いたくないけど、ジュートノルが壊滅したという、どうしようもない現実がある。

 ここから白いうさぎ亭をどう立て直すのか、そもそも立て直すことができるのか。

 自分から出て行っておいて勝手なことだと分かっているけど、どうしても心配になってくる。


「実はね、数日後にはみんなで公都に移ろうって話が出ているの」


「じゃあ、白いうさぎ亭は……」


「そうじゃないの。さっき聞いたばっかりの噂だけど、ジュートノルを守っている衛士隊の人達が全員、公都に引き上げるんだって」


「そうなんですか!?」


「うん。それでね、噂が間違っていたとしてもジュートノルが危ないことは違いないから、この際みんなで公都に引っ越そうって話になってるの」


「正しい判断だと思います。できることなら明日にでも移るべきです。許可の問題があるなら、俺がなんとかできると思いますから」


「そう言ってくれると思った。じゃあ、朝が来たら早速みんなに言って、荷物をまとめることにする。もちろん、テイル君も手伝ってくれるよね?」


 笑顔のターシャさんにお願いされたら、神を敵に回しても力を貸す。

 あの頃の俺はそう思っていたし、今も忘れていない。

 だけど、それはできなかった。


「なんてね、言ってみただけ」


 胸の中のターシャさんの笑顔がほんのすこしだけ、寂しそうなものへと変わる。

 そんな顔をさせたくなかった。できれば見たくなかった。

 だけど、この夜だけは、ターシャさんの思いの全部を正面から受け止めないといけない。

 笑顔が悲しみに代わっても、たとえ一生嫌われても、この人を離しちゃいけない。


「つなぎ留めたかった。できれば、二度と行ってほしくなかった。そのためには、好きって言ってくれるところも、絶対に見せたくなかったところも、全部テイル君にぶつけなきゃって思った」


「ターシャさん、俺は……」


「だから、せめて約束して。全部が終わったら、私達のところに、私のところに帰ってくるって。リーナのことも連れてきてもいいから、テイル君の家を守らせて」


「わかりました。災厄が終わったら、俺の出番がなくなったら、必ずターシャさんのところに帰ってきます」


「……ありがとう、テイル君。大好き」






 おやすみなさいと言って、やっと眠りに就いたターシャさんの目尻に光る雫を掬い取る。

 今日一日の疲れもあって目覚める様子は皆無だけど、くすぐったそうに笑うターシャさんを見て愛おしさがまたこみあげてくる。


 俺はターシャさんに一つ嘘をついて、一つ隠し事をした。


 俺は白いうさぎ亭に戻ってこれない。


 そして、何度も死線を潜り抜けて疲労困憊なはずの俺の体は、睡魔をまったく感じなくなっていた。

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