第355話 戦勝パレード 上
ジオグラッドは要塞都市という性格上、ジュートノルと比べて建物が密集していて空白地がほとんどない。
公都のシンボルである長大な塔――政庁の前に設けられた広場も例外じゃなく、戦勝パレードに付き従う衛士全員を収容することはとてもできそうにない。
「いやあ、騎士と衛士が広場を埋め尽くすこの光景、壮観の一言だね」
そんな、独り言のようなジオの呟きが俺に向けられているのは、周りには他に誰もいないことから疑いようのない事実なんだけど、返事をするのはとても難しい。
身分違いの俺が私語なんかしてしまった日には、この政庁の二階バルコニーから広場に向かって演説しているマクシミリアン公爵の面子を潰すことになるからだ。
いや、お兄さんなら、畏まった場で口を閉じていられないジオの性格も理解しているから、必死で謝り倒せばなんとか許してもらえるかもしれない。
許してもらえないのは、同じく二階バルコニーに列席している、金糸銀糸の衣装で着飾った貴族の面々だろう。
何人かは、今すぐ牢屋にぶち込みそうな勢いで俺を睨んでいるし。
「知っているかい? 今回の戦勝パレードに投入される人員は、公国軍の半数にも達するらしい。その他、裏方として官僚や役人も併せれば、公国の三分の二が動く計算だ。まさに、公国の歴史に刻まれる一大行事だよ」
ジオの話は止まらない。
これまでの付き合いから、俺が答えられなくても聞き流してはいないと確信してのことだろう。
「それにしても眩しいねえ」
ジオが言っているのは、なにも公国軍の主だった騎士や衛士が集結している豪華さのことだけじゃない。
騎士はきらびやかな装飾が施された儀典用の、衛士は通常のものながらピカピカに磨き上げられた――彼らの鎧が日の光を反射して、とてもじゃないけど直視していられない。
「改めてこうして見てみると、感慨深いものがあるね。ここまで一糸乱れず整列する様なんて、少し前までは考えられないことだったよ」
「……まさかとは思っていたが、本当に騎士と平民が同じ場にいるとは」
「……これは、デルモス卿の怒りは当然至極であるな」
ジオには聞こえていないだろう、俺の耳にだけ入ってくる小声が、列席している貴族の中から聞こえてくる。
今回の戦勝パレードには、公国だけじゃなくアドナイ王国中の貴族が招待され、少なくない数が道中の危険を冒してまで出席している。
もちろんその目的は、衛士部隊とタイタンの提供なわけだけど、彼らの全てが公国の理念に賛同しているわけじゃない。
特に、騎士と衛士を同等の戦力として扱っている公国軍の在り方は、一部の貴族から反発を買っているらしい。
その証拠が、公王のそばですら漏れてくる不満の声だ。
と、そんなことを考えている俺の視線に気づいたのか、
「テイル、ノービスの英雄ともあろう者が、木っ端貴族を睨むべきじゃあないよ」
「そ、そんなつもりじゃ――って、わかるのか?」
「わかるとも。嫌な感じで突き刺さってくる視線と、その発生源に顔を向けているテイルの雰囲気を見て取れば。そんな風に、ヘルメットで表情が読めなくともね」
そう、今の俺は、加護と一緒に神から与えられた黒の装備にふさわしい、昨日になってジオから送りつけられた同色のヘルメットをかぶっている。目的は、正体を隠すため。
王都奪還戦争の出陣式の時には堂々と素顔を晒しておいて今さらじゃないか、と思ったけど、ジオ曰く、広い意味で味方ばかりだったあの時とは、事情が全く異なるらしい。
見れば、二人の貴族は落ち着かない様子でそっぽを向いて、こっちを見ることはなくなっていた。
まあ、反感は持ちつつも公王本人に目を付けられる事態は避けたいらしい。
――彼ら程度は。
その時、前方から聞こえていたマクシミリアン公爵の演説が終わり、広場から大きな歓声が聞こえてきた。
「さて、いよいよパレードの出発だ。僕らも支度に向かうとしようか」
主君として一番にバルコニーを後にするジオに従って、俺も政庁の中に戻る。
公国の、人族の栄華と暗闘が交錯する戦勝パレードが始まろうとしていた。
前方に二列隊形で騎乗した公国騎士団。後方に四列縦隊で整然と歩く衛士兵団。
この公都にこんなにいたのかと驚くくらいの数の人々が両脇で見物する中で、ジオの警護を固める公国軍は身分の差を越えた一体感が出ていて、同時に異彩を放っている。
政庁前広場を出発した軍列は、主だった通りを一回りして、ジュートノルに一番近い門が終着点となる。
それが、戦勝パレードの公都内におけるルートなんだけど、そこには大きな問題があった。
「ほとんどが警備に当てられているとは言っても、行進に加わる人員だけでも五千人。それだけの人数がこの公都を練り歩けば、まあこうなるよね」
公都といっても、その性質はあくまでも要塞都市。
建物が頑丈に作られている一方で道幅は狭く、お世辞にも軍の行進に向いているとは言えない。
戦勝パレードが祝祭を兼ねているということで通りの両脇に露店が出て賑わった結果、混雑のあまり軍列が遅々として進まないという事態が発生していた。
「ジオ、これはさすがにまずいんじゃないか?」
「まずいって?」
「こんなに動きが遅いと、刺客からしてみれば格好の的じゃないか。毒矢でも射られたらどうするんだ?」
「ああ、そのことか」
今回のために特別に作られた、公王専用の屋根なし馬車。
元の木目が全く見えなくなるほどに飾り立てられた車体の内部、二つ並んだ座席の前列にはジオ、後列には俺の、二人だけが座っている。
はた目には、公王陛下に耳打ちする護衛に見えるだろうか?
