第359話 刺客 下


 かくして暗殺計画は水際で鎮圧され、戦勝パレードも滞りなく行われた。


 ――と、一言で片づけられたらよかったんだけど、現実にはそう簡単にはいかない。

 まず、俺自身の身の置き所に困った。


「刺客は可能な限り生け捕りにせよとの宰相閣下の厳命だ!公都にも応援を要請しろ!」


「重傷以外の怪我人はファーストエイドでの治癒で対処しろ!決して持ち場を離れるな!」


 広場の中でひしめき合うのは、公国の紋章付きの鎧を装備した衛士。

 他にも、様子をうかがいに来たジュートノルの住人や、余所の街から来たと思える奴隷を連れた商人がいたりするけど、まだまだ平民の数は少ない。

 見渡す限りだと、九対一くらいだろうか。

 視界の左から右へ走り去る人、広場に留まって警戒する人、こっちをチラチラ見ながらすれ違う人。

 全員が何らかの役割をもっている中で、俺だけが何をするわけでもなく立ち尽くしている。


 不審者、とは見られていないと思う。

 ジオから渡されたヘルメットのせいで顔は見えないけど、黒の鎧の方は公国軍内で知らない人を探す方が難しい。

 だったら声の一つもかけて来てくれてもよさそうだけど、何らかの通達でも出ているのか、俺の周りだけぽっかり穴が開いたように近寄ってこない。


 かといって、別の場所に移動する当てもない。

 強いて言うならジオのところだけど、刺客の襲撃で軍列は乱れに乱れて、公王とその護衛の位置は分からない。

 だったら、『炎蛇の双子』と派手な戦いを演じたこの政庁前広場に留まっていれば、向こうの方から見つけてくれるはずだ。


 ――いや、勝手知ったるジュートノルだから、ジオ達が隠れられそうな路地や建物の一つや二つくらい、思いつかないわけじゃないけど、俺程度が気づくなら刺客には朝飯前だろう。

 最悪、能天気にジオを探す俺を刺客が尾行して、運悪く正解を引き当ててしまう可能性だってある。

 今は動かないことこそが、ジオの助けになるはずだ。


 そして、そんな俺の予感は正しかった。


「こちらでしたか、テイル殿」


 群衆をかき分けて俺の前に現れたのは、騎士鎧の変装じゃ隠し切れない気品を感じさせる顔立ちを見せている、リーゼルさんだった。


「広場に留まってくれていて助かりました。テイル殿、またもやご活躍だったようですね。先ほどお会いしましたが、宰相閣下も感謝しておられましたよ」


「お、俺のことはいいんですよ……それよりも、ジオは無事なんですか?」


「ご無事です。今は、とある大商人の別邸を借り受けて、パレードの再開に向けて指示を出しておられます」


「パレードの再開?刺客がどこに潜んでいるかもわからないのに、まだジオは続けるつもりなんですか?」


 信じられない思いの俺に、力無さげに笑ったリーゼルさんは、


「他でもない、公王陛下御本人の意思ですから。刺客の襲撃に屈さぬ強き王の姿を示さねば、公国の体面は保てないとの御考えなのです。今頃は、命を受けた宰相閣下が陣頭指揮を執って、パレードの順路を整えるために大通りの整理を始めていることでしょう」


「マクシミリアン公爵も、リーゼルさんも、それでいいんですか?ジオの無茶はいつものことだけど、今日のは度が過ぎてますよ!」


 半分は戦いの余韻から、もう半分は悪い意味で昔のままのジオへの苛立ちから。

 八つ当たりみたいでリーゼルさんには悪いと思うけど、今の俺は確かに怒っていた。

 それでも、公王の懐刀の平静は崩れなかった。


「主君の命には絶対服従。臣下としてはつらいところですが、公王陛下のご意向に沿うように微力を尽くす以外に方法はありません」


「それなら俺も――」


「大変ありがたい申し出なのですが、謹んでご遠慮させてもらいます」


「どうしてですか! 少しでも戦力が必要なんですよね?」


「戦勝パレードの主役はあくまでも公王陛下――というのもありますが、今日のテイル殿は良くも悪くも目立ちすぎているのですよ、刺客との戦いで」


「っ……!?」


「さらに衆目に晒されることになれば、貴族や平民といった身分にかかわらずテイル殿が注目され、その動向に注目が集まることになります。そうなれば、テイル殿が平民の暮らしに戻ることは永劫に叶わないでしょう」


