第361話 五本爪の黒竜


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 戦う時には決して大声を上げてはいけない。

 動揺していてはいけない。

 考えなしに突っ込んではいけない。

 魔物はもちろんのこと、ドラゴン相手なら死に直結する。


 それでも叫ばずには、涙を流さずには、走らずにはいられなかった。

 日課だった狩りの帰路、見飽きるほどに見てきたジュートノルは、街壁越しでも大体の地理は憶えている。

 だから、街の中でどの辺りが被害を受けたか、直接目で見なくても分かってしまう。

 その範囲内に何があるのかも。


『使用者の神速を目指す意志を観測しました。ギガンティックシリーズ、スピードスタイルに移行します』


 緩やかに曲がりくねる街道を外れて、スピードスタイルで一直線に駆け抜ける。

 舗装されていなくても関係ない。枝葉も小石も水たまりも全て踏み砕くつもりで駆け抜ける。


 感覚から言って百歩も踏まなかっただろうか。

 ほとんど飛ぶような勢いで街壁まで到達した俺は、そのまま勢いを殺しつつ真上に移動するつもりで跳躍、自分でも驚くほどの美しい着地で歩廊に降り立つことができた。

 そして、見た。


 空から突っ込んできた黒竜が着地ならぬ着弾をしてから停止するまでの軌跡――その途中に白いうさぎ亭の敷地と、あるはずの建物の代わりに瓦礫だけが散らばっていた。


「きさまああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 悲しみはある。涙も止まらない。今すぐにでも崩れ落ちそうだ。

 だけど、なくしたものに少しでも報いるため、あるいはほんの少しの勇気を出さなかったがために愛しい人に二度と会えなくなった罪を購うため、怒りの塊となったこの魂と体をぶつけるために、破壊の軌跡の終着点にいる黒いドラゴンに向かって飛んだ。


『シ――使用者の確固たる殺意をカ――カカンソクしました。ギガンティックシリーズ――■■スタイルに――パワースタイルに移行します』


 ――意志の強さが加護を引き出す。


 冒険者学校かジオかアイツか、とにかく誰かから聞いた話は、これまでだったら決して届くはずのなかった黒竜の元へただの一度の跳躍で到達し、直後に移行したパワースタイルが生み出す黒の大剣はその鱗に確実に斬撃を見舞った。


 ――瞬間、感じたことのない全身の痛みと共に、景色が前方に吹き飛んだ。


「がはああああああっ!!」


 体中の骨がバラバラになったように言うことを聞かない手足をねじ伏せて、衰える気配のない激情を糧に立ち上がる。


 ここがどこなのかは分かる。あの黒竜に何をされたのかも、たぶん。

 背中に残っている衝撃と揺れる視界に映る建物の配置から、今いるのはさっきの場所とは別の街壁。

 一瞬視界に入ったかどうかすら自信がないあの影は、想像を絶する速度で振り回された黒竜の尻尾だろう。


 だったら、今度は離れて攻撃すればいい。


『使用者の狙い討つ意思を観測しました。ギガンティックシリーズ、シュートスタイルに移行します』


 俺が激突したことで生まれた街壁の瓦礫をクレイワークで集めながら、黒の鎧からさらなる力を引き出す。


『ギガライゼーション第一、第二展開。クレイワーク成形……完了、ストリーム圧縮……』


 かつてゴブリンキングを倒した巨人の砲弾を作る間に、さっき感じた違和感――黒の鎧の強化をアシストしてくれる謎の声の異常がひっかかる。

 こんなことは一度もなかった。あれは何だったんだろうか、幻聴? 不具合? それとも他のなにか?

 ――いや、今はよそう。もう、砲弾が完成する。


『サイクロンバレル……完了、発射準備完了。使用者によるイグニッションでいつでも発射できます。どうぞ』


「っけええええええええええええ!!」


『着火を確認。ギガシュートカノン発射』


 公国軍の厳戒態勢が続いているせいか、それとも圧倒的な強者への純粋な恐怖からか、射線上には一人も見当たらない。

 三十六計逃げるに如かずと俗に言うけど、逃げきれない相手には隠れ潜む方が生き残れる。

 そのまま家から出てこないでくれと祈りながら、砲弾、砲身、火薬、全てが魔法で形作られたシュートスタイルの必殺技を再び遠ざかった黒竜に向けて放った。



 爆発、射出、一瞬後の轟音と風圧。



「………………………はは」


 距離も大きさも関係ない、当たりさえすれば王都の城壁だろうがギガントボアだろうが貫通する自信がある砲弾は、的というには大きすぎる上にほとんど動く気配のない黒竜の体に命中し、時鐘のようによく響く音を奏でて、明後日の方向に跳ね返って力無く飛んでいった。


 ――なんで効かないんだ、超大型タイタンは通用したのに?