見物人からの歓声ににこやかに手を振るジオに、一番近くの騎士にも聞こえない声量で背後から聞いてみると、表情も首の向きも一切変えないまま返事をしてきた。
「心配いらないよ。公都に限って言えば、刺客の捕縛は完璧に完了しているから」
「完璧って、まるで潜伏している刺客を一人残らず見つけたみたいな言い方だけど、そんなわけ――」
「そんなわけがあるんだよ。忘れたかい?五感に優れたノービスの加護を。街を巡回している衛士が集中して聞き耳を立てれば、聞こえるはずのない場所の異音も確実に捉えられる」
「あ……」
「加えて、このジオグラッドは要塞都市として外敵の侵入を拒むことを目的として建造されている。この場合の外敵とは、なにも魔物やドラゴンといった人外の存在ばかりじゃあない。同じ人族でありながら害をなす、獅子身中の虫の排除を容易にするための仕掛けも施してあるのさ」
「……初耳だ」
「ともすれば仲間を疑うような話だからね、知らせずに済むならそれに越したことはなかったんだよ。テイル、籠城戦において最も気を付けるべき点は何か、知っているかい?」
「それは、高くて頑丈な城壁に、たくさんの武器と食糧と……」
「それらは重要であっても必須とまでは言えない。最も大事なのは、いかに裏切り者を出さないかということさ」
「裏切り者?」
「どれほど強固な要塞も、蟻の一穴で崩れることがある。籠城中の閉鎖空間でひとたび反乱が起きれば互いが互いに疑念を抱き始め、ついには同士討ちで落城、なんて例は歴史の中で枚挙に暇がないんだよ」
「でも、そんなものどうやって防ぐんだ?」
「簡単さ。神との契約によって僕への絶対の忠誠を誓っている衛士を使って、公都全域を覆う諜報網を築き上げたのさ」
「こ、公都全部……?」
「加えて、公都の全ての住居は厳重に管理され、寝たきりの老人から生まれたての赤子一人に至るまで巡回の衛士が把握し、逐一報告を上げている。余所者が正規の方法以外で入り込めば、即座に察知できるというわけさ」
「それはなんていうか、住人が息苦しくないのか?普通は嫌だろう、赤の他人に監視される毎日なんて」
「少し前までは、そういう声も少なくなかったようだね。けれど、黒竜の襲来で全てがひっくり返ったよ。今回の刺客たちの迅速なあぶり出しも、住人の積極的な協力あってのものさ」
毎日のように衛士に声をかけられて、家庭の中まで覗き見られる生活。
これを嫌がらない人はまずいないと思うけど、竜災という脅威が常識を破壊した。
監視だらけの窮屈な生活という認識は、衛士兵団による安全の保障に一変して、公都の住人の中でかつてないほどの公国への尊敬が生まれていた。
その空気は、衛士宿舎に籠りっきりだった俺にも伝わってくるほどだ。
ジオが言っていることも十分に理解できた。
「そんなわけで、公都を進んでいるうちは何の心配もしていないよ。テイルが危惧している毒矢も、二階以上の建物には特に重点的に監視を敷いているから、そもそも狙うことすらできないさ」
ふいに、亀の歩みのようだった馬車のスピードが上がる。
この先の十字路を右に曲がれば、あとは門まで一直線。
その向こうにあるのは、衛士兵団と冒険者が協力して丁寧に魔物を狩り尽くして一時的に安全になった、ジュートノルへと続く短い街道だ。
つまり、そういうことなんだろう。
「本格的に刺客が襲ってくるのは、ジュートノルってことか?」
「全ての依頼主が諦めでもしない限りは、そうだろうね。ジュートノルは竜災のどさくさで代官不在のままだし、衛士への抵抗感も根強いから、刺客の捜索もうまくいっていない。襲撃が起きるとしたら、間違いなくジュートノルだ」
雲一つない快晴。
ドラゴン襲来の心配をしなくてもいいことだけが、不幸中の幸いだった。
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