第363話 反撃の狼煙


 この感覚をどう表現したらいいんだろうか?


 まず、目線が高い。というか、地面が遠い。

 アリの隊列のように細くなった街道を見下ろしている光景は、ジュートノルの鐘楼に立った時によく似ていると思う。

 ただし、決定的に違うところが一つ。

 強風に晒される中で一歩足を踏み外せば地面まで真っ逆さまだったあの時とは違って、今はびくともしない。

 その理由は、言うまでもなく、


『ギガントスタイル、全形成完了。全可動部問題なし。魔力充填率77%。地脈からの自動補給継続中』


 謎の声の意味不明な言葉の羅列が続く中で、改めて自分の手足を観察する。

 いつも身に付けている黒の鎧が跡形もない代わりに、その下の生身の腕をすっぽりと覆うように巨人の腕である漆黒のガントレットが半透明に重なって見えている。

 脚部も同様で、はるか下に見えている地面の感触が足の裏に確かにあるという、視覚と触覚に決定的な矛盾があるというズレが気持ち悪い。

 他にも、胴体や頭はどうなっているのか、消えた黒の鎧はどこに行ったのか、疑問は尽きないけど、考える余裕は今の俺にはないらしい。



 その巨体さえ見なければ地鳴りと聞き間違えるほどの、長い長い重低音の唸り声。



 その金眼を見た瞬間、驚きの連続で収まっていた怒りが再び頭の中を支配していくのを感じた。


 どういう理屈か分からないけど、生身の時とそん色なく、この巨人の手足は動かせるらしい。

 成否も確かめずに放った初級火魔法もうまくいった。これなら他の魔法も大丈夫だろう。

 つまり、戦えるってことだ。


『ギガントスタイル、全力駆動を開始します』


 一歩、また一歩。

 超重量の踏み込みによる、聞こえるはずのない大地の悲鳴が、確かにこの耳に届いている。

 地面の陥没や隆起はもちろん、鳥獣や魔物の鳴き声や足音まで。

 いくら加護で五感を強化されてもここまでじゃなかったはずだけど、もし幻聴でないんだとしたら。

 俺は本当に引き返せない領域に足を踏み入れたのかもしれない。


 そして、はっきりと聞こえる声がもう一つ。



 グルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル――



 まるで息継ぎを忘れてしまったかのような、長い長い唸り声。

 足元を確かめるように近づいていく俺に対して、黒竜王は明らかな威嚇行為を取っている。

 一蹴されたさっきまでとは違う、警戒するに足る敵だと認めている。

 だったら、少しはまともな戦いになるかもしれない。


 そんな高ぶりを感じているうちに、いよいよ黒竜王と直接接触する間合いまで近づく。

 黒竜王は動かない。向こうから近づくでも飛んでくるでもなく、ドラゴンブレスさえ使わない。

 その理由を推測できるまで下手に戦わない方がいいのかもしれないけど、今の俺は冷静じゃない。

 あの、何もかもを台無しにしても当然の権利と思っているような金眼を歪ませる一発を入れるまでは……!!


 左足で踏み込み、腰を貯めて、黒鋼の右拳に全ての力を乗せた一撃。

 体感では鈍く思えても、実際の速度は想像を絶するはずの必殺の拳打は、あえなく空を切った。


 ――いや、そんな生易しいものじゃない。黒鋼の巨人と化した俺の体が宙に浮いていた。



 聞いたこともないほど大きく、重い地響き。



「っ――――――がはっ!?」


『胸部装甲38%破損。ダメージが危険水域を突破。ただちに敵対象との距離をとってください』


 一瞬だけ途切れていた意識を立て直し、何が起きたのかを思い出す。


 胴体と変わらず黒い鱗で覆われた黒竜王の頭部に右拳が触れたと思った瞬間、続いていた唸り声が止むと同時に金眼が掻き消えて、巨人の内部にいるはずの俺の全身に衝撃が走った。

 原因は言うまでもなく黒竜王。攻撃は……たぶん、突進からの頭突き。



 グルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル――



 黒竜王から再びの唸り声。

 力を貯めているのか、機をうかがっているのか、金眼からは窺い知ることはできない。

 少なくとも、二度目の突進はないと思うのは希望的観測が過ぎるだろう。

 そして、次の突進がまた胸部に来たら、その中にいる俺も無事じゃ済まない。


 だけど、黒鋼の巨人はただの鋼の塊じゃなかった。


『自動修復を開始します。使用者のクレイワーク強制発動。飛散した胸部装甲を回収、再錬成、破損部との融合開始』


 土属性に由来するものを自在に操り、形状を変えることができる初級魔法。

 だけど、サイズは小石から大岩レベルまで、数は数百、瞬く間に角ばった破片が球体へと変化して砕けた胸部装甲に吸い込まれていく光景は、ノービスのそれとはあらゆる点で比べ物にならない。

 そんな感動にも似た俺の考えは、目の前の強敵も共有したらしい。


『使用者の意思が確認できないため、緊急回避発動。右腕部、胴体右側面、右脚部スラスター一斉点火。敵個体の急速接近を回避します』


 再び黒竜王の姿が掻き消えた直後、視界の右半分が弾けたかと思うと、左側からすさまじい風圧がかかった。

 一瞬のうちに体ならぬ機体五つ分は左に移動し、黒竜王の二度目の突進から逃れたと知ったのは、一瞬の攻防の後だった。


『警告。緊急回避は使用者の身体に過剰な負荷がかかるため非推奨。使用者に機体制御系統の知識を送信――』


「うぐ……ああっ!?」


 大音と共に安全地帯に降り立った直後に、それは起きた。

 スラスターとやらの箇所、点火方法、機体制御のための出力の調整、等々。

 突然頭に流れ込んできた大量の情報に、思わず声が漏れる。

 ――だけど、おかげでこの巨人の本来の動かし方がだいたい分かった。



 グララアアアアアアォッ!!


 

 避けられたことで怒りを覚えたのか、短い咆哮と方向転換と共に迫る黒竜王。

 三度目の攻撃も速い。だけど、強化した視覚で追えないほどじゃない!!


 同じ攻撃じゃ芸がなさすぎると、人族を凌ぐ頭で考えたんだろう。

 直進してくると思われた黒竜王は半ばほどの距離で跳躍、翼を折りたたんだ状態で四肢の力だけで上昇、その勢いのまま両前足に光る五指の爪で襲い掛かってきたところで、前面のスラスターを全て点火。

 炎を発しながら手足を動かすことなく避けると、そのまま接近戦には移れない距離まで遠ざかった。


 ――だけじゃ終わらない。やられっぱなしじゃいられない……!!


『ギガライゼーション最終展開。ギガシュートカノンマキシマム、発射』


「っけええええええええええええ!!」


 機体制御の方法と一緒に、流れ込んできた知識。

 ギガントスタイル形成と同時に進行していた、両腕の内部で製造された特大砲弾を放つ準備はすでに整っていて、あとは俺がイグニッションを発動するだけだった。



 炸裂、後の轟音。



 機体と同じ色をした砲弾は、発射に合わせて開いた巨人の手のひらの穴から飛び出すと、着地直後の隙を見せていた黒竜王の眉間に命中し、その体を大きく後退させた。


 おそらくは五千年ぶり、あるいは人族史上初めて、究極の生命であるドラゴンの王に一矢報いた瞬間だった。

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