 何が起きているのかわからなくて、呆然として、頭が冷えたのが良かったんだろう。

 改めて、あるいは初めて黒竜を見て、これまでの個体と比べての違和感というか相違点に気づいた。


 まず、日光の反射具合から鱗がはるかに上質に思えた。遠目にも美しいと断言できるほどに。

 そして、なにを探しているのか上半身を持ち上げて反転した時に見せた前足に、爪が五本あった。


 五本爪のドラゴン……

 そうだ、以前、ジオの話の中に出てきたんだ。

 通常種は三本と決まっていて、突然変異ではありえない、王の証。

 つまり――


 その時、目が合った黒竜が――黒竜王が笑った気がした。

 探していたのは、俺のことだった。


 奴が見せた動きは、大きな大きな翼をゆっくりと広げただけ。

 ガードスタイルに移行する間もなかった。


 二度目の吹き飛びは直接じゃなく、黒竜王が起こした衝撃波によるものだった、と思う。

 ダメージ自体はそれほどでもなかったけど、ほぼ同時に粉砕されたと思える街壁の残骸が四方八方から襲ってきて、抵抗の間もなくなぶられ続けた。


 ――ああ、これはだめだ。たかが人族一人の怒りなんて何の役に立たないほど、このドラゴンの王は強い。


 そんなことを考えながら、全部で五回、いや六回だろうか。

 加護無しの者なら確実に絶命すると断言できる距離をバウンドしながら転がって、ちょうど街道の上で停止。

 意思が途切れて通常の状態に戻った黒の鎧が肝心な部分を守ってくれたことに感謝しながらなんとか起き上がろうとしていると、


「――げき開始ーーー!!」


 聞こえたのは、覚えのある部隊長の声。そして、優にここまで届く複数の砲撃音。

 黒竜のジュートノル襲来を知った衛士兵団がその場でタイタンの設置を開始、街壁を突き破ってところで始めた一斉砲撃に違いなかった。


 だけど、今の俺なら絶対にこう言う。

 全部無駄だから逃げろ、と。



 ようやく立ち上がれた俺の目に届いた戦いの結末は、あっけなさすぎて予想通りすぎた。

 通常型はもちろんのこと、超大型タイタンの砲撃でさえ自慢の鱗で難なく弾いた黒竜王は、翼を使うことなく四本の足で普通に前進、抵抗を続ける衛士兵団に肉薄すると、彼らの心を折るようにタイタンを一門ずつ丁寧に噛み砕いていった。

 まるで赤子の手をひねるように頼みの綱のタイタンを破壊された衛士達に、勝つ術も意思ももう存在しない。

 蜘蛛の子を散らすように逃げ散る衛士兵団を、すでに黒竜王は物の数に入れていなかった。

 まるで獲物を物色するような金色の瞳に次に映った光景――それが公都だと気づいた時、全身が総毛立った。


『スピ、スピスピスピ――移行します』


 走って、奔って、駆けて、跳んで、飛んだ。

 力を入れすぎて足の爪が割れても関係ないと黒竜王を追いかけた。


 だけど、足りるはずがない。

 あの翼を広げたら最後、人族にはどうしようもないほどの速度に達した黒竜王は、途次にある軍列ごと確実に公都を蹂躙する。


 リーゼルさんも、テレザさんも、ゼルディウスさんも、ジオも。

 公都にいる誰も彼も。

 そして、リーナも。


 俺はまた守れない。


「……嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ駄目だ!!」


 満身創痍に、全力疾走に、感情の高ぶりに、絶望の未来に、血を吐くような絶叫。

 これだけ心と体に負荷がかかれば、加護があろうがなかろうが関係ないことくらい理解するべきだった。


『ギガンティックシリーズ、■■スタイルに移行――失敗しました』


 つまり、体の中心からぶつん、という音が聞こえて、意識が途切れた。


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