第356話 戦勝パレード 中
実際にはついこの間訪れたばかりだけど、こうしてジュートノルの正門をまじまじと見るのは、あの時以来かもしれない。
忘れもしない、エンシェントノービスの加護を得た直後、ソルジャーアントの襲撃。
災厄の始まりとなった事件で、俺達が出会ったきっかけ。
「懐かしいと感じてしまうのは、さすがに思い違いかな? まだ、季節を一巡りもしていないというのにね」
そんなふうに自由気ままに話せるのは、このパレードの主催者であるジオくらいなもので、いくら同じ馬車に同乗が許されているとはいえ、例外的な状況を除いて俺が返事をすることはできない。
特に、公都を出た軍列がいよいよジュートノルの正門前に差し掛かり、出迎えた代表者たちの口上を聞いている間はもってのほかだ。
「ジ、ジオグラルド公王陛下、この度は人族に災いをなすドラゴンを打ち倒し、我らがジュートノルの民を御救いいただいたこと、まことに感謝の念に堪えません」
「うん。出迎え、大儀である」
「ははっ!つ、つきましては、ジュートノルにも公王陛下のご偉業を祝わせていただきたく――」
ジオと代表者たちとの問答は、事前に決められている原稿をそらんじているに過ぎない。
それでも、馬車に乗ったままの公王に対して跪く彼らの声が震えているのは、一生に一度訪れるかどうかの直答の機会に緊張しているから――だけじゃなく。
ジュートノルの代官代行時代のジオが、代表者たちと色々とあったのは周知の事実。
明らかに不正を働いていた面々は一掃されているとはいえ、罰を免れた商人や役人も完全に潔白だったわけじゃない。
つまり、ジュートノル刑の執行を猶予されている彼らにとって、ジオは畏怖の対象であり、隙あらば命を奪ってしまいたい標的でもある。
もっと言えば、ジオに対して平身低頭で祝辞を述べているジュートノルの代表者たちこそが、刺客を差し向けようとしている黒幕の一部だと疑われているわけだ。
「そ、それでは、ジュートノルの内部へとお進みいただきたいのですが……」
「何か問題があるのかな?」
「そ、その、軍列に加わっているそれは、事前にお聞きした覚えがないのですが……」
代表者たちが緊張している最大の理由は、ジオの背後にこれ見よがしに並べられている、公国の決戦兵器――タイタンの槍の存在に他ならない。
しかも、切り札中の切り札である超大型タイタンの槍二門まで持ち出している。
文字通り、公都の防衛力の半分がジュートノルの正門前に集結して、その砲口をジュートノルに向けていた。
「なに、ちょっとした気まぐれだよ。ドラゴンを討ったタイタンの威容を、公都だけが独占するのもよろしくないと思ってね、ジュートノルの民にも見物する機会を設けようと、急遽軍列に加えたのさ」
「そ、それは、大変得難いことであると存じますが……」
「不服かい?」
「め、めめめ滅相もございません!!」
強大な力を目の前にしたとき、人族が見せる感情は大きく分けて二つだ。
一つは、力の下で守ってもらおうとする服従の意思。
一つは、力を危険だと見なして反発する抵抗の意思。
そして、目の前の代表者たちはそのどっちでもない反応を示した。
表向きは公王ジオグラルドに対して恐れ入って、その場に跪いて地面に頭をこすりつけている。
一方で、丸められた背中から憎悪の気配が出ているのを、ジオの後ろに控えている俺は確かに感じた。
もちろん、俺が気づけたものをジオが気づけないはずがないんだけど、
「畏まる必要はないよ。こちらこそ、突然の変更を知らせずに済ませてしまったことで迷惑をかける。さあ、ジュートノルの民と共に、ドラゴン討伐の偉業を祝わせてくれないか?」
「お、仰せのままに!!」
両者の会話が終わってしまえば、あとはもう早い。
パレードの軍列を迎え入れるために開け放たれていた正門へと先頭が入っていくと、待機していた後続が次々と動き出した。
「で、では、政庁前でのおもてなしの支度がありますので、我らはこれにて」
「まあまあ。そう他人行儀なことは言わずに、ジュートノルの民の喜ぶ姿を共に確かめようじゃあないか。誰か、馬車の用意を」
直後、そそくさと正門へと向かおうとした代表者たちを呼び止めたジオは、衛士に命じて全員を後方からやってきた馬車へと乗せてしまった。
「そう、君達には全てを見届けてもらわないとね」
そのジオの呟きを、俺は聞いていないふりをすることにした。
正直なところ、このあいだの見回りはできることなら遠慮したかった。
色々と心の準備ができていなかったし、リーゼルさんからどうしてもと頼まれていなければ、何が何でも断っていたところだ。
だけど、先のことはその時になってみないと分からないものらしい。
少なくとも今の俺は、事前にジュートノルの雰囲気を知っておいてよかったと心底思っている。
でなければ、この違和感にも気づかなかっただろうから。
「ジオ」
「わかっているよ。観衆があまりにも少なすぎる」
ジオの言う通り、軍列を見に来ている観衆がまばらで、戦勝を祝う空気とは程遠い印象を受ける。
もちろん、衰退といっていいほどに寂れているジュートノルと、いまも住人が膨れ上がり続けている公都と比べること自体が間違っているのかもしれない。
だけど、俺は知っている。
前回、リーゼルさんと見て回ったジュートノルの雰囲気からいっても、いくら何でも観衆の数が少なすぎる。
まるで、嵐を予感して巣に引きこもる小動物みたいだ。
その時、軍列をかき分けるように、一頭の騎馬を駆る騎士が近づいてきてヘルメットを脱ぐと、よく見知った美形を晒してきた。
「リーゼルか。先頭を行くマクシミリアン公爵はなんと?」
「どうやら、状況は予想よりも悪化しているようです。ジュートノルの政庁は、主だった商人とのかかわりが深い役人が掌握し、公王陛下に忠実な者達は軟禁状態に置かれているとのことです」
「衰退するジュートノルとともに勝手に自滅するのを待つつもりだったけれど、かえって仇になったか。一時的にとはいえ政庁を手中に収めるとは、思った以上に富を隠していたというわけだ」
「観衆の数が少ないのも、裏から手を回して外出自粛を指示しているのでしょう。表に出てきているのは、ほとんどがジュートノルの事情を知らない余所者ですよ。もしくは――」
「変装した刺客、というわけか。できれば、無関係の観衆に被害が及ばないようにしたいところだけれどね」
「大通りはもちろんのこと、主だった辻々にはすでに衛士部隊を配置しております。可能な限り、大通りでの戦闘にならないように宰相閣下が檄を飛ばしておりますが、例の三組が出てきた際には難しいでしょう」
「その時は仕方がない。むしろ、衛士が余計な手を出して無意味な犠牲を出さないように、公爵が命令を徹底して――」
キイィィィン!!