 忘れていたわけじゃない。

 ただ、今回に限って特注のヘルメットを渡された理由を真剣に考えていなかった。

 無名だった王都の時みたいに、好き勝手に暴れていい状況じゃなくなっている自覚はある。

 今じゃ、リーゼルさんや衛士兵団の人達をはじめとして、色々な人に顔と名前を覚えられている。

 だけど、今日のジュートノルに集まっているのは、ノービスの英雄の戦いを見ただけの人達だ。

 俺が知らない、俺のことを知らない、貴族や商人や平民や奴隷。

 もう手遅れの感はあるけど、もしも手遅れじゃないんだとしたら――


「テイルに命じてはならない、との公王陛下からのご命令ですので、一言だけ。テイル殿はここで踏みとどまるべきです。あとは我らにおかませください」


「……」


 ふと、ジュートノルの空を眺める。

 雲一つない快晴、パレードにこれほどふさわしい天候はない。

 これなら、ドラゴンの襲撃も心配しなくていいだろう。

 懸念だった刺客の襲撃はほぼ鎮圧して、今やパレードの再開のために公国軍全体が動いている段階だ。

 これ以上、出しゃばる必要はない。

 少なくとも、リーゼルさんはそう確信しているなら従うしかない。

 この心のざわめきさえ抑えこんでしまえば、なにも問題はない。






 政庁前広場の入り口でリーゼルさんと一緒に、再開された戦勝パレードを見守る。

 はた目には警備の騎士と冒険者に映るだろうか。そうであってほしい。

 せめて、パレードが終わるまでは注目されなければいいと思う。


「来ましたよ」


 リーゼルさんの囁きで、ひしめき合う観衆から大通りに視線を移す。

 再開したとはいえ警戒は必要らしく、公国軍の半数を投入した軍列は当初の半分以下の規模にしたそうだ。

 マクシミリアン公爵以下公国の貴族たちはパレードの終点である広場の中央で待つ形になり、いま大通りを進んでいるのは、ガルオネ伯爵とギュスターク公爵からの使者を引き連れた公王ジオグラルドとその麾下だけになっている。

 それが却って存在感を際立たせているらしく、屋根なし馬車からにこやかに手を振るジオに対する観衆の声がすごい。熱狂というか、崇拝とすら思えるほどの絶叫が途切れない。


「王都陥落や竜災など、これまで積み上がっていた不安を一気に吐き出しているのでしょうが、これは――」


 ほとんど耳元で叫ぶようなリーゼルさんの最後の言葉に、完全に同意する。


 ――つまり、危うい。



 ボオオン!!



 空気を震わせる爆発音と一緒に、観衆が大通りに侵入しないように押し留めていた衛士の一部が吹き飛ぶ。

 直後、その警備の穴から躍り出たのは、衛士兵団に拘束されているはずの炎蛇の双子の片割れ。


「ジオグラルド、よくもやってくれたわね。おかげであたしたちはおしまいだ! せめてあんたも道連れにしてやる……燃え尽きな!!」


 姉か妹とか判別はつかなくても、オーガのような形相でジオを睨む魔女の憎悪は疑いようがない。

 そして、間髪入れずに放たれた炎の蛇は石畳を焼きながら突き進み、屋根なし馬車の前で万全の態勢で待ち構えていた公国騎士団の、一糸乱れることなく並べられた騎士盾の防壁によって完璧に阻まれた。

 そして、魔法を行使した後の最大の隙を見逃すようなあの人じゃない。


「秘剣、『煌鷹の太刀』」


 ジオへの攻撃を防いだ騎士盾が迅速に下がり、その陰から現れたのはゼルディウスさん。

 愛用の巨剣を担いだ公国騎士団長は、はるか間合いの外から振りかぶり、壮絶な斬撃を繰り出した。

 普通なら絶対に届くはずのない巨剣――その刃からほとばしるように出現したのは、赤く煌めく巨大な鷹。

 魔法ではない力で生み出された幻の鷹は、石畳を這うような低さで飛行すると、その身の超高熱で獲物の上半身を見事に食い千切ると、役目は終えたとばかりに消え失せた。


「煌鷹の太刀。はるか昔に異国の剣士から伝授され、代々の烈火騎士団長が継承しているという火の魔法剣の頂。まさか、見る機会が訪れるとは思いませんでした……」


 騎士の経歴を持つリーゼルさんが陶然と話してくるのも無理はない。

 どうやって脱出してきたのかはともかく、再び公王の命を狙った刺客を公国騎士団長が返り討ちにしたという一幕は、あの煌めく鷹も合わさって、今まさに英雄譚を目撃しているような気分にさせてくる。

 そう俺は思ったし、観衆もそうだろうし、貴族も騎士も衛士も、誰もかもが心を奪われただろう。


 だから、見逃した。


「公王陛下ーーーーーーーーー!!」


 気づいた時には、屋根なし馬車に乗っていたジオに、襤褸切れを纏った男が襲い掛かって、そのまま体当たりして、一瞬の隙を突かれた護衛騎士達によってすぐに取り押さえられた。


 その手に、血に染まったナイフを握りしめながら。

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