第366話 地下室の夜
「テイル君」
「ターシャさん」
はずかしい。
できることなら今すぐにこの世から消えてしまいたい。
もちろん、人目もはばからず号泣してしまったこともある。
ドラゴンという脅威が去った後とはいえ、緊張の糸を切っていい状況じゃなかった。
戦勝パレードを狙った刺客がまだ潜んでいるかもしれないし、崩れてしまった街壁からいつ魔物が侵入してきてもおかしくない。
「うふふ、テイル君」
「タ、ターシャさん……」
ターシャさんと再会できたことはもちろんうれしい。うれしくないわけがない。
ターシャさんの顔を見られて、声を聞けて、体温を感じて。
これを守るために戦ってきたんだと実感できる。
災厄が去ったわけでもないのに自分で決めたことすら守れないのは情けない限りだけど、まあ、圧倒的な現実には勝てないってやつなんだろう。
なんだろうけど……
「帰りが遅いから心配して来てみれば、なにやってるんだ……?」
「あ、ダンさん」
「あ、あははは……」
こっちも久しぶりの再会になるダンさんが、適当なサイズの瓦礫の上に座る俺達を見て、心底呆れたという顔をしていた。
厳密には、一人で座る俺に膝枕される形で、ターシャさんが横たわっていた。
「まったく、こんなときにどういうつもりで――いや、いい。聞きたくない」
「ダ、ダンさん、あの……」
「おい、テイル。こっちは役人から炊き出しの要請があって道具をかき集めてる最中だ。お前と話してる余裕はない。本来なら、貴重な労働力のターシャも縄でもくくり付けて連れ帰りたいところだが、こいつはお前のことになると梃子でも動かないのはわかってるよな?」
「は、はい……」
「明日の朝の炊き出し、それまでにこいつを連れてこい。いいな、明日の朝までだぞ」
そう言ったダンさんは、再会の余韻どころかあいさつ一つもしないままに、来た道を戻っていってしまった。
……まあ、ダンさんらしいと言えば、らしいけど。
と、くすぐったくなるような懐かしさに浸っていると、
「ぶーーー」
「タ、ターシャさん?」
「テイル君がよそ見してる。今は私のことだけ見てほしいのに」
「いや、だって、ダンさんですよ!?そんな、し、嫉妬するようなことなんてなにも……」
「だめ! 今日いっぱいは私だけのテイル君なんだから、ダンさんでもゆるさない」
そんな、父親に甘える子供みたいな駄々を並べ立てたターシャさんは、ひとしきり俺の膝の上で暴れた後で、すっと立ち上がった。
「よし、それなら誰の邪魔も入らないところに行きましょう!」
「だ、誰の邪魔も、って?」
色々な意味で、ターシャさんの意見にはおおむね賛成だけど、見るまでもなくこの辺りにそんな気の利いた建物は残っていない。
西には黄昏、東には帳が支配し始めて、すっかり見晴らしがよくなってしまったジュートノルの上で、ターシャさんが満面の笑みを浮かべた。
「テイル君が知らない、とっておきの場所に招待するね」
ずいぶんともったいぶった言い回しだったから、どんな意外な場所に連れていかれるかと思ったら、なんのことはなかった。
ターシャさんんが向かった、というより十歩歩いた先にあったのは、我らが白いうさぎ亭の残骸の中にぽっかりと空いた地面。
そこにあった、とても頑丈そうな扉を開けさせられると(実際、加護無しの大の男じゃ無理そうな重さだった)、下に降りる階段の先に真っ暗な闇が広がっていた。
「あ、先にそこの魔力灯をつけてね。扉を閉めたら真っ暗になっちゃうから」
ターシャさんの言う通りに、階段の途中にある魔力灯に魔力を注いでから扉を閉め、さらにうっすらと見える奥の二か所に明かりを灯すと、白いうさぎ亭の厨房くらいはありそうな地下室が姿を現した。
「これは……」
「王都から公国軍が帰ってきたあたりだったかな。公王様の御触れで、ジュートノル中の建物に避難用の地下室を作ることが義務付けられたの」
「避難用っていうことは、竜災の?」
「今から思うと、そういうことだったんだろうね。最低でも三日は籠れるような設備を整えるようにって、衛士の人達が無償で作ってくれたわ。もちろん、水や食料、寝る場所なんかは自分で用意したんだけど」