気づいた時には。
ジオの左胸のあたりで甲高い硬質音が響き、そこに一本の矢が生えていた。
「ジオ!!」
「公王陛下!?」
「……参ったね。衛士はもちろんのこと、テイルですら察知できなかったとは。これが世に聞く『紫毒の矢じり』の隠密狙撃か」
「し、鎮まれ!!公王陛下はご無事だ!!行軍を再開せよ!!」
周囲の騎士や衛士が悲鳴を上げながら総崩れになりそうなところを、リーゼルさんが必死に押し留める。
王侯貴族の間じゃ、暗殺の事実を隠すために側近がわざと生存を宣伝することがあるらしいけど、今回は違う。
人族にとっての急所中の急所を正確に狙った矢は、紫色の液体で濡れた矢じりを見せている。
――そう、ジオの左胸につけられた、美麗な細工が施されたブローチ型の魔道具が放つ緑光によって、肌どころか衣装すら傷つけることなく、中空に停止していた。
「いや、助かったよ。君がエルフ族の秘宝を貸してくれたおかげで、なんとか命を拾うことができた」
「――それはマクシミリアン公爵に渡したものと同じ、日に三度だけ致命傷を防いでくれる護符だ。使えるのはあと二回。せいぜい、本物の死が訪れないように神に祈るがいい」
その言葉と共に、馬車の後列、俺の隣で不可視の魔法を使ってずっと隠れていたシルエが姿を現した。
ちなみに、このことを知っていたのは俺とジオの二人だけ。
もちろん、リーゼルさんにとっては寝耳に水の話だ。
「公王陛下!!ここになぜシルエ殿が!?」
「『紫毒の矢じり』を見つけ出すには、僕のそばで狙撃地点を割り出す必要がある――とのシルエの意見を採り入れたまでのことさ。公国議会に諮れば、反対の声が多数を占めることは分かっていたから、僕の一存で黙っていた。――ああ、説教は後にしよう。今は刺客の撃退が最優先だ」
「では、私は行く。――テイル、おそらくは今の狙撃が襲撃の狼煙のはずだ。すぐに他の刺客どもが襲ってくるだろうが、無理だけはするなよ」
「シルエも気を付けて」
あくまでも他との会話は最小限。
俺だけに向けられた言葉の後で、風に乗るように軽やかに屋根なし馬車から飛び降りたシルエは、そのまま路地へと滑るような走りで姿を消した。
それを待っていたかのように、ジュートノルの街並みのあちこちから武器と武器がぶつかり合う金属音が聞こえ始め、さらに、
「『炎蛇の双子』が出たぞーーー!!」
「第六部隊、盾を構えろ!!テレザ司祭長が到着するまで決して退くなーーー!!」
悲鳴にも似た絶叫の直後、右前方の建物の向こうから特大の火柱が上がった。
「リーゼル、ここはいい。テレザ司祭長が速やかに到着できるように、前線で指揮をとるといい」
「かしこまりました!!」
ジオの命令で、火柱の方へと馬を走らせるリーゼルさん。
その後ろ姿に余裕は微塵も感じられず、それだけ事態が切迫していると教えてくれているようだった。
――と、そっちに意識が引っ張られていたせいで、危うく全てが終わるところだった。
ガギイイイィィィン!!
「テイル!!」
「ジオ、逃げろ!!」
視界に収める間もなく、腰から引き抜いた黒のショートソードを強引に引き回して迎え撃つ。
日の光を反射する刃とかみ合うのは、近くの建物の屋根から持ち主と共に落下してきた二本の湾刀。
「ほう、それがしを止められるのは煌炎のゼルディウス一人かと思っていたが、やるではないか」
顔は知らない。名前も知らない。
だけど、双刀から来る圧が、本物の使い手だけが放つ眼光が、騎士鎧に輝く神聖帝国の紋章が。
この男が『神聖帝国第三席』であると証明している。
「ジオ、離れていてくれ。近くにいられたら、巻き込まない自信がない」
「わかった。無事を祈るよ、テイル」
なぜ刺客がここまで来られたのか?
こいつを抑えるはずだったゼルディウスさんはどうしたのか?
ジオは無事に逃げられただろうか?
疑問は尽きないけど、余計なことを考えながら戦える相手じゃないことだけは確かだ。
とにかく、目の前の敵に集中するために、まずはしのぎを削り合う双刀を押し返すことに全力を注ぐことを決めた。
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