第365話 最後の場所
飛び去って行く黒竜王を前にして、俺は追撃しなかった。
いや、追撃できなかった。
『敵個体の撤退を確認。使用者の戦意減退を確認。ギガントスタイル、通常稼働に移行します』
謎の声の説明は相変わらずほとんどわからないけど、体から抜け出ている魔力の量がぐっと減ったことで、はっきりしたことが一つある。
ひとまず、戦いは終わったのだと。
ただし、負けに等しい引き分けという形で。
巨人の腕から放たれた投石ならぬ砲撃は、狙い通りに黒竜王の眉間に命中して、建物一つ優に吹き飛ばせるほどの爆発を起こした。
その直前、砲弾の先端が巨大なドラゴンに接触した音に、違和感があった。
ドラゴンの、それも王の鱗に当たったんだ、高い音が鳴るのは当然だ。
だけど、それとも違う、例えるなら純度の高い金属同士がぶつかった時の澄み切った音というか、まるでダメージを与えられていない感触が伝わってきた。
その証拠に、健在を見せつけるように黒竜王は飛翔した。
あの巨大な砲弾をまともに受けながら、意識が飛ぶどころか一切視界を揺らしていないように、ゆうゆうと羽ばたいていった。
対して俺は――黒鋼の巨人はどうだろうか?
結果だけを見れば、こっちも傷一つ負っていないと言える。
だけど、黒竜王の突進は巨人の装甲を確実に砕いた。もし、自己修復機能が備わっていなかったら、今頃は敗北していたかもしれない。
それともう一つ、確かなことがある。
黒竜王は必ずまたやってくる。それも、近いうちに。
確証はない。だけど、確信がある。
あの金眼、どんな宝石も霞むだろうあの煌めきの中に、相反する感情が混ざり合っている気がしたからだ。
この程度のものか? いや、こんなものじゃないはずだ。次は全力を出せるようになっていろ。
言葉は通じなくても、あの金眼がそう語っている気がした。
今の俺は、新たな加護に目覚めたばかりの状態だ。
肉体的にも精神的にも、この途方もない力に慣れるのに、多かれ少なかれ時が必要なのは間違いない。
絶望的な差をサイズ以外でも埋められるように、この巨人を使いこなせるようにしないと。
そんな、先のことを考えていたせいだろうか。
『ギガントスタイル、スタンバイモードに移行します。使用者の離脱が可能になります』
謎の声がそう言ったかと思うと、突然視界が真っ暗になって、体から流れ出ていた魔力が完全に止まった。
なにが起きたのか戸惑っていると、前方でなにか重いものが動く音がしながら、徐々に光が差し込み始めた。
どうやら、ここから外に出られるらしい。
「……」
目の前には公都ジオグラッドがその威容を見せている。
被害はなかっただろうか?
公都に運び込まれたはずのジオの容態は?
これだけのことが起こって、公国はこれからどうなるのか?
曲がりなりにも戦勝パレードに参加していたわけだし、ジオを守り切れなかった責任もある。
今すぐに確かめたいし、俺自身のことも含めて話し合うべきことが山ほどある。
優先すべきことはわかりやす過ぎるくらいにわかっている。
それでも、俺は公都に背を向けた。
すべてが終わっていても、無駄だと分かっていても。
ジュートノルで確かめなきゃいけない。
なくしたものを。
「あ……」
いつの間にかに戻っていた黒の鎧姿でジュートノルに入ったのは、悪いこととは思いつつ黒竜王が破壊した街壁の穴からだった。
このあたりだったはずだ、リーナといっしょに夕焼けを見た場所は。
今はもう、壁どころか基礎がむき出しの状態で、見る影もない。
「あ、あ……」
外壁の向こうは路地が入り組んだ下町、だった。
ついさっきまで祝祭に沸いていたはずの街並みは、木と石とレンガが埋め尽くして瓦礫の山と化していた。
隙間隙間から流れ出ている数条の黒い液体が、消えた命の数を教えている。
「あ、ああ……」
瓦礫の隙間を縫って、震える足を拳で叩きながら歩く。
住人も、商人も、衛兵も、誰一人としてすれ違わない。生者も、死者も。
嵐や地震なんか目じゃない、暴力の化身が通り過ぎたんだ、原形を留めていなくてもおかしくない。
「ああ、あああ……」
震えが、声が、、涙が止まらない。
なにより、この先に待っているものが最悪の結末だという思考が止まらない。
行かなければいい、見なければいい、それだけのはずなのに、足が勝手に進み続ける。
「あああああああああ……」
本当はわかっている。
白いうさぎ亭は二階建てだ。屋根裏部屋も含めれば、この界隈じゃ頭一つ飛び出ている高さだ。
その屋根が、ない。あるはずのところには空しか見えない。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ……」
みんなを守るために戦ってきた。
ジオを助けていれば、ジュートノルは大丈夫だと勝手に思い込んでいた。
大切なものと俺がもっと真剣に向き合わなかったから、ターシャさんの側に居続けることを怖がったから。
罰が当たった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
白いうさぎ亭が潰れていた。
ちょうど黒竜王の進路上だったんだろう、上からすさまじい圧力がかかったようにぺしゃんこになっていた。
もう疑いようがなかった。
ダンさんも、ティアも、ルミルも――そして、
ターシャさんが死んだ。
「君が新人くんね。名前はなんていうの?」
「だ、旦那様から、余計なことは言うなって……」
「もう、犬猫じゃないんだから、名前くらい言いなさい!」
「テ、テイル……」
「テイル君ね。ところでテイル君、読み書きはできる?」
「いや、できない……」
「そ。じゃあ、従業員としての礼儀作法と一緒に、明日から私が教えてあげる」
「だけど、旦那様が……」
「いいのいいの。うちのお客様はそれなりの身分の人が多いから、力仕事だけをしていればいいわけじゃないの。きっと大変だと思うけど、絶対にテイル君のためになるから。ね!」
「じゃ、じゃあ、よろしく……あの、名前は?」
「あっ、ごめんね。私の名前はターシャ。よろしくね、テイル君!!」
ここで、この井戸の前で話したことは、昨日のことのように覚えている。
真っ暗な闇の中に一筋の光が差すように。
それまで下ばかり見続けていた俺の人生が、ターシャさんの笑顔から始まった。
冒険者学校に入れたのも、言葉遣いや文字を教えてくれたターシャさんがいたからだ。
それなのに、帰る場所も、ただいまを言う人もなくした。
もう、おかえりを言ってくれる人はいない。
「ターシャさん………………!!」
「テイル君?」
そんなはずがなかった。
ドラゴンの襲来は突然で、避難する間なんかなかったはずで。
このがれきの下に、生存なんて祈りようがないほど潰れてしまった白いうさぎ亭と運命を共にしてるはずで。
それでも、振り向いた先にはターシャさんの姿が見えた。
「ターシャさん!!」
幻聴だと、幻影だと自分に言い聞かせながら、崩れ落ちていた膝に鞭打って、転がっていたレンガに足を取られて、それでも走って、
「おかえり、テイル君」
「う、うあああああああああああああああっ!!」
抱きしめたターシャさんの温もりは本物だった。
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