ターシャさんの言う通り、地下室には、水がめや樽や木箱、簡易的なベッドが置かれている。
奥の方には厠と思える仕切りがあるし、天井には通気口もある。
三日どころか十日くらいはここで住めそうな雰囲気だ。
「本当にすごいですね。ここまでのことを、衛士がやってくれたんですか?」
「うーん、ちょっと違うかなあ。衛士さんがやってくれたのは、穴を掘ることと扉をつけるところまで。実際には、うちのお抱え魔導士様の二人が色々と手を加えてくれたの」
「お抱えって……ああ、ティアとルミルですか」
才能あふれるティアに、実戦経験豊富なルミル
あの二人の魔導士が組めば、地下室の改装くらい片手間でやってのけるだろうな。
「それで今日、パレードの方で騒ぎがあった時にね、念のためにみんなで地下室に隠れてたの。上が静かになっても念のために明日まで待ってみようって、ダンさんの言う通りにした。そのすぐ後だったかな、地下室全体がものすごく揺れたのは」
「それが、ドラゴンの襲撃だった。そういうことだったんですね……」
「うん。で、まだまだ話したいことがあるから、とりあえず座らない?」
「そうですね。じゃあその辺の木箱に――って……!?」
「ダメ。テイル君もこっちに座って」
そう言いながら俺の手を取ったターシャさんが誘ったのは、ちょっと大きめのベッド。
簡素な骨組みがむき出しだから、材料を持ち込んでここで組み立てたんだろう。
ダンさん以外は女性だ、みんなで寝られるようにとこのサイズにしたのかもしれない。
「えへへ」
「どうかしました?」
「考えてみれば、テイル君と二人きりでこんなに近くで話すの、初めてかもしれないね」
「そうですか? こういうこと、一回くらいはあったと思うんですけど」
「そんなことないよ。だけど、テイル君にとって私は、そう思えるくらいに近い存在だったんだろうね」
「それはそうかもしれないですね。俺にとってターシャさんは、一番大切な人ですから」
「じゃあ、こういうことをしたら迷惑かな?」
え、と視線を向けた先に待っていたのは、身を寄せてきたターシャさんの顔だった。
しん、と、しばらくの静寂。
だけど、俺の唇と胸は燃え滾るような熱を感じていた。
ターシャさんはどうだろうか?
できれば、俺と同じであってほしいと思う。
やがて、どっちからでもなく唇を離した後、
「テイル君。一つ聞きたいことがあります」
「な、なんですか、あらたまって」
「リーナと、したのね?」
「そ、それは、その、リ、リーナにも聞いてからじゃないとお答えが難しいんですけど……」
「誤魔化さなくてもいいの、怒ってるわけじゃないから。あ、でも、ほんのちょっとは怒ってるかな」
「どっちなんですか……いや、ごめんなさい」
「うん、テイル君が開き直るところじゃないよね、今は。っていうのは冗談で、なんとなくはわかってたの。ほら、リーナが公都に行くときに背中を押したのは私だから」
「あ、リーナもそんなこと言ってました」
「だからって、一線を越えちゃうのは違うと思うんだけどな」
「す、すみません。弁解の余地もないです……」
「だから、謝らなくってもいいんだって。でも、少しでも私に申し訳ないって気持ちがあるなら、一つだけ約束して」
「な、なんですか?」
口づけが終わっても、ターシャさんとの距離は近いまま。
白いうさぎ亭の接客係として、男客との距離の保ち方を熟知しているターシャさんが、この意味を分かっていないはずがない。
「これから私がすることを拒まないで」
俺の体に腕を巻き付けたターシャさんに巻き込まれる形で、ベッドに横倒しに倒れる。
抱きついてきたターシャさんの吐息が耳にかかって、全身に言葉にならない震えが走った。
「リーナと同じじゃなくてもいいの、ただ、私にもテイル君を繋ぎ留めさせて」
そう囁いたターシャさんの顔が視界に入ってきて、魔力灯を反射した瞳がきらきらと瞬いて、また俺の唇を塞いだ。